みやもの作品
修正報告
銀河ツンデレ伝説
初の長編小説。イラストは上連雀三平先生!
二見書房 630円
プロフィール
これまでの仕事一覧
Web拍手
サイト内検索


Amazon検索
最近の入力
同期する身体というポルノファンタジーについてのメモ
そういえばジョジョって
トップ合体劇場版観てきた
ルーンファクトリー始めました
月末の予定
「四丁目の夕日」
昔の日記を読み返しながら反省
ブラック・ダリア観てきた
購入録
ものすごく腰の低いラスボスからの最後通牒
カテゴリー
アニメ [321 items]
本・マンガ [275 items]
チャンピオン感想 [13 items]
blogメンテ [26 items]
ゲーム [88 items]
[17 items]
ジャンプ感想 [1 items]
映画 [233 items]
音楽 [40 items]
ニュース [66 items]
雑記 [635 items]
読みもの [1 items]
お仕事 [46 items]
過去ログ

2007 12 11 10 09 08 07 06 05 04 03 02 01
2006 12 11 10 09 08 07 06 05 04 03 02 01
2005 12 11 10 09 08 07 06 05 04 03 02 01
2004 12 11 10 09 08 07 06 05 04 03 02 01
2003 12
全エントリ一覧

出入り口


2006年10月31日


同期する身体というポルノファンタジーについてのメモ

 いや、そんな大層な話じゃないですが。
 
「AとBは同時に絶頂をむかえた」

ってありがちなポルノ表現ですけど、「同時」ってどういうことだろうと考え出したら止まらなくなりました。どのくらいのタイムラグまでなら範囲に含むんだろう、とか(笑)
 現実的にいうならせいぜい「立て続けに絶頂をむかえた」くらいなんでしょうけど、あえて「同時」というのが強調されるところにきっとキモがあるんでしょうな。

 こういうのを「幻想だ」と斬り捨てるのは簡単ではあるものの、どっちかというとなんでそういうファンタジーがあるかという背後をうかがったほうが建設的かと思います。
 あるひとつのファンタジーがあるってことは、つまりそうであったほうがもっと心地よいことがある、ということですね。とりわけ、こころがつながった事後証明としてのセックスを描く場合は、その「つながった」ことを容易かつ最大に具体化できるように"いっしょにイく"描写が開発されたであろう経緯は想像にかたくありません。

 なので、基本的には和姦モノと相性がいいはずなんですが、現状をみると、エロマンガやエロゲでは、陵辱モノでもけっこうシンクロ絶頂が使われることがあるようです。統計を取ったわけじゃないけど、一昔前よりはずいぶん多くなってるんじゃないかな。相手の内面を破壊・制圧するために一方的に感じさせる・イかせる表現は従来からずっとあったけど、そこにあえて陵辱者も「いっしょに」というオプションが加わるってのは、"壊しながらつながる"という、なんだかえらく倒錯した領域に入ってるような気がします。それもまたここちよし、ということでしょうか。

Posted by みやも at 21:14 | コメント(0) | トラックバック (0)


そういえばジョジョって

 犬がよく死ぬよね。

Posted by みやも at 07:10 | コメント(2) | トラックバック (0)

2006年10月30日


トップ合体劇場版観てきた

 きのうは友人I氏と共に、十三の第七藝術劇場にて「トップをねらえ!」1&2合体劇場版を観てきました。

 行きは始発。
 入場券の発売はお昼からなので急ぎすぎかとも思ってたんですが、甘かった。
 朝6時半の到着時点ですでに10人ほど並んでおり、10時をまわるともう50-60人にふくれあがっておりました。もらった整理券の番号は23。140人(実席96+補助席)で発券ストップだったから、のんびりしてると劇場に入ることすらままならなかった可能性もあったんですな。うひー
 I氏が早めに行こうとスケジュール組んでくれなかったらどうなってたか・・・

 それから上映がある夜まで近場のサンマルクで時間つぶし。
 後、ころあいをみて再び映画館へ。

 上映前にはスタッフのトークイベント。きょうはこれが半分目当て。
 壇上に並んだのは5人。佐藤プロデューサー、鶴巻監督、榎戸脚本、音楽の田中公平先生、主演キャストの福井ゆかりん嬢。
 生ゆかりんが生演技で「イナズマキィィィィック!!」と熱叫してくれましたよ。ひゃっほーい。
 ていうか、田中先生めちゃくちゃ仕切りうまいな!

 んでもって、満を持して本編上映。
 トップ1は……うん、いい。かなりいい。
 余分な肉を慎重に削って骨は髄までしゃぶらせてくれる感じ。ユングが割をくった観もあるけど、90分の尺でノリコに焦点をしぼりこむためにはまあ必要な犠牲だったといえなくもなく。
 その一方で、SF設定が生む叙情の密度が上がったぶん、キミコ親子の存在意義がぐぐっと大きくなってますね。泣けた。

 問題はトップ2ですな。
 これはねえ……具体的なことは書かないけど、とりあえず「トップ2は4話以降だけ見てればいい」という評への皮肉な反証になってると思うよ。
 むりやっこ好意的に考えると、ラルク視点を強調した構成なのでそれを超えたラインが断線的になっちゃったという弁護もできるけど、こっちはノノちゃんのかわいいところがもっと見たいんじゃ見たいんじゃー!

 1と2の総集編どちらにもひとつ気になったのは、エピソード省略のあおりを受けて、キャラがもつ意味合いが根本的に変わってるやつがいたこと。いずれも脇のスジだから気にするほどではないとはいえ、もしOVA未見の人がいたら甚だしい誤解を与えるよな、これ(^^;;

 帰りはラーメン屋「亀王」で油そばを食った。お酢をかけると美味いのよ。
 しかしその一杯にかけた時間のために終電を逃すことになったのでしたとさ。ぎゃふん。
 I氏と別れてネットカフェに退避し、朝を待って帰るのこと。
 結果的に、始発で始まり始発で終わる24時間というかたちになってちょっと面白かったです(笑)

Posted by みやも at 08:44 | コメント(2) | トラックバック (4)

2006年10月28日


ルーンファクトリー始めました

 ルーンファクトリー 新牧場物語

 とうとう10作目をむかえた「牧場物語」シリーズ最新作。 バグがけっこう多いということでも話題になりましたな(^^;;
 寝る前に1,2時間ほどちまちま進めてます。まだ1年目の夏。
 おもしろいんだけど、もはや牧場ゲームとしての面白さじゃねぇよなあこれ(笑)
 この路線のまま次があったら、しまいにゃトルネコというかチョコボというかローグライクゲームの方向に進みそうだ。

 なお、初回プレイの結婚イベントはビアンカ狙いで。
 メインヒロインのミストは何か言動が微妙に恐いので後回し(笑) じつは腹黒いんじゃないか、おまえ。

Posted by みやも at 22:45 | コメント(0) | トラックバック (0)

2006年10月27日


月末の予定

 もうすぐこちらの圏内でも「トップをねらえ!」1&2合体劇場版が上映されます。
 とりあえず29日に行くのは確定。福井ゆかりんが舞台挨拶に来るらしい。
 こっちのガイナファンが一極集中して混むかもしんないなー。早めに並んだ方がよさそう。
 翌30日から別の劇場で上映が始まるんですが、テンションが維持できてたら再観賞しようかな。なぜならばっ!!!  



トップをねらえ2! & トップをねらえ!
合体劇場版BOX

出演:
(1) 日高のり子、佐久間レイ
(2)福井裕佳梨、 坂本真綾、
監督:
(1) 庵野秀明
(2) 鶴巻和哉

 もう予約が始まってるんですね。
 まあ劇場公開はプロモーションみたいなもんだということでしょうか。

Posted by みやも at 22:20 | コメント(0) | トラックバック (0)


「四丁目の夕日」

おともだちに貸してもらった漫画を読んだ。

山野一『四丁目の夕日』
 印刷工の息子が、貧しいが夢をもった優秀な苦学生から一転、家族も恋人も将来も失って人生のどん底のさらに底へ転げ落ちていくさまを描いた暗黒半生記。

 不幸の連鎖がどこまでも続く主人公の彼岸に、金持ちでイケメンで順風満帆な日々を淡々と送る友人が出てくるんだけど、これは別に対比して主人公の惨めさを強調しようとしてるわけじゃなくて、恵まれてようが恵まれてなかろうがどっちにしても人間レベルの生なんぞ無情無意味だという全体的な俯瞰のためのキャラであって、どちらかといえば不幸サイドによりがちな一般大多数にとっては、むしろ恵まれた者がドライに相対化されていることに救いを感じていいんじゃないかと思った。

Posted by みやも at 07:49 | コメント(0) | トラックバック (4)

2006年10月25日


昔の日記を読み返しながら反省

 うーん、気恥ずかしい!(笑)
 ここ数年はだいぶ気をつけてきたつもりだったけど、やっぱまだ「〜したほうがいい」「〜したほうが面白い」を「〜すべきである」「〜しなければならない」と混同した記述がちらほら散見されるなあ。なかなか治らないんだよね、この慢性病。

 とはいえ、そうやって昔の自分を恥じている今の自分も、2年後3年後に思い返したらものすごく薄くて浅くてこっぱずかしいやつに感じるんだろうな。

Posted by みやも at 22:54 | コメント(0) | トラックバック (2)


ブラック・ダリア観てきた

 ブライアン・デ・パルマ監督、ジェイムズ・エルロイ原作。
 その筋では有名な、1940年代L.A.で起きた女性惨殺事件(迷宮入り)に題を取って、四人の男女が織りなす二重の三角関係をからめたサスペンス映画。パンフレットで監督と原作者に柳下毅一郎先生がインタビューしているといえば、"その筋"がどの筋か分かろうというもの。
 1時間59分と結構長めなんだけど、これでも原作をかなり圧縮してるらしい。あいにくエルロイの原作小説はまったく未読……いや、「L.A.コンフィデンシャル」は映画とあわせて読んだような覚えがあるな。全然記憶にのこってないけど(^^;; 

 んでもって、この映画一番の見どころはというと、 死体よりも顔が恐いヒラリー・スワンクより顔が恐いフィオナ・ショウの気違い芝居 ですかね。
 もしも「何がジェーンに起こったか?」をリメイクする時が来たら、ぜひショウ女史の起用をお願いします。
 
 あと、ジョシュ・ハートネットくんハッスルしまくりんぐ。やっぱり肉喰ってる人種のセックスは激しいね!  

【参照】※グロ注意
ブラック・ダリア事件

Posted by みやも at 00:13 | コメント(0) | トラックバック (0)

2006年10月23日


購入録


超こち亀
著者:秋本 治 価格:¥2,100

 こち亀の連載30周年記念本。
 いろんな作家が祝辞イラストを載せたり、コラボ短篇を描いたりします。ゴルゴ13やらフリーザやらルパンやらと両さんが共演する図なんて他じゃ見られませんな。


カラクリオデット (2)
著者:鈴木ジュリエッタ 価格:¥410

 ロボ娘マンガの第2巻。
 オデットかわいいよオデット。

Posted by みやも at 14:18 | コメント(4) | トラックバック (1)

2006年10月22日


ものすごく腰の低いラスボスからの最後通牒

「いや、もうほんと、すみません。申し訳ない、うん、申し訳ないんですけども、ちょっとこう、世界をね、征服とか……ああいやいや、語弊があるのはじゅうじゅう承知しておりますが、あえていうなら征服ってことで、ええ、ええ、全世界をって方向で、はい、まず最初はそちらにお覚悟いただけましたら、ありがたいかなと。ええ、こころもち略取のほうもさせていただきますけれども、メインは破壊と殺戮、あと可能でしたらということですが、拉致監禁と陵辱についても、まあ、おいおい検討させていただくということで一つ、はい。もちろん女性と児童は最優先で、ええそうですね、いちおう例外は無しにしてもよろしいかと考えております。はい、はい……ええと、抵抗ですか? はい、無意味でございます。ええ、ではまた後ほどあらためてということで……お手数かけます、はい、これで失礼いたします……ではまた……」

Posted by みやも at 02:21 | コメント(0) | トラックバック (0)


最近のかんがえごと

▼媒体とジャンルと時流によっては、「リアリティにあふれている」というのは致命的な想像力の欠如を指摘する厳しい批判である。

▼ある様式が伝統か一過性の奇形的流行かは、そのおおもとの当事者が健在であるうちははかることができない。それはまだ直接の「記憶」「影響」であるから。当事者がいなくなって、世代交代による新陳代謝のどさくさで起源の具体的詳細がぼやけても尚フレームが受け継がれていれば、伝統と呼べる。

▼上項に通じる問題として、「英雄は死んで完成する」ということがある。ここでいう「死」は、「民衆の目にも手にも届かないところへ移る(そして彼について語る営みだけが残る)」ということであって、旅立ちや隠遁でもいい。ヒーローをあつかう物語の結末に一定の消失傾向があるのは、それによって人を超えたものを完成に至らしめるという側面もあるだろう。物理的証明となる本人がいるうちは、いかなる偉業も人のわざでしかない。しかし当人がいなくなることでようやく、いくらでもそのわざを大きくふくらませて語ることができるようになる。つまり、言い方をかえれば「英雄は死んで始まる」とも表せようか。

▼ある種の毒舌は、虚飾を厭う誠実さのあらわれでもある。

▼教養は、それを身につけつつあること/身につけようとしていること/身につけるべきだと考えていること……をわざわざ自分から表明した瞬間、野暮な衒学趣味の喧伝に堕する。教養は、なるべく結果であって目的ではないことが望ましい。目的化する場合には慎みが求められる、もしも余人にうっとうしがられたくないのならば。

▼本人が本人の属する仕事を擁護するために何かを言った場合、言っていることの正しさとは無関係に、一般大多数の感覚的な支持を得にくいという難しい立場にたつ人々がいる。

▼何らかの事象が「都合よくいくこと」を否定しようとする向きには、ときとして「都合よくいくものなんてないという自分の考えに都合よくいくこと」に固執しているのを自覚していない場合もある。

▼ひとと会話するうえで、相手のタイプが
話し上手/話し下手/
話し好き/話し嫌い/
聞き上手/聞き下手/
聞き好き/聞き嫌い/
のいずれが組み合わさっているか判別していないと、相手に無理をさせてしまうことがある。話すのが上手だが嫌いで聞き好きという人もいて、それをただの話し好きと勘違いしてえんえん喋らせるのは酷使になる。また、自分がどのタイプかを見極めておくと無理がかからない。相性の悪い組み合わせを中和するために第三者を招くという方策も取れるようになる。

Posted by みやも at 00:01 | コメント(0) | トラックバック (0)

2006年10月21日


「スネーク・フライト」観てきた

公式サイト

 悪党が飛行機に蛇をたくさんバラまいたけどサミュエル・L・ジャクソンが頑張って退治する映画。ジャクソンは作品のアホな題名(Snakes on a plane;飛行機に蛇だらけ)を知っただけで出演を快諾したとかいう話ですが、ほんまかいな。

 んんー、思ったよりはっちゃけてなくて残念だった。いや、予想からも期待からも大外しはしてないんで損をした気分は全く無いんですけども、どうにも生煮え感が……。この設定でそんな手堅さは逆にヤボでしょう、みたいな。
 建前ノンフィクションの「ユナイテッド93」があそこまでパニックホラーの極に立ってみせちゃった後でもあるので(不謹慎を承知でいうと、あの映画は映像上「ゾンビ」的な"負の快楽"の原液がぶちまけられていた)、こっちの要求がいくぶん高過ぎたのだろうか。

 でもさー、少なくとも、あのキックボクサーはもっと活用せにゃあかんでしょう!!(笑)

Posted by みやも at 19:33 | コメント(0) | トラックバック (0)

2006年10月20日


日記;「孤独のグルメ」ごっこ失敗

 きょうは「孤独のグルメ」よろしく平日の真っ昼間に一人で焼き肉喰ってこようと思い立ち、お出かけ。あるいは牛カルビに向かって「いやらしく俺を誘惑するこの淫らな肉め!」と罵ってみたかった。

 ……しかし、めあての焼肉屋の前まで来たところで、平日に店が開くのは夕方からだと気づいてがっくり。いつも土日に行ってるから失念してたや。

 「孤独のグルメ」ごっこのためだけに半日つぶすのも不毛なので、とりあえず隣にあった回転寿司屋へ入って第2話(板前へ注文する声がなかなか届かず「いかんな、タイミングがずれてる」と内心で愚痴る)を再現せんとする。しかし注文がデジタルパネル式になっておりこれも頓挫。くそっ、なんて時代だ!

 しょうがないので帰宅。
 戦果が皆無なのはしゃくなので、帰りの途中、酒屋さんでオーストラリア産のノンアルコールビール「WEST END EXTRA LIGHT」を1ケース買ってみた。1箱24缶で1700円。1本あたり70円余。おお、安い。

 さらに、「琉球三味線教室」という看板に不気味な巨大ぬいぐるみが据え付けられている謎の建物を発見。思わず写真に撮ってしまった。

0641020-1.jpg  061020-2.jpg

 手入れもされず苔すら生えてなお堂々たるクマさんの容貌は、幾多の戦場をくぐり抜けたかと思わせるほどの風格である。

Posted by みやも at 21:32 | コメント(0) | トラックバック (0)


今週のサンデー

 「ハヤテのごとく」がああいうネタだった後に新連載が"日本初の花屋さん漫画登場!"というアオリなのは微妙ないやがらせになってしまってるような(笑)

 んでもって。その新連載「助けて!フラワーマン」ですが……。
 
   / ̄ ̄\
 /   _ノ  \
 |    ( ●)(●)
. |     (__人__) 週一回バラ百本の方が贈る方も受け取る方も
  |     ` ⌒´ノ  精神的にハードル高いだろ
.  |         }  常識的に考えて…
.  ヽ        }
   ヽ     ノ        \
   /    く  \        \
   |     \   \         \
    |    |ヽ、二⌒)、          \

 漫画だからあのくらい極端でいいんですけども(^^;;
 ともかく、あれで引かなかった(どころか……)彼女さんは大物だと思いました。いや、女性心理は分からないのでうかつなことは言えませんが。

Posted by みやも at 09:21 | コメント(0) | トラックバック (0)

2006年10月19日


「おぼっちゃまくん」一気読み

 先日、とある折にコロコロを読んでいた子供時代を思い返してたら、ふと「おぼっちゃまくん」を読みたくなりました。茶魔の許嫁のひとり、志摩子ちゃんが好きでねえ(一巻に登場) 俺の褐色肌キャラ好きの原体験かもしれん。

 で、こないだ日本橋界隈のめぼしい書店をめぐってみたんだけど、文庫版も含めて案外見つからないのな。あんだけメジャーな漫画なわりに……。 バラでならチラホラ見かけるんだけど、全巻一気そろいとなるとハードル高い。

 けっきょく、問い合わせや取り寄せに時間をかける気もないので、楽天のオークションでさくっと落札。全24巻で12k円……一冊500円相当か。 衝動をおさめる代金としては高くついた。とほほ。

 


 という次第で、久々に読んでみたわけですが。
 うわー、やっぱ読者を巻き込むやり口が徹底してるなあ(笑)
 お話のスジが通らなくなるギリギリいっぱいまで、とにかく読者から募集した茶魔語・茶魔ポーズをページにねじ込むことに腐心してるのが面白い。
 もちろん、児童向け媒体で「ぼくのかんがえた●●」で作品と客の距離を近づけるのは常套手段ですけどね。いまだとゾロリのダジャレ募集とか……やってたっけ?

 ただし、おぼっちゃまくんの場合はお客さんのアイディアを取り込んだら、一回限りのお義理じゃなくて、強化パッチとしてメインの持ちネタに加えて、永続的に使用していく例が多いのが特徴。
  "読者が"キャラを所有してる感覚を高水準で提供できた→企画としての立ち位置が本作最大の勝因であって、茶魔自身の個性はあくまでそのための材料でしかなかったり。あれだけ強烈な性格設定でありながら、作品(企画)に従属するタイプの主人公だったんですねえ。これは昔は気づかなかった。

 余談。
 はいはいレースの回での、貧ぼっちゃまの「お前には責任があるかもしれんが、俺には生活があるんだ」というセリフは、今みると切実すぎる(^^;

Posted by みやも at 03:49 | コメント(0) | トラックバック (1)

2006年10月18日


近所で見かけた看板

061018.jpg

 近所で見かけた自治体の呼びかけ看板。
 なんか「コーランか剣か」みたいな容赦ゼロ感を醸し出していてかっこいい。

 ちなみに、これの前は

「変質者 やめてほしいね そんなこと」

 という文言だった。
 なんでそんな遠慮がちなんだ。

Posted by みやも at 05:28 | コメント(0) | トラックバック (7)

2006年10月17日


「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった


 「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった
 ―誤解と誤訳の近現代史

 著者:多賀 敏行 新品:¥ 714

 を、読んだ。
 マッカーサーの「日本人は十二歳の少年」、ECの報告書にあった「ウサギ小屋」、パキスタン首相の「エコノミック・アニマル」発言などなど、日本の論壇やジャーナリストがネガティブな意味で引いてきたワードが、一次資料にあたってみるとひどい誤訳・誤解にもとづいている場合がけっこうあったよ、という内容の本。

▼「日本人は十二歳の少年」
 1951年、アメリカ上院の公聴会でのマ氏の発言。
 戦後、民主主義とか自由といった観念を享受するにあたって、封建システムから解放されたばかりの日本人にはそれらを年若い子供のように吸収する柔軟さがあるという評価のことば。 (ワイマール憲法下の民主主義政府が永続せずヒットラーの台頭を許したドイツとは違って、日本の民主化は不可逆的に定着するということを強調したかったらしい)

 それを当時の朝日新聞→同紙「天声人語」が前後の文脈をすっとばして変なふうに怨み節でとらえてしまったのが国内で尾を引いて、マッカーサーが日本人をガキ扱いした発言ということになってしまったようです。
 しかし実際は、占領国の傲慢にもとづいているにせよ、すくなくともマッカーサー当人の意として侮辱のつもりはまったくなかったんですね。

▼エコノミック・アニマル
 1965年、アジア・アフリカ会議の記者会見でパキスタンのブット首相が日本人を評して言った言葉。

 「ビースト」ではなく「アニマル」というのがポイントで、これは例えばチャーチルをポリティカル・アニマルと評するのと同様、「尋常ではない才覚をあらわす存在」という意味での、むしろ褒め言葉。
 そこの語意を取り違えた当時の日経新聞→朝日新聞と経由して、「日本人は経済にがつがつしたケダモノ」と侮辱された!ムキーという誤解がひろまってしまったもよう。

 ちなみにブット首相はオックスフォード大出身で教鞭をとったこともあり、イギリス英語は完璧だったとのこと。

▼ウサギ小屋
 1979年、EC(欧州共同体)の報告書のなかに「日本人はウサギ小屋のような住居に住んでいる」旨が書いてあって、日本で物議をかもした件。

 報告書の原典はフランス語で、もともと褒める意味も貶める意味もない一般的な慣用句として、cage a lapins(ウサギの巣箱)──積み上げ型の集合住宅、いわゆるアパートのことを表現しただけ。
 これを共同通信→日経新聞→朝日新聞という報道リレーのなかで、フランス語をかなりマズい英語に翻訳したのをさらに日本語に直訳したために、原文にはなかった悪意がひねり出された形跡がある。


 本書は発言者の意図について推測にもとづいている部分もあるので少しばかり差し引いて読む必要はありますが、ともかく原典にあたってる以上、従来の誤訳よりは信頼できる論になってると思います。
 いやほんと、翻訳というのは難儀なもんですなあ。ただでさえメディア自身の政治的ポジションというフィルターを経由する以上、不偏不党絶対公平な翻訳というものはないわけですし、さらにそこへ上記のような、見識不足からくる誤訳まで重なってくる例をみせられると、火のないところに煙がたつ可能性というのは決してまれなものじゃないというのを痛感します。

 そしてこれはなにもメディアにかぎった話じゃなくて、個人対個人のコミュニケーションでも同じことでしょう。
 誤解されるリスク、誤解するリスク。ネットがある現在では、ごく身近なレベルでも切実な問題だと思います。気をつけたいところですね、書き手としても読み手としても。

Posted by みやも at 08:27 | コメント(0) | トラックバック (0)

2006年10月16日


中古漫画購読メモ

 きゅうに"ちょっと古い"漫画を読みたくなって近所の古本市場へ行ってきた。
 以下の漫画を購入。

061016-1.jpg 061016-2.jpg

 ・「柳生烈風剣 連也」野口賢 集英社
 ・「もんもんグラフィティー」 まつもとえいじ 集英社
 ・「マジックしゅんちゃん」[短編集] 真野稔裕 集英社
 ・「アルバトロス飛んだ」中原誠(作) 門馬もとき(画) 集英社
 ・「Hi-Fiギャル先生」 小野寺ひとみ 講談社
 ・「姫太郎」[短編集] 安原いちる(作) 大本鶏(画) 講談社
 ・「バースト」 柴田昌弘 講談社
 ・「リリカル・ナイトストーリー」[短編集] しげの秀一 講談社


 「柳生烈風剣 連也」読了。
 江戸時代、尾張柳生の後継者である少年が、西欧の帝国から攻めてきた傭兵にさらわれた姉を救うため大陸を渡るお話。でもおねえちゃんは自分をさらった傭兵に心身をたらしこまれて弟を拒絶したりと結構ハードな展開をみせる。
 なぜかクライマックスは主人公よりも敵の傭兵の心情やバックボーンを詳細に描いてたり、ちょっと釈然としないところが多い。
 基本的にトンデモなのに妙にしかつめらしくキメた絵を志していて窮屈な感じがした。えーとほら、80年代OVAで時々みかけた、どうみてもバカ設定なのにシリアス一辺倒に突っ走って滑稽になってしまったような、あれと同じ印象。
 馬に引かれる超巨大移動要塞という着想は面白かったけど、活用されずすぐ爆発しちゃって残念。

 「姫太郎」読了。
 描いたのはエンジェルビートの安原先生のアシさんらしい。
 表題作は、事故で入院した不良男子が手術でうっかり美少女顔にされちゃって、そのまま女の子として学校へ通ったら不良どもからモテまくってさぁ大変、みたいな倒錯話。
 他には、学校の問題児3人が一人の少女に想いを寄せる図を切りとった「三人とひとり」、美少女怪盗と青年刑事が同じマンションの隣で暮らしているコメディ「PINKISH」収録。
 どれもヒロインが可愛い! うーん、「姫太郎」はもうちょっと状況が進めば主人公の内面にもっと深く踏み込む余地がおおいにあっただけに、連載だったらよかったのになあと思った。……あ、「プリティフェイス」読めばいいのか(笑)

Posted by みやも at 08:19 | コメント(4) | トラックバック (3)

2006年10月15日


映画「16ブロック」観賞

 天王寺動物園前の劇場シネフェスタにて「16ブロック」観るのこと。
 留置所から裁判所まで証人を護送することになった酔いどれ刑事のお話。普通ならほんの20分で済む距離なのを、とある事情で警官仲間たちから命を狙われるようになり、裁判のタイムリミット2時間以内に任務を果たせるか危うくなってしまうという筋立て。ブルース・ウィリス主演でリチャード・ドナー監督……なんだけどリ−サル的な爆発いっさいなし!セックスもなし!の硬派?シチュエーションサスペンスでありました。
 いきなり●●●に言及するシーンがあってちょっとビックリした。そういえば向こうでも人気あるんだっけ。

 テーマ的には「人間は変われるか」というお題目のもとで、劇中の解はまあ納得できる範囲だったかなと。悪徳のためにマイナスへ落ち込んでいた人生を良心によってなんとかゼロまで引き戻すというくらいの意味でなら変われる、という寓話になってて、ハリウッドのアクション映画にしてはわりと慎ましいなあと感心した。

Posted by みやも at 09:32 | コメント(0) | トラックバック (2)

2006年10月13日


防犯エレベーター随想

 物騒なことが続く昨今、防犯のコンセプトを軸にしたいろんな製品が開発されることおびただしいですな。そんな中、テレビで防犯エレベーターなるものを紹介しているのを見かけました。基内にいる人間の「輪郭」などをチェックして、動きの激しさを自動的に識別するシステムが導入されているとのことで、密室と化したエレベーターで暴行がおこなわれていたら機械のほうで勝手に警告・通報をしてくれるすぐれものだそうです。よくできてますねー。

 しかし、それを見た俺の最初の感想は、

「エレベーターでひとりになると思わずシャドーボクシングしてしまう癖のある人間には大変やなあ」

 ……ああ、厨房脳(^^;;

Posted by みやも at 18:26 | コメント(0) | トラックバック (0)

2006年10月12日


ビックリマンの新作アニメ

 ハピラキ!ビックリマン

 15日からスタート……なんだけど、関東のみ放映だそうで。しょぼーん。
 キャラデザ担当が青山充。プリキュアファンにはお馴染みですね。
 十字架天使のCVが池澤春菜。
 草尾さんは牛若、ニューロビン、フェニックスに続いて4度目の起用。
 主題歌は高取ヒデアキ氏。ちくしょういいなあ。

 うーん。
 せめて大辞典だけは入手して己を慰めるか……

 アメコミとか、スターウォーズ式の大作映画にもいえますが、ビックリマンみたいに神話もどきでエンターテインメントを組み立てていくうちにいつの間にかほんまもんの神話としての格を手に入れるコンテンツってのは結構たくさんあって、人間の根深い性質にかかわる作業として、とても興味深いものだと思います。

 ただし、いまでは吟遊詩人や村の老人といった個人レベルの語り部じゃなくて、公に広く顔を向ける企業体が神話の波及のなかだちをするってのが現代的で、それがまた面白い。
 個々の人間の口を借りて伝播する神話伝承ってのはあやふやさを許す度合いが大きいので、人から人へ渡る過程でどんどんズレたり、そのズレを修正しようとするせめぎ合いのなかで物語が生命を獲得していくわけですが、企業体がリリースする商品神話の場合、「公式設定」というフレームにかっちり守られており、大衆は主に"解釈"の次元でのせめぎ合いで物語から生命力を引き出すことになります。そこがちょっと違う。
 もっというと、公式という「一次」のレベルがあるために、それを受けた人々が今度は自分で物語ろうとするときは、「二次」創作というレッテルに甘んじなければならないという点も古今の違いですね。物語の再生産において"設定が正しい/間違っている"とか"オフィシャルに従う/従わない"という考え方がここまで強くなったのは、じつはけっこう最近(ここ100年くらい?)のことなんじゃないかとも思うんですが、どうなんでしょうね。

Posted by みやも at 20:35 | コメント(0) | トラックバック (0)

2006年10月11日


きょうの妄言

 「パンチラ」と「チンピラ」って語感似てねぇ?
 ていうか、「チンピラ」ってちんちんがトランクスの隙間からピラって見えてるみたいでエロくねぇ?
 でもそうすると「チンピラ」と「はみチン」が競合してシステムエラー。エラーっていうかエロー。
 エロー、エブリバディ(挨拶)

Posted by みやも at 23:32 | コメント(0) | トラックバック (0)


ザ・センチネル -陰謀の星条旗-

を、観た。

 公式サイト

 ふつうにつまんない映画でありました。しょぼん。
 「逃亡者」めいたオーソドックスの手堅い展開のはずなんですが、この場合は主人公がハメられるきっかけが自業自得の面もあるのでいまいち肩入れしづらく。
 高潔なプロフェッショナルが職場の外に飛び出して、そこでプロとしての力を活かして危難をきりぬけるのがおもしろいのに、出発点がプロ失格なところに拠ってるのはどーなんだと。マイケル・ダグラスの下半身事情になんて感情移入できるかっ!(笑)

 サザーランド出して「24」の余勢をかりればどうにかなるというもんでもなかろうや。

Posted by みやも at 05:23 | コメント(0) | トラックバック (3)

2006年10月10日


その前のわたし、その後のわたし

 ミステリやなんかに限らず、なにか知らなかったこと(たとえば映画とか小説の内容など)を知ったときに、それをまだ知らなかったときの自分と知った後の自分というものをくらべてイメージしてみて、ギャップにゾクゾクすることがあります。ありませんか?(^^;; とりあえず僕にはあるんで、個人的な問題として以下に続けます。

 一体、これは何なんでしょうねえ。
 手品のタネを知った者が知らない者に対するような優越感?
 でも、自分が知っていることをまだ知らない他人が目の前にいても「ああそうなのか」と思うだけなんですよ。あくまで、知る前と知った後の「己のギャップ」がポイントらしい。

 なんでしょうねえ、単純な克己心とか成長する喜びみたいなきれいな感情とはちょっと違う苦みが混じってる気がするんですよねー。
 ひょっとしたら、ひとつのことを知ってしまって、いやでも以前と同じ自分ではいられなくなった=ある種の生まれかわりを通過したという認識がこころを震わせているのかもしれません。もともと人間は(生理的なレベルで)安定志向の存在であるため、自分が変化するのを自覚するってのはとても恐ろしいことですからね。

 人間精神の一貫性というやつも案外もろいもので、「その前のわたし」と「その後のわたし」を意識するだけでそこにはふたつに引き裂かれた自分が生じてしまいます。そして、自分はつねに「その後」の側に、つまりいま現在の岸に立って、それ以前のわたしとは死者と対するように隔絶し、懐かしんで思い悼むしかなくなる。ものを知るってのは知らなかった自分との死別なんでしょう。

 で、死んで生まれ変わって、死んだ自分と新生した自分をうまく折り合いつけるにはそれ相応のエネルギーが必要で、燃料が足りないとなかなかそれをおこなうのが難しくなります。
 たまにすごく疲れすぎると、気を休めるためのはずの本を読んだりビデオを見ることすらおっくうになって手が伸びないことがありますよね。気が休まる自分に生まれ変わるのもまた最低限いくらかの力が必要なアクションですので、その力が足りないうちは踏み出せないわけです。

 でも、だからといって、いつまでもそのままというわけでもない。
 しばらくすればまた知りたいこと、知りたいものはいずれ沸いて出てきます。ふと気づけば、そちらへ引き寄せられ、腰を上げるようになる。そういう意欲が、エネルギーが湧いてくる。
 先に安定志向と書きましたが、それは完全な停滞を自らに許すということではなくて、「変化しつづけるという安定」つうものもあるんですね、きっと。だから、いつまでもつよく刺激され続けることに堪えきれないのと同様、刺激の入力がまったくない状態もまたいつまでも続けるわけにもいかない。
 そうやって、人間は変わって、動いて、止まって、また変わって──先へ進んでいく。進みながら、本当の、物理的な死に近づいていく。
 それらのことは人間にはどうしようもない根本的な原理であって、その圧倒的などうしようもなさを瞬間的に凝縮してイメージするから、身体全体にゾクゾクした心地が走るのではないかな、と。
 とりあえずは、そんなふうに思っています。

【まとめ】
 「トップをねらえ2」を観る前のみやもは死にました。
 いまここにいるのは「トップをねらえ2」を観たあとのみやもです。

Posted by みやも at 00:15 | コメント(0) | トラックバック (0)

2006年10月09日


使いたいことばがある。

 いま俺は猛烈に「なぜならば」ということばを使いたくてたまらない。
 なぜならば!!

 はい、その通り。
 「トップをねらえ!2」全話観てノノちゃんにどハマりしたからです。
 だってさー彼女●●●だしさー!!

 お話は3話で確変突入、4話で大当たりって感じ。途中まで続編を謳う必要があるのかどうか微妙だったけど、最後まで観るとちゃんと仁義を果たしてたのでよかったよかった。劇場版(総集編)を1&2いっしょにやる必然性はあったんだね。

Posted by みやも at 12:17 | コメント(0) | トラックバック (5)

2006年10月08日


とある映画の上映前に「ソウ3」の予告編やってたんですが

 ジグソウ、余命いくばくもない設定でしぶといねえ。
 こういうのも死ぬ死ぬ詐欺っていうのかしらん(不謹慎)

Posted by みやも at 23:23 | コメント(0) | トラックバック (0)

2006年10月07日


新番組チェックの日々

 第1話を観た番組↓

コードギアス 反逆のルルーシュ

 近未来、日本を占領した鬼畜米英の横暴に、法の内側と外側から立ち向かう少年たちのドラマ……になるのかな?
 ロボアニメのわりに主人公があっさり超人になったり(どうも仮面とマントのダークヒーローになるっぽい)、合わせ技で攻めてきますな。うまくやればいいけど、へたをうつと散漫になる危険球。お手並み拝見。

 主題歌はFLOW。エウレカの初代OPに近いお仕事なんだけど、あんま盛り上がらない曲だった。……ような気がする。
 エンディングはアリプロ。このいつも通り観はすごいね。

 合わせ技といえば絵的な意匠もそうで、ぱっと見いかにもキムタカ先生なキャラといかにもCLAMPなキャラが混在してて面白い。(CLAMPはキャラ原案だから、キムタカ氏があえて絵柄を組み込んだのだろうか)
 スザクの小狼くんっぷりは異常(笑)

 とりあえず絵ヅラを確認したかっただけなので、ガチ視聴はここまで。あとは流し見。


ライオン丸G

 往年の特撮ヒーローの新作(?)
 今度は近未来の歌舞伎町を舞台に、三流ホストのヘタレエロ男が主人公に。

 ああ、これは深夜で放送する必然性があるわ。
 「ピンクだよ! どピンクだよ!」「なにこれー たすけてー」とか、ひでぇなぁ(笑)
 テンポはいいし、元より子供に見せることは放棄してる立ち位置なんで「かくあるべし」にこだわらなければ普通に楽しめるんじゃないかと。
 あとは、いろんな意味で品が無いのを受け付けるかどうかが一番のハードルか。


流星のロックマン

 「おはコロシアム」内でサルゲッチュといっしょに放送。
 電波を物質化する技術があったり電波ウィルス(!)が機械に悪さをしたり電波警察が活躍したりしてる未来世界のお話。 15分枠で何十回「電波」って連呼してんだよ!(笑)
 そして主人公は親父が死んだショックで登校拒否中。どんな第1話だ。

 ヒロインになるらしき女の子が露骨なお嬢さまデザインなのが面白いかも。この手のドリルヘアー系が対抗馬や第3ラインではなく正ヒロインって例は案外少ないような気がする。


 そして関西では今夜、1:30から「史上最強の弟子ケンイチ」が放映。師匠陣のキャストが豪華なので楽しみれす。
 絵的には「格闘美神武龍」と同じ製作ということで憂慮の声も聞かれますが、さてどうなってるか。

Posted by みやも at 21:03 | コメント(0) | トラックバック (3)

2006年10月06日


ことばのスクラップ 「ホーエンリンデン」


 いま読んでいる『イギリス名詩選』に「ホーエンリンデン」が収録されていた。
 1800年12月、モロー将軍ひきいるフランス軍ライン方面軍がホーエンリンデン(ミュンヘン東方にある村)の戦いでオーストリア軍を破ったときの情景をうたったもので、作者はスコットランドの詩人にしてジャーナリストだったトマス・キャンベル。

 この詩は『赤毛のアン』の中で名前が出た……らしい。覚えてないけど。
 悲壮な死闘の雰囲気になんとなく厨房回路をきゅんきゅん刺激されたので、平井正穂センセの訳とあわせて書き出しておく。


[ホーエンリンデン]

日西に傾き、リンデンの野に白雪霏霏(ひひ)、
ために人跡消え、血痕消ゆ。
イーゼルの大河、冬のごとく、
  暗澹として滾(たぎ)りて流る。

深夜となるに及び戦鼓轟き、
リンデンの情景忽ち一変。
戦鼓は、必殺の砲火を発して
  暗黒の夜景に照明を命ず。

整然たる炬火(きょか)と喇叭(らっぱ)に応じ、
騎乗の兵白刃を抜く、一騎また一騎。
怒れる軍馬また嘶(いなな)き、
  流血の狂宴に馳せ参ぜんとす。

忽ち雷鳴天を裂き、山また震い、
忽ち軍馬敵陣めがけて殺到す。
天を揺るがす霹靂(へきれき)のごとく
  轟然と砲火発す、一閃また一閃。

砲火閃き、リンデンの山に炸裂し、
白雪ために鮮血淋漓(りんり)。
イーゼルの大河の奔流、
  さらに濃き鮮血に染まる。

朝来たり、日低く出で輝かんと欲するも、
空に流るる戦雲に阻まれて昏(くら)し。
フランスとオーストリアの猛き両軍、
  拮抗し怒号す、硝煙の下。

戦雲深まる。突撃せよ、勇者らよ、
栄光へ、死地へ、と突撃せよ!
ミュンヘンよ、汝の旗幟(きし)を振れ、
  騎兵の全軍団を投じて進撃せよ!

密集隊形のまま、生還を期することなく進め!
白雪は汝らの白き屍衣(しえ)、
踏み躙(にじ)る草地は
  汝らの墳墓の地。



[HOHENLINDEN]

On Linden, when the sun was low,

All bloodless lay the untrodden snow;
And dark as winter was the flow
Of Iser, rolling rapidly.

But Linden saw another sight,
When the drum beat at dead of night
Commanding fires of death to light
The darkness of her scenery.

By torch and trumpet fast array'd,
Each horseman drew his battle-blade,
And furious every charger neigh'd
To join the dreadful revelry.

Then shook the hills with thunder riven;
Then rush'd the steed, to battle driven;
And louder than the bolts of Heaven
Far flash'd the red artillery.

But redder yet that light shall glow
On Linden's hills of stained snow;
And bloodier yet the torrent flow
Of Iser, rolling rapidly.

'Tis morn; but scarce you level sun
Can pierce the war-clouds, rolling dun,
Where furious Frank and fiery Hun
Shout in their sulphurous canopy.

The combat deepens. On, ye Brave
Who rush to glory, or the grave!
Wave, Munich, all thy banners wave,
And charge with all thy chivalry!

Few, few shall part, where many meet!
The snow shall be their winding-sheet,
And every turf beneath their feet
Shall be a soldier's sepulchre.

Posted by みやも at 06:07 | コメント(0) | トラックバック (6)

2006年10月05日


最近よくやるあそび

 最近、なにかちょっとでもショックなことがあったら、すぐさま脳内で「ふしぎ遊戯」ED曲 *1 のイントロを流すことにしています。
 なんかすげぇドラマチックな人生を送ってる気分になれる、そんな遊び。


 
ANIMEX1200 Special
「ふしぎ遊戯」オリジナルサントラ

新品 Y 1,260

*1 : 今野友加里「ときめきの導火線」
Posted by みやも at 23:21 | コメント(2) | トラックバック (2)


作家が作品を生むのではない、作品が作家を生むのだ!みたいな話

 
 以下、ただの言葉遊びでしかないのは承知の上でメモしておく。


 たぶん、「(作品名)の(人名)」で売り込まないといけなかったクリエイターが認知されて「(人名)の(作品名)」で語られるようになったら、いっぱしの作家だとみなしていいんでしょうね。本人が固有の芸風を巷に知らしめて、自分をひとつのジャンルとして成立させる、そんなポジションを築いてるヒトはかっこいいもんですよな。

 ただし、それ以前の根本的な要件として、たとえば映画なら「監督」「俳優」「脚本」「製作総指揮」「音楽」みたいに、肩書きそのものがお客さんの意識に定着する必要がありますよね。
 エロゲーでいえば「(シナリオライター名)の(作品名)」が体系立てて言及されるようになった近年の状況には、その前段階としてエロゲーには「シナリオライター」という仕事があって、大きな働きをしていることが見過ごされることなく認識されなきゃいけなかった。

 そして更にさかのぼると、そういう肩書きが意識されるのは、けっきょく最初に作品が認知され評価される(もてはやされる)ところから始まっているわけです。まず作品が世に広く知られたから、次に、いったい何者がそれを著わしたのかという興味で人物にスポットが当たるのであって、逆ではありませんよね。他のどんな畑にも何の実績のない新人ライターがデビュー作も出ないうちに作家先生としての待遇を求めることは普通できまへん。当たり前ですが(^^;;

 なので、じつのところ、「作品が作家を生む」という言い方こそが正しいのではないでしょうか。
 なんでこんな事をくどくど書いているかというと、ぼくたちはややもすると「(内在する)作家としての才能・性格」と、「(外在社会的な)作家としてのありかた」を、どちらも「作家性」という一つの単語で混同しがちなので、そのへん区別はつけて語りたいものだなあと、ふと思った次第なのです。


 著名芸能人が本を出すメリットは、上で書いたような作家性の発生プロセスを省略して、すでに人々に浸透している自分のキャラを作家性に代替できる、つまり「最初から作家でいられる」立場にあるという見方もできます。
 ひとによっては、ああいう芸能人の書く本に「なんかズルい」感を抱いてしまうのはそのへんもからんでいそう。

Posted by みやも at 02:14 | コメント(0) | トラックバック (6)

2006年10月03日


大きいことは強いことだ 漫画のコマ面積=意味の強度

 以下は、ものすごーく当たり前の話です。
 ……なんですが、僕ていどの人間だと、あたりまえのことでもことばにしておかないと分からないまんまになりそうなので私用にメモしておきます。


 現在、多くのエンターテイメント系漫画においては、コマの面積=描かれる発言・行動の意味の強度である。
 相対的に小さなコマで描かれた人物の言動のあとを受けてやってくる、より大きなコマで描かれた人物の言動は優位であり、前者を制圧する──物理的にやっつけるというだけではなく、印象的で説得力のある台詞で相手にハッとさせて場面(会話劇=ことばを介した感情のせめぎあい)の主導権を握るなど──という原則がある。

 たとえば「ARIA」でもなんでもいいが、ウジウジ悩んでいる人物に誰かがズバっと光明を差し込むような印象的な台詞を演出する場面で、この原則は活用されている。台詞自体は実質的には全然たわいないものであっても、大きな面積で描かれると問答無用で「ああ、なんか説得力のあること言ってるんだな」と納得させられることがある。大きく描かれたモノの威力というのはなかなかあなどれないのだ。それを可能限界ぎりぎりいっぱいまで拡張していくと、いわゆる見開きをつかった表現にいきつくのだろう。

 展開に決定打を与える決めゴマというのは、たった一言を吐くところをでも大きい面積をつかって描き、それが「強い」ことが示される。
 たとえば、まったく同じ構図のコマの連続で、まったく同じ割合の台詞を一言ずつ吐いている二人がまったく同じテンションで交互に描かれていたとしても、面積をいじるだけで一方が優位に(逆に劣位にでも)立った瞬間を印象化することができるのがおもしろい。

 これは、ごく単純な「大きいものは小さいものより強そうにみえる」印象価の原理であって、大きく描かれたことば/ふるまい/気持ちには強い意味がある(ように思わせる、思える)というだけのことではあるのだが、この原理の介入をディスプレイの単位で許容してくれるというのが、他のメディアにはあまりみられない、並存画面メディアとしての漫画の特徴といえる。
 かつて原初的なコマ漫画では、画面を並べて話をつなぐというのは構造であり方法であった。それが、やがて並べる画面の面積を操作すればストーリーに意味のリズムを加味することができるという武器に進化したのであろう。
 こういう面積の運用がいつごろから明確になったもので、またそれが自然の進化だったのかあるいは自覚的積極的に開拓した作家がいたかどうか。僕は寡聞にして知らないので、漫画史にくわしい識者に尋ねたいところである。


 補足すると、ここで述べる「強い」というのは量的なものであって、必ずしも状況として「勝っている」場合とは限らない。愛する人間を殺された者が述べる呪詛のシーン、試合の勝者に向かって敗北者が血を吐くような悔しさを訴えるシーン、失恋させたキャラに失恋したほうのキャラが大きなコマで泣きごとを垂れるシーンなどを、時として"勝った"側を圧倒する形の大ゴマで描くのも、そのネガティブな事実を「強く」意味づけるための面積操作の一環である。


 しかし、この「意味の強い大きなコマ」に依存しすぎて濫用すると、大コマばかりで間延びした、メリハリのない漫画になってしまうことになる。
 週刊少年漫画の畑では、一部には独自の"見得切り"の伝統芸として擁護すべき領域もあるが、それを差し引いてもやはり意味(含み)をもたせようとしすぎて逆にスカスカになっている作品が散見される観がある。具体例は挙げないが。


 応用。
 コメディにおいては、こういう意味の強度をわざとずらすテクニックが多く用いられている。
 意味ありげな言動を大きな面積で描いておいて、直後にあっさり何の意味もなかったことが明かされるとか、ものすごく大事で重いことを小さく小さく描いて違和感を醸し出すなどのやりくちで笑わせるのは、意味の摩擦を核とするギャグ漫画の常套手段である。


 余談。アニメの話。
 厳密には漫画原作のアニメ化作品についての話。
 一般に、漫画→実写に比べて距離が近そうに考えられがちな漫画→アニメ化タイトルに際しても、その一見した近しさがかえっていくつかの困難を生んでいることも指摘されている。よくいわれるのはイマジナリーラインの要請がゆるい漫画から固いアニメへどう移すかという問題である。

 そして、上で述べたコマ面積の相対的な比較が許される漫画と、単画面メディアであるアニメのギャップも大きな障碍となっている。ふつう一度に一図をつらねていく"紙芝居"的メディアで、画面分割や、前の画面と後の画面がサイズを変えるのは一般技法ではなく特殊技法になってしまう。通常では、いかに同じワクを続けたまま、キャラのふるまいの意味強度を原作漫画と同じに表現するか──もしくは切り捨ててまったく新しい解釈を入れるか。アニメ化作業というのは、この厚い壁へのチャレンジである。音やエフェクトの入れ方、カットのタイミングなどによる微妙な演出の折り込み手腕が問われ、それを踏み外すと、まったく忠実な運びであってもなんだか印象がぼやけたアニメ化になってしまうのである。どんなに枚数を費やしても、そこに込められる意味のピントがずれた映像化は見ていてつらいものがある。具体例は挙げないが。


 余談。ゲームの話。
 ADV系のギャルゲーやエロゲーは、あまりエフェクトにこらない限りはやっぱり1画面メディアなんですが、「通常画面」と「イベントCG」という情報量の差があるグラフィックの緩急によって、前後で発言や行動の意味の強度をコントロールできますね。(原則としてイベント絵の主体がみせるふるまいは、その直前の通常シーンのどのキャラより言動の意味が「強い」。もちろん主人公が強くなることもあればヒロインが強くなることもある)

 上の方で述べた、「メリハリのない漫画」ってのはつまり「イベントCGばかりつなぎまくった状態が何時間も続いてありがたみが麻痺する」みたいな長編漫画のことです(^^;;

Posted by みやも at 22:52 | コメント(6) | トラックバック (1)


日テレ背水の陣

巨人戦中継がジリ貧で8割改編 日テレ「背水の陣」

 ・金曜ロードショー終わったら日テレの何を見ればええのん
 ・ルパンとかジブリアニメはどうなるん? 全くやらなくなるってことはないだろうから、特番として折々に挟むのかな。
 ・ゆうべの実写コナンひどかったね
 ・「きょうの出来事」の後番組「ニュースゼロ」、視聴率がゼロにならないよう祈ってます

Posted by みやも at 22:31 | コメント(0) | トラックバック (1)

2006年10月02日


聞いては野暮になるのかもしれんがあえて聞いてみたい

 一部の実況系アニオタ諸氏がよくいうところの「全裸で待機」「全裸で視聴」って、ほんとにやってるヒトはどれくらいいるんでしょうか。

Posted by みやも at 02:38 | コメント(4) | トラックバック (0)

2006年10月01日


最近エロいと思ったもの

 ・パワパフガールズZのぱんつはいてない的に短いスカート(特にバタ子)
 ・ポケモンD&Pの新ヒロインのむき出しになってるふとももとワキ
 ・おとぎ銃士赤ずきんのグレーテルの疑似裸エプロン

 日本のキッズアニメはすげぇなあ(笑)

Posted by みやも at 10:14 | コメント(0) | トラックバック (0)