松山空襲と343空
ワタシが暮らす愛媛県松山市には、(日本の多くの都市と同じように)太平洋戦争末期に米軍機に空襲を受けた歴史があります。日本本土空襲というやつです。
毎年夏になると各種イベント等でこの話が出てくるのですが、ワタシ自身が「松山空襲」の詳細について実はあんまり知らないことに気づいたので、ひととおりまとめてみました。
松山市史は、「松山空襲の記録」として松山の受けた空襲を以下のような年表にまとめています。
1945/02/17 | 米軍艦載機、松山航空隊を空襲 |
1945/03/09 | 米軍機、松山航空隊を空襲 |
1945/03/18 | 米軍艦載機33機、松山を空襲 |
1945/03/19 | 松山を基地とした海軍343航空隊の戦闘機、米軍艦載機数十機を撃墜 |
1945/03/20 | 米軍艦載機1機、松山航空隊を爆撃 |
1945/05/04 | 米軍機B-29 17機、松山海軍航空隊を空襲 (死者76名、重軽傷者169名、行方不明3名) |
1945/05/08 | 米軍機B-29 2機襲来 |
1945/05/10 | 米軍機B-29 20機、松山航空隊基地に爆弾投下 |
1945/05/14 | 米軍艦載機グラマン約80機、松山市の上空に襲来 (死者2名、米軍機4機撃墜) |
1945/07/02 | 米軍機B-29、衣山へ疎開の松山航空隊本部に焼夷弾投下 |
1945/07/24 | 米軍艦載機、松山航空隊、丸善石油、東洋レーヨンを爆撃 |
1945/07/28 | 米軍艦載機、垣生地区空襲 |
1945/08/09 | 米軍艦載機、垣生地区空襲。機銃掃射、焼夷弾攻撃 (死者3名、行方不明者1名、火災民家3軒) |
1945/08/12 | 米軍機B-24、約40機市上空に飛来、焼夷弾投下 |
・・・うむ、なんか思ってたよりも多い。大戦末期の松山基地には源田実大佐が率いる第343海軍航空隊(「剣」部隊)が展開してたことは知ってますし、松山空港(旧松山基地)の近くにはこの頃航空機の収納に使われてた掩体壕の現物がいまも残ってたりするんですが、それでも多い。
通称「かまぼこ」。鉄筋コンクリート(道路工事で端っこ削ったら鉄筋が出た)製のめっちゃ頑丈な建造物で、壊すに壊せないので未だ残ってるとか。
「松山大空襲」という場合は1945年7月26日の、B-29 128機による夜間都市焼夷弾攻撃を指すんですが、そもそも該当する空襲が年表にありません。全戸数の半分以上が焼け、250名もの死者を出した大空襲は、普通の空襲と別枠っぽい(もちろん本文に大空襲に関する記述はある)
「街が真っ赤に燃えていた」
「燃えて何もかも無くなった」
みたいな話は、松山に住んでるとそれなりに聞かされてきた話。戦闘で落ちてきた破片とか銃弾とか、機銃掃射で開いた破孔とかも結構ある。
マリアナ諸島が1944年8月に陥落。それまで補給の難しい中国を基点に九州をちまちま爆撃してきた米陸軍航空軍は、米本土から海で直接つながるサイパン・テニアンを基点に、ほぼ日本全土を爆撃できるようになりました。
1944年11月には、マリアナから飛来したB-29が、日本の航空機生産能力を奪うべく武蔵野の中島飛行機工場を爆撃します。初手が航空基地や防空施設ではなく、「航空機生産能力の破壊」なのはある意味象徴的。日本ではここがシュバインフルトのボールベアリング工場に相当すると考えたってことなんでしょう。
↑こちらは西東京市戦災パネル「中島飛行機武蔵製作所への空襲」から引用した爆撃効果の一覧表。
11月の空襲は、100機以上の大型爆撃機を集中投入した大規模攻撃にもかかわらず、大した戦果を上げていないことがわかります。人員には多大な被害が出る大惨事ですが、壊れた建物や機材の数を見るに、これで「工場施設を爆撃で破壊し工場の生産能力を奪った」とはちょっといえない。
当時のB-29が行っていた高高度昼間精密爆撃では、工場施設を破壊できていない。
(どこかで「工場を狙った外れ爆弾が防空壕を直撃したため人的被害が大きかった」みたいな記述を見た記憶があるのですが、11月の空襲については確認できず。以後の空襲では防空壕の被害についての記述がありましたが、最初のはわからない)
そしてカーチス・ルメイは従来の高高度昼間爆撃を、「夜間、低高度から大量の焼夷弾をばらまいて都市ごと焼き払う」戦術に変更します。ちまちま点目標を狙って破壊する事をやめ、炎で取り囲んだ範囲をきれいサッパリ焼き払う「面焼灼」方式に変えた。1945年のB-29による「日本本土空襲」は、ほぼこの方式。
1945年3月の「東京大空襲(Meetinghouse2)」は実際にこの「面焼灼」方式を実施し、被災者100万人以上、死者8万人以上という大惨事になりました。
まぁ前年1944年にはドイツに対してハンブルク空襲やドレスデン爆撃が行われており、この時点で米軍は日本に対し、特に苛烈な攻撃を企図したわけではなかったりします。日本本土の夜間防空が脆弱だった上に家屋は焼夷攻撃に弱く大変な被害を生じることになりましたが、攻撃方法そのものにはさして差がない。防空能力が低いのは日本側の問題。
もちろん、後に行われるグローブス准将の核攻撃計画は明確に違います。
米陸軍航空軍による、重爆撃機を使った日本本土爆撃に続き、1945年2月には米海軍による、空母艦載機を使った日本本土攻撃も始まります。
太平洋戦争末期の1945年2月にアメリカ海軍の空母機動部隊が関東地方周辺の日本軍航空基地及び航空機工場を標的として行った航空攻撃作戦。硫黄島の戦いの援護及び日本軍航空戦力の減殺を目的として実行され、日本軍航空隊と工場設備に相当の被害を与えた。
という話なのですが、空母16隻、艦載機1200機も擁する第58任務部隊(TF58)は、遠く四国の343空まで攻撃しています。
松山大空襲の項を見ると
1945/02/10 | B-29が初めて松山市上空を偵察飛行 |
1945/02/17 | 米艦載機が松山海軍航空隊基地を爆撃。松山市への初空襲 |
となってますので、陸軍の偵察機が事前偵察して脅威っぽいと判定したから、ちょっと遠いけど海軍が空母で出向いて攻撃隊を差し向けた、ということなのかな? 陸軍機の偵察は空襲じゃないせいか、松山市史には記述がない。
343空の隊史だと、1945年の2月には機種と機数が増加した旨の記述しかありません。爆撃されたみたいですが、少なくとも2月に343空が損害を受けたり与えたりしたことはなかったみたい。
当時の滑走路に爆弾が落ちても穴を埋め戻すだけ→航空基地にダメージを与えることの難しさがわかりますし、ジャンボリー作戦が「艦載機による初の空襲」だったとはいえ戦闘機部隊が邀撃なしで航空攻撃を許してますので、基地の早期警戒態勢にかなり問題があったことがわかります。
日本製電波警戒機/探信儀の数が少なくて性能が低いのは使用する真空管の少なさ&低性能に起因しており、ここら辺にも大日本帝国の国力というか基礎工業力の低さがにじみ出る。メタル管(全金属真空管。軍用の真空管は入れ物がガラスじゃない)自体はあったんですが、数も性能も足りなくて...。
電波兵器の数や性能が低いと早期警戒や迎撃官制が出来ず、ただでさえ困難な航空戦/防空戦の遂行が、さらに輪をかけて難しくなってしまう(けど、無いものは無いのでどうしようもない) 日本で真空管を作ってる人は本当に少なく、性能改良とかそれ以前の問題で「作れない」状況だったみたい。
続く3月9日の空襲は「米軍機」としか記述がありませんが、ちょうど硫黄島攻略支援をしていたTF58が沖縄攻略支援に切り替え、沖縄に向かう輸送船団を追いかけ回したりしてた=四国沖に浮いてた時期なので「艦載機」と思われます。3月18日の総攻撃に先立ち、343空の戦力減殺を狙ったのかと。
戦闘機を集中配備してる航空基地は、やはり結構な脅威だったんでしょうか? 「航空攻撃で真っ先に『航空攻撃に対する脅威』を叩く」は理にかなっている。空を自由に使うために、邪魔者は少なければ少ないほどいい。まぁ3月18日の結果を見ると、実際に効果があったのか無かったのか、微妙な感じ。
3月18日の邀撃戦は、呉空襲。「この世界の片隅に」で描かれたアレですね。誉エンジンがどうこうという会話が有って、煙に色がつく日(あまり他のことは言いたくないらしい)
松山市史には「343空が数十機撃墜」と書かれてますが、実際に墜ちた米軍機はそんなに多くないことが解っています。
圧倒的劣勢下で、繊細な誉エンジン搭載機(愛南で現物見ましたが、冷却フィンの薄さ狭さには本気で驚きました)を使った戦闘としては頑張ってるのですが、現実はそんなに甘くなかった。実際の343空の戦果は、報告の数分の1しかない。彼我の交換比は1より小さく、戦果より損害のほうが多い。
ダイナミックバランサーを持つR-2800搭載機は全く侮れないし、米軍機に多数装備されたブローニングM2は、その良好な弾道特性から後にスコープ付けて長距離狙撃に使われるくらいで、日本機に載せられた大半の航空機銃よりも当てやすい。こうした機体相手に互いに集団戦闘をして、ほいほい数的劣勢を覆すほどの差がつくとは考えにくい。
343空による撃墜/未帰還は以下のとおり。これはあくまでも日本側というか343空の認識で、実際の撃墜数ではない。あと343空が移動したり他基地に分駐してた時期があるせいか微妙に他の資料と日や数が合いませんが、そのまま記載。
日 | 撃墜 | 未帰還 |
---|---|---|
03/19 | 57 | 13 |
04/12 | 20 | 10 |
04/15 | 0 | 2 |
04/16 | 20 | 9 |
04/18 | 3 | 4 |
05/04 | 22 | 7 |
06/02 | 18 | 2 |
06/22 | 7 | 4 |
07/02 | 0 | 3 |
07/05 | 1 | 3 |
07/24 | 16 | 6 |
08/01 | 2 | 3 |
08/08 | 8 | 9 |
それでも米軍的には十分頭にきたようで、以後執拗に343空を追いかけ回して攻撃していることがわかります。土地勘のない人にはわかりにくいと思いますが、「垣生地区」というのは海岸沿いで、「松山基地周辺」と大体同じような意味合い。
05/04の空襲については、データベース『えひめの記憶』に以下の様な記述があります。
昭和二〇年五月四日午前八時一〇分、B29八機が高度約四千メートルからこの航空隊基地に爆弾三〇余発を投下し、同二五分にも別のB29九機が爆弾四〇余発を投下した。
直撃弾は隊内の烹炊所・松根油製造所・兵舎の一部に命中、ここにいた人は即死し、慌てて防空壕へ飛び込んだ人も多かったが、海岸に面する砂地に掘られた壕は爆震で崩れ、その多くは窒息死した。
この空襲で予科練生や軍関係者六九名が死亡し、一六九名が負傷、また航空隊周辺の民家も爆撃されて民間人七名が死亡した。
上記は典型的な「B-29による戦術爆撃」ですが、端的に言って『大惨事』ですね(-_-;)
執拗に狙われたのは343空だけではなく、沖縄戦が行われていた1945年4~5月は、その支援として(都市への戦略爆撃を一時中断して)沖縄への支援攻撃(ほぼ特攻)を行える九州・四国の飛行場に対する集中攻撃が行われていました。
細かい狙いがつけられない夜間攻撃である「松山大空襲」は他都市と同じ「都市への面焼灼攻撃」=無差別の戦略爆撃ですが、他空襲の多くは飛行場というか343空に向けられた戦術的なもの。松山が太平洋に面していたら、戦艦を接近させ、より確実な効果が見込める艦砲射撃が行われたかもしれない。
いや、松山には日立や室蘭のような軍需工場がないから、流石に艦砲射撃まではしないか。工作機械やインフラを一撃で徹底破壊したいから艦艇がリスクを負ってまで接近しコンクリート(ドイツ語だと「ベトン」)構造でもぶち抜いて粉砕する大口径砲で射撃してるわけで、(ソロモンみたく)重砲弾で飛行場を月面みたいに耕しても、土のところは埋め戻せば直っちゃうからな。
航空作戦の妨害なら、滑走路を深々と掘り返すより嫌がらせの爆撃を続けて上モノ、すなわち機材や人員の破壊殺傷を狙うほうが効果が大きそうな気がする。
ヒロシマ・ナガサキ後である8月12日の空襲は「B-24」となってますので、機種が判別できる昼間に沖縄から飛来した、米陸軍航空軍の爆撃。同日は同機による九州久留米等への昼間空襲が行われているのですが、四国にも爆撃隊を割り振ったということでしょか?
普天間から松山空港(旧松山基地)の距離を測ってみたところ930km。普天間-久留米の780kmに比べると若干遠いですが、B-24の航続距離3000km強から考えると十分攻撃可能な位置ではあるみたい。航続距離の1/3に収まっている。
逆に紫電改の航続距離2000kmほどだと、松山から九州までは進出できても沖縄の航空支援はかなり難しい(移動出来ても戦闘できない)
菅野直が筒内爆発云々で未帰還となった8/1、彼は長崎の大村基地から迎撃に上がっています。九州上空でB-24の邀撃中に事故を起こし、手負いのところをP-51に襲われて未帰還となっている。沖縄からのP-51ということは米第5航空軍の機体でしょうか。爆撃機の護衛が主だったのか、ファイタースイープだったのか。
↓その後(笑)
後の歴史を知る人間からすると些かややこしいのですが、第二次大戦中の米「空軍」は米陸軍麾下組織の名前。米陸軍航空軍(United States Army Air Forces)が陸軍から独立するのは戦後になってから。
ついでに松山から1945/04/07の大和沈没地点までの距離を測ってみたところ、570kmほどになりました。坊ノ岬沖海戦とか言いますが、松山-坊ノ岬は380kmほどなので、大和はかなり東シナ海に進出したことがわかります。海のど真ん中で、周囲100kmになにもない。そりゃ涼月も帰還に苦労するわ、みたいな。
まぁマレー沖海戦等の例を引くまでもなく、陸上機が艦隊の上空直援をするのは大変困難。もっと多数の戦闘機が九州の基地に残存していれば...とは思いますが、それをさせないためのTF58による事前攻撃であり、これを食らった海軍第五航空艦隊は壊滅的打撃を被っちゃってますから、仕方ない。
そして五航艦(最初から特攻を前提に編成された部隊で色々しょぼい)の傷が浅くても、大和が向かう沖縄には900機とか載せた正規空母7隻+αが待ち構えている→陸上基地が移動できないことを考えると、これに対抗するにはまともな戦闘機が1000機とか要ることになっちゃって、まったく現実味がない(-_-;)
陸上基地は足がなく不動であり、殴られても避けられない。機動して避けられない以上、戦闘機を使って能動的に防御する、つまり「戦闘機の傘で自らを守る」以外に生き残る方法がない(もちろん基地防衛だけに限れば「命中率の高い高射兵器で防御する」も無しではないし、あるほうがいい)
基地航空隊vs空母機動部隊の対決となった1年前の1944年2月、マリアナ航空戦第1ラウンドでの第一航空艦隊の顛末を考えると、逃げられない陸上基地側は例え数が多くても主導権を取りにくく十分にヤバいけど、1945年3月の九州沖航空戦ではその数的優勢すら達成できないので対抗のしようがない。とにかく戦闘機が足りない。
基地航空隊と戦えば、レーダーを備え、強力な高射砲で強固に防御され、戦力が集中しており、高速で移動可能な機動部隊側が圧倒的に有利。陸は不沈空母とか言うと笑われる。使用機種がなんとかとかVTヒューズがどうとかいう以前に、根本的・構造的に有利不利が決まっている。
空母ってただ「陸から離れたところで飛行機を飛ばせるフネ」でしかない→主役はあくまでも積み荷の飛行機なんだけど、そうしたプラットフォームの数をまとめ相応の防御を持たせて集団運用すると、ここまでやばくなる。
まぁTF58最大の問題はとにかく「飛ばせる飛行機の数がとても多い」ことで、例えば基地航空隊が5倍の飛行機で押し包むように迎え撃てる状況なら話は全然違うけど、そもそもそんな危ないところに大事な空母は送り出さないか(^_^;)
もちろんやる側もその辺はわかってるんだけど、もはや他の選択肢が無いからどうにもならない。いくら末期戦でも、わざわざ好き好んで、戦果の有無に関わらず急速に戦力がすり減ってしまう、自分の手足をちぎり取って投げつけるような特攻戦術を採用するようなやつは、居ない。
ちなみに343空の戦闘機は、定数で150機ほど。紫電改の生産数は400機ほどで、銀河や四式戦と分け合う誉エンジンも総生産数10000基には達していなかったはず。マリアナ沖で負けたときから解ってたことではありますが、もう本当にどうしようもないですね。まったくもってどうにもならない(-_-)
ヲタクは、川西航空機が兵庫の工場をもっと早くに整備しておけば...とか、そもそも紫電改みたいに強風系の改造機で迷走することなく、十七試戦闘機からまっすぐ進んで陣風系の飛行機を作っておけば...みたいなことを夢想するけど、そもそもエンジンが駄目で計画がポシャってる→機体屋さんがいくら頑張ってもどうにもならない。P&Wは日本の企業ではない(-_-;)
三菱のハ43がもう少しなんとかなっていれば...とかいっても、こちらも多少余裕があるというだけで当時の日本を取り巻く周辺状況が大変劣悪なことに変わりはなく、中島製誉エンジンのときより状況が改善されるという保証はまったくない。軸受とか過給器がなんとかなればの類もドリームな夢想でしかなく、やっぱりどうにもなってない。
この辺は根本的に材料の、突き詰めると国力の問題になってしまうので、ちょっとやそっとの仮定では覆せない。転換点があるとすれば、堀越二郎が強気に出て十二試艦戦を最初から金星搭載の重戦闘機として成功(アル戦ではさらにその前、九試単戦の段階から歴史をいじってる)させ、日本陸海軍の軽戦闘機志向を早期に破壊する...くらい?
状況が悪化する前に大馬力の戦闘機用発動機を用意できるようなルートって、あまり他に思いつかない。この時点で三菱が「金星の排気量を増やすのは難しいから燃料噴射と過給でなんとかしましょう」みたいなRRのマーリン的流れになってれば、雷電に火星を載せなきゃいけないけど軸が...みたいな苦労をせずにすむかもしれない。
過給器を2段3速とか4速化して、ただラジアルタービンをぎゅんぎゅん回し昔のホンダF1のごとく圧をぐいぐい掛けるだけで結構違いそうなんだけど、さすがにここまで加圧すると直噴とかMW50みたいのが必要になるか。時代的に電子制御が使えないので、インジェクション機構の機械的な問題に加え、燃焼状態の感知とか制御をどうするかみたいな部分がなかなか難しそう。
こういう「圧縮したい」状況でもっとも影響を及ぼすのは間違いなく燃料ガソリンのオクタン価で、ガソリンエンジンの性能は燃料ガソリンを改質する石油化学工業の能力と非常に密接に関連する。過給器だけ、エンジンだけで分けて考えることにあまり意味はなくあくまで使用燃料とセットであり、出来れば点火プラグと潤滑油もなんとかしたい(^_^;)
まぁ、なにをどういじっても、この段階の三菱でP-47みたいな飛行機(GE製排気タービンが発する膨大な熱量を避けるため機体が巨大化した)が出来ちゃう可能性はほぼ無いし、そもそも排気タービンが無い(^_^;) あと迎撃機と言うなら鍾馗みたいになるのが普通で、雷電みたいな機体デザインは相当に珍しい→やっぱり初手を拙ったような...。
短期的には、中川良一に正気を取り戻させ、既存エンジンの改良に専念させることが一番末期航空戦の展開に寄与するかもしれない。誉の存在は、それほどヤバい(^_^;) 種子島・永野組が、当面の役に立たないガスタービンではなく過給器に注力してくれれば...みたいな仮定も、結局は耐熱材料の問題に行き着いてしまう。ニッケル...。
架空機でもっとも大戦末期の被害軽減に有効なのはたぶん「高速・重火力の夜間戦闘機」だと思いますが、陸軍のキ83とか海軍の天雷とかをベースにそういう高速重夜戦がぽんぽんと出来たとしても、日本には適当な機載レーダー、もっというとそうした小型レーダーに使える真空管が無いので、やはりどうにもならない。
↑Airborne Interception=空中迎撃用レーダーのエライやつ。英国製。
仮定に仮定を重ね、(東芝や中島が知恵と工夫で真空管やエンジンの問題を解決し、ウルツブルグの輸入に成功しそこからうまいこと発展したとか、いいマグネトロンを早期にコピー出来たとかで)日本の空を高性能電探を載せた強力夜戦が守ってた...としても、欧州で実施されたような電子戦が日本上空で繰り返されるだけで、マリアナや硫黄島が陥ち日本の空をB-29が飛べる状況なら、夜間戦略爆撃自体を阻止することは出来なさそうな気がする。
夜間、爆撃機を見つけて追いついて撃ち落とせる戦闘機がそれなりにあるという仮定→史実よりも格段に強力な本土防空体制であり、高価なB-29をばんばん落とされれば損害率が上がり米軍もキツイだろうけど、そのまま無策に攻撃が繰り返されるわけもなく、すぐに電子戦機とP-61が飛んできて電子戦になる→ECM/ECCMを使った電子戦状況で、日本軍が勝ちそうなイメージが全くできない。
正直なところ、日本本土の夜間防空になにかで上げ底をするというなら、「強力な夜間戦闘機の投入」とかよりも、APQ-7、H2X等の機載爆撃レーダーを無力化するほうが、より有効性が高いのではないかと思う。
ただまぁ、そうした「電子戦で米軍に対し優位に戦える日本」みたいな想定は、ぶっちゃけ「排気タービン付エンジン双発でマイクロ波PPI式電探装備の高速夜戦をたくさん持つ日本」とかいう十分にアレな想定よりも、更に難易度が高い。量産体制や性能向上、電子妨害への対応まで考えると、"ロケット・ササキ"ことシャープ佐々木氏1人を動かすだけじゃどうにもならない。
ここまで根本的に日本を変えようと思うとそれこそ「レッドサンブラッククロス(日露戦争から歴史を改変)」や「覇者の戦塵(満州事変から改変)」並の広大な歴史を構築しないと駄目で、それはもう思考実験の域を超えている。
それとも、夜間攻撃でも大して分が良くならないとわかれば、昼間に空母艦載機を使い、夜戦を擁する基地に対する強襲を繰り返して地上撃破を狙う、みたいな展開になるだろうか?
当然日本側は分散収容で対応するだろうけど、この場合はあくまで戦術攻撃なので被害は航空基地とその周辺に集中→「日本の街を軒並み綺麗に焼き払っときました」みたいなひどいことにはならずにすむかもしれない。
ただし、日本にはマンハッタン計画やグローブス准将、もしくはソ連の動向に干渉できる手段がまったくない→トリニティ実験が成功したりソ連が参戦した時点で万事窮してしまうのは同じ。なにをどう仮定しても、この辺はどうにもならない。焼夷弾で燃やされない代わりに核爆弾を次々食らうとか、本土の過半をソ連に占領されるとか、結構悲惨な感じの行く末が予想される。
こうした「特殊イベント」が無い場合は(総力戦らしく)補給速度の勝負になる。米軍の「減った重爆(と爆弾)を補充する早さ」vs日本軍の「減った夜戦(と銃弾)を補充する早さ」の勝負。防空戦であり侵攻戦じゃないんで、たぶん航空撃滅戦とは呼ばれない。というか、この場合はもしかしなくても"逆"航空撃滅戦になる...?(^^;;
安全な米本土で無心に生産を続ける米国(カンザスの戦い。1942年には約5倍の差があった日米の航空機生産数は、1944年に日本の生産数が3倍増となり3.5倍の比率にまで縮まってはいる)vs生産拠点を守りながら涙目で戦う日本の海洋通商路はフィリピン等の陥落により既に終わっているはずで、これだけ下駄を履かせてあげても、やはりどうにもならない。相手が悪い。
そして通商破壊(海上封鎖)と戦略爆撃で日本がなお音を上げない状況では必然的にダウンフォール作戦が実行され日本本土決戦が起こってしまうので、本土で戦争したドイツやソ連の死者数や死亡割合を見るに、結果はお互いにとってより悲惨なものになるはず。
特に日本陸軍はもうかなり血迷ってて、なんでもかんでも特攻させるつもりで戦力を温存してまで構えてますからね。戦力が自動的に減っていく「1億総特攻」戦術でどこまで組織的に抵抗できるかはともかく、使える人数が多い分エライことになってしまうのは間違いない(-_-)