戦艦(2)

「ちょっと離れると当たらない」兵器だった小銃や大砲も、科学の進歩に伴って除々に「当たる」兵器へと変わって行きます。

投射兵器を遠戦用にした一番大きな要素は、言うまでもなく「銃身にらせん状の溝、すなわちライフリングを刻む」こと。(もちろん、金属加工精度の向上も大きな要因)

実は英国で「線条(ライフリング)」が発明されたのは18世紀の半ばだったりするんですが、

  1. ライフリングは弾丸を旋回させるための溝
  2. そのため弾丸が銃身の線条に食い込む必要がある
  3. 当然弾丸が「キツい」
  4. 銃口から装填する前装銃では装填が困難(弾丸をカンカン叩き込まなきゃ入らない)
  5. 施条銃(=ライフル銃)は速射性が著しく低い
  6. ライフルは「弾幕で相手を圧倒する」軍事用途には使えない兵器

とされ、それからも結構長い間軍用銃は旧来の滑腔銃身を装備していました。「ライフル」が(軍用)小銃と同義語になるのはもうちょっと後のハナシ。

米国では狩猟用として早くから「(発射速度は遅いが)有効射程距離の長い施条(ライフル)銃」が発達します。
装填の困難は「弾丸を柔らかいパッチに包んで装填する」というひと手間をかけることで解決。狩猟なら相手は撃ち返してこないので、面倒なこの方法でもなんとか。
このため、米国独立戦争(1775年)では施条銃が活躍します。

が、銃器のマズルローダー(前装)→ブリーチローダー(後装)への変遷。そして、「銃弾を送り出すこと」におけるライフリング/後装の優位性が理解されると、大砲も後装・施条へと突き進んで行きます。

この流れは

  • 雷汞を使う「パーカッション・ロック」点火方式の発明(1806年)
  • 爆発力の大きな無煙火薬の発明(1887年)
  • 金属加工の強度・精度の向上

等が大きく後を押していました。19世紀後半になると、ライフル銃身を装備し金属薬莢弾を撃つようになった銃器は、それまでの「当たるも八卦」的兵器から

「雨のなかでもすぐ打てる、信頼性と命中率の高い兵器」

に変貌していきます。19世紀末には機関銃と自動拳銃も発明され、近代銃器の要素がほぼ出揃いました。(←ガンマニアの無用なうんちくで、あまり本筋とは関係ない:^^;)

銃器と同じ技術を用いる兵器である「大砲」(英語ではどっちも「gun」)も、当然同じ流れにのって進歩していきました。大砲の命中率と射程はどんどん伸びていきます。

それまで文字通りの「タマ」=球形だった銃弾/砲弾も、後装・施条を前提として空気抵抗の少ない椎の実型に変わってきます。銃砲弾は、空気抵抗を気にしなきゃいけないほど長い距離(時間)飛翔するようになったのです。

大砲の射撃精度&発射速度向上には「駐退機・復座機の発明」という要素も大きい。
初期の大砲は一発撃つと反動で砲自体が走っていた→大砲を元の位置に据え直して再射撃を行う必要があったが、ダンパーバネである駐退機・復座機の装備によって、砲を固定したまま射撃出来るようになったのだ。

艦載砲の射程距離の延伸は照準/弾着観測の困難を増しますが、

「砲手が照準する」

砲側照準から、

「高い所にいる照準手が狙いをつけ、大砲は照準手の指示に合わせて撃つ」

方位盤照準へと切り換える事によって有効照準距離も延伸し、文字通り「水平線まで狙える」ように→競争原理が働いて、艦載の大砲はますます大きくなります。

そして、大きくて重い大砲は沢山詰めない→艦載砲はその数を減らし主砲となりました。洋上砲戦を行なうフネは巨大な主砲を同一目標に向けて「斉射」し、「確率論的な命中を期待する」ようになります。このために建造されたのが戦艦という艦種です。