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2005年10月31日


『ふしぎ星のふたご姫』の表現論的問題点

 賛否どちらもの共通見解として「アルテッサが主役を喰っちまってやがる」という現況がありますが、これは恐らくストーリー以上に視覚的な因子が作用しているのだろうなあ、という気がしてきました。具体的には、

■ポジション
3人並んだショットでは背丈のバランスが考慮されて真ん中に配置されており、結果的に一番目立つ立ち位置が確保されている
■カラー
髪の色がいちばん派手な金色
■アクション
ツンデレ反応が多いために動作・表情の振れ幅が大きい
■孔雀効果
髪のボリュームのせいで画面に対して頭部が占める面積が一番大きい

 ……と、「まっさきに視線が誘導される」要素がてんこ盛り。
 そりゃメインを喰うわな、と(^^;;

 もっとも、アルテッサ派のワタシとしては多いに望むところなんですけどね!(笑)
 タイトルロールが実質の主役になってない作品なんてアニメに限らず山ほどあるし、これはこれでありかなと。

Posted by みやも at 23:57 | コメント(0) | トラックバック (0)


日記(10月30日 記ス)

 朝番組を視聴後、いったん寝直してから昼過ぎにのそのそ起き出して食事をとる。
 部屋に戻って、ふくしま政美『聖(セント)マッスル』を読了。全裸ヒーロー・名無しのマッスル青年が繰り広げる自分探しの旅は想像以上のぶっ飛び具合で、1ページごとに強烈な目眩を禁じ得なかった。飯を食ってすぐに読むもんじゃねぇなこれ。
 第1部「人間城」の王様が放つ悲痛なキモメン激白には素直に涙をさそわれましたよ。絵ヅラは肉体描写で埋め尽されてるのにストーリー展開は観念性100%なのな、この漫画。
 さらに続けて手塚治虫『鳥人大系』も読了。SFだねえ。

 昼遅くから夕方にかけて、てきとうに家の周辺を散策。徒歩30分ほどの場所にある神社でお参りしてから帰宅する。歩いている道中に、数日前から読み進めていた『シナリオの基礎技術』と『インスタントラーメン読本』を最後までやっつけた。それぞれ違う意味でためになる本だった。

 夜、日が暮れてから再び外出。近所の劇場で映画を2本観賞。
 まずは『SAW2』。もともと監督が別口で書いたオリジナルの脚本があって、それを『SAW』の設定に組み直して続編にしたのが本作らしい。が、それは言われないと分からないほどに消化してあるのでシリーズとしての違和感はない(ちなみにパンフレットの記述によれば、もとの脚本では14人の登場人物が館の中で最後の一人になるまで殺し合うお話で、深作版バトロワにインスパイアされたと監督が語っているらしい)。
 内容は正直、良くも悪くも期待値から外れない作りだったものの、小説ならともかく映像作品で●●トリックをやろうと思い立ったある種の図々しさにむしろ好感がもてた。ただし話のフックになるはずのギミックがどれも基本的に登場人物のマヌケさ頼みなので、見終わったあとの何となく釈然としない思いまで前作以上にスケールアップしとりますのぜ。

 んで、後味の悪い気分を払拭する口直しがてら、明るくヌルいファミリー映画でも観ようと『キャプテン・ウルフ』を選択。
 うはっ、てっきりヴィン・ディーゼル版『キンダーガートン・コップ』あるいは『マイホーム・コマンドー』かと思いきや、あにはからんや映画好きの触角をくすぐる小ネタを織りまぜつつ『サウンド・オブ・ミュージック』モチーフで引っ張った佳作でありました。

 23時過ぎ、帰宅。先日、本屋の古本コーナーで買った『魔法陣グルグル』(1)〜(3)を読む。この漫画を手に取ったのは数年ぶり。ククリってこんな可愛いキャラだったんだなあ。アニメ版も観直したくなってきた。
 一歩引いて作品そのものの次元で見ると、やっぱりドラクエ4コマ出身の作家だけあって和製RPGファンタジーの約束事を茶化す手際が、初手から完成の域に達しているのが面白いよね。(その一方で2巻収録の外伝「ククリルク」みたいに素でメルヒェンな話も早々とくりだしているのも見落とせないわけだけども)

Posted by みやも at 01:52 | コメント(2) | トラックバック (1)

2005年10月30日


マジレンジャーおもしろい

 きょうの『魔法戦隊マジレンジャー』は総集編+新ボスキャラ軍団「冥府十神」の顔見せエピソード。
 いやあ、本気で「神話」を作りにかかってるんだなあ、と深く感心しきりです。
 ここへきて10人も幹部級を投入するなんて、いったいインフレ感をどうフォローするんだろうと思ってたら、身体のサイズという視覚的にいちばん分かりやすい形で前の勢力を圧倒的に上回る印象を見せつけてきました。巧い。

 ちなみに十神のメンツは……

イフリート(CV:稲田徹)
サイクロプス(置鮎龍太郎)
トード(平野正人)
ティターン(小形満)
ワイバーン(佐々木望)
ゴーゴン(田中敦子)
スフィンクス(寺瀬今日子)
ダゴン(大塚明夫)
ドレイク(矢尾一樹)
スレイプニル(梅津秀行)

 うは、キャラもボイスも節操なく豪華(笑)
 どこの90年代OVAですか。

Posted by みやも at 09:24 | コメント(2) | トラックバック (1)

2005年10月28日


購入録

 本日のお買い物。新刊と中古入り混じり。

[マンガ]
『ホーリーランド』(11) 森恒二 ジェッツコミックス(白泉社)
『魔法陣グルグル』(1〜3) 衛藤ヒロユキ ガンガンコミックス(エニックス)
『勝手に改蔵』(1、2) 久米田康治 サンデーコミックス(小学館)
『ゆでたまご短編集 お〜い!! マンガだよ〜ん』 ジャンプコミックス(集英社)
『藤子・F・不二雄短編集 エイリアン編』 小学館

[書籍]
『過ぎ去りし日々の光』 アーサー・C・クラーク ハヤカワ文庫
『流星機ガクセイバー』 千葉克彦 角川スニーカー文庫
『インスタントラーメン読本』 嵐山光三郎 新潮文庫
『イギリス名詩選』 平井正穂(編) 岩波文庫
『大衆食堂』 野沢一馬 ちくま文庫
『妖異博物館』 柴田宵曲 ちくま文庫
『続・妖異博物館』 同上
『黒魔術の手帖』 渋澤龍彦 河出文庫

Posted by みやも at 21:53 | コメント(0) | トラックバック (0)


日記

 先日ひさびさに再プレイした『放課後マニア倶楽部』はパッケージを紛失しているうえCD自体も傷が入りまくって読み込み困難という、コレクションとして致命的な保存状態が明らかに。ぎゃー。

 近所の古本市場で不要のDVDと書籍を売り払ったら結構まとまったお金になったので、それを使ってソフトを買い換えるべく日本橋へお出かけするのこと。

 ……ぬうう、見つからねえー!(^^;; でんでんタウンの全ショップを巡るも空振りに終わってしまいますた。
 『放課後〜』は発売が1997年6月、Windowsエロゲのなかでは古参にあたるし、その後リニューアルも無かったもんなあ(OVA化はされた)。まさに10年ひと昔。
 しょうがないので梅田の地下街まで足を伸ばして、立ち呑みバーで一杯ひっかけてから退散したのでした。

Posted by みやも at 21:52 | コメント(0) | トラックバック (1)

2005年10月27日


購入録

 散歩がてらに近所のコンビニと古本屋でお買い物。

[漫画]
『20世紀少年』(第20巻) 浦沢直樹、ビッグコミックスピリッツ
週刊少年チャンピオン
週刊ヤングジャンプ

[小説その他]
『帝王』 フレデリック・フォーサイス、角川文庫
『光あるうちに光の中を歩め』 トルストイ、岩波文庫
『毎日の言葉』 柳田国男、新潮文庫
『世界文学の名作と主人公・総解説』 自由国民社

Posted by みやも at 22:00 | コメント(0) | トラックバック (1)

2005年10月26日


ロッテ優勝

 MVPのインタビューを途中でぶっちぎって新番組紹介を割り込ませた毎日放送オソロシス

Posted by みやも at 21:58 | コメント(3) | トラックバック (0)


万歩計を購入

 ふと、お散歩するのに具体的な目安が欲しくなって万歩計を買ってみました。

オムロン Walking style HJ-113

 お値段は3000円(^^;;
 長く使うつもりだし、価格に見合う機能はあるようなのでええかなと。装着はフリーになっていて、ポケットに入れてても良いってのは取っつきやすさが大きいですね。

 自宅から駅前のコンビニまでが4500歩くらいだったので、1回の往復+ちょっと余計に歩いて1000歩足せば一日一万歩の目標はクリアできますな。
 とりあえずジャンプ(月)、サンデー・マガジン(水)、チャンピオン・ヤングジャンプ(木)と雑誌の発売日には自分の足で買い物に出かけるとしよう。

Posted by みやも at 17:51 | コメント(0) | トラックバック (0)


阪神

 もうだめぽ(チーム以上に観客のマナーの平均値が)

Posted by みやも at 02:03 | コメント(0) | トラックバック (0)

2005年10月25日


ジョン・カーペンター語録 − 『恐怖の詩学 ジョン・カーペンター』より

恐怖の詩学 ジョン・カーペンター―人間は悪魔にも聖人にもなるんだ (映画作家が自身を語る)恐怖の詩学 ジョン・カーペンター―人間は悪魔にも聖人にもなるんだ (映画作家が自身を語る)
ジル ブーランジェ Gilles Boulenger 井上 正昭

フィルムアート社 2004-11
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 以下はすべて、ジョンカペ様のインタビュー本『恐怖の詩学 ジョン・カーペンター』(ジル・ブーランジェ原著編集、井上正昭 ・翻訳) からの抜粋です。


■P.32−33
──あなたにとって映画作りとはなんですか。

(略)映画を作るとは、映画を監督することだ。そして映画を監督するというのは、俳優、脚本、撮影、すべてを監督することを意味する。実際、映画作りとは、つまるところ、でたらめからヴィジョンをでっちあげることだよ(笑)。

■P.33
──監督として見たとき、なにがゴールになるのでしょうか。

 わたしは自分の姿を見せないようにつとめている。自分を見せびらかさないようにしている。そんなことをすれば観客はしらけてしまう。だが、こういうふうに映画作りをしているのは、もう時代遅れだ。いまでは、観客は非常にシニカルになっていて、これからなにが起きるのかがわかった上で映画を見に行く。彼らに関心があるのは、監督がそれをどう料理したかということだけだ。「おれをもっともっと気持ちよくさせてくれ」ってなぐあいだよ。

■同上
──自分が決定したことの一つひとつには、実はなにかの理由があるはずだと思われますか。

 全然(笑)。なんの理由もなしに決めたことがきっとあるはずだよ。ただ、理由があればいいのにとは思う。過去にやったことの理由を知ることができたらと。わたしは物事に対して理知的になりすぎたり感情的になりすぎたりしがちだ。(中略)どちらも極端になりすぎれば、自分にとって危険だ。だからこの二つのあいだでバランスを取るようにつとめている。感情的になりすぎていると感じたときは、少しばかり理性的になるようにつとめ、その逆も同様だ。

■〜P.34
あまり考えすぎたら、なにもできなくなる。バスケットボールの選手のようなものさ。(略)絶えずシュートしつづけることだ。シュートを決めるんだと信じつづけることだ。そうしたらいつかは決まる。へまをすることもあるだろうが、そんな落ち目の時期をなんとか乗りこえなければだめなんだ。決定を下すたびに、ああすれば良かったこうすれば良かったと考える人間が、映画監督になろうと思うなんて、想像もつかないね。

──そんなふうにあれこれと考える監督もいます。イメージが伝えるものが、決して誤解されないようにしたいと思うからです。

 そんなこと心配しなくていい。きみがなにをしようと、きみはそこにいる。スクリーンでなにを見せようと、それがきみになるんだ。間違いない。頭で考えないことだ。そんなことをすればおしまいになる。本能で動くんだ。フィーリングで動くんだ。一か八かに賭けるんだよ。怖いなら、考えすぎないようにするんだ。自分を分析してはいけない。

──でも、映画を作る人間は、自分が観客に提供するイメージすべてに責任を持つべきではありませんか。

 もちろん責任はあるさ。考えないということは、責任がないという意味じゃないんだ。責任をもつというのは、なにも、やることの一覧表を作って、これとこれとこれを必ずやるというふうに決めることじゃない。映画のストーリーをちゃんと語っているかぎり、それでいいんだよ。ただしそれがうまくできなかったら、大問題だがね。

■P.36
ヒーローというのは、目的がひとつしかない人物のことだ。そのただひとつの目的がなんであるか、その目的が邪悪であるか軽薄であるかポジティヴであるかにかかわりなく、それがヒーローなんだ。手帳を十五冊も持っているヒーローになんか興味ないね。そんなのドラマとしておもしろくない。ヴィジョンがひとつしかないこと、目的がひとつしかないこと、それがヒーローを決める。彼は殺人者かもしれないし、良い手本となる人間ではないかもしれないが、それでもヒーローだ。『タクシードライバー』を見てみればいい。

■P.49
──自分はすぐれた脚本家だと思われますか。

 いつもひどい脚本家だったし、これからもずっとそうだろう。そもそも、脚本を書く過程が苦痛で、楽しくない。部屋にこもって書くなんて、いやだしうんざりする。それに、自分が作ろうとしている世界に没頭しすぎて、そこから抜けだせないんだ。(略)それが自分の弱みでもあり強みでもある。

■P.55
直感うんぬんは、その映画をどれだけ自分の作品にしたいと思っているかに関わる問題だ。あらかじめなにかを計画してしまえば、人がそれに手を加えるのを受け入れることになる。だが、直感に頼るなら、自分しだいだ。(略)しばらくすれば自分の感情に頼ることで、その映画がいる場所がわかるようになるだろう。ただし、感情というのは、ストーリーを語るときに働くフィーリングのことで、個人的な感情のことじゃない。個人的なことはすべて脇に置いておくべきだ。映画を作るとき、監督をするときは、個人ではいられないんだ。

■P.81(学生時代の作品『ダーク・スター』について)
──宇宙船とその周囲は、五つのショットによる間延びしたシークエンスで入念に描写されて登場します。このような焦点の合わせ方にはどのような意図があったのでしょうか。映画のテンポを決めるためですか? 日々の退屈さを描くためですか?

 そのとおりだが、あのころは甘えてたんじゃないかな。映画を作っている若い学生というのは、自分が撮るショットはどれも傑作だと思っていて、カットしたがらず、最後まで残しておいてしまうものなんだ。若い監督というのはたいていそうだと思う。編集室ではあまり自分に厳しくなれないんだよ。

■P.91(『アイズ』)
──『アイズ』のオリジナル脚本では、連続通り魔(スキッド・ロウ・スラッシャー)はヒロインの恋人ではなく、あなたがおっしゃるように、いわば「顔のない暴力」として描かれていました。

 ハリウッドではむかしから、「悪者がよければよいほど、映画はよくなる」という言い回しがある。ただ、この言葉は人を怖がらせることに関しては必ずしも当てはまらない。人を怖がらせるものは、ランダムで、未知のなにかだ。

■P.94(『要塞警察』)
──ナポレオン・ウィルソン(ダーウィン・ジョストン)はあるとき、「おれはたった一度だけ人を信じたことがある」と言います。このセリフについて説明していただけますか。

 別の言い方をすればこうなるだろう。「むかしは社会の正義を信じていて、困ったときには誰かが気にかけてくれるものと思っていた。けど、違った。だからもう信じないし、自分だけしか頼れない」。これは自分で自分の面倒を見るという態度だ。

■P.94−95(同上)
──イーサン・ビショップ(オースティン・ストーカー)とナポレオン・ウィルソンはふたりとも勇敢な男ですが、リー(ローリー・ジマー)は、ナポレオン・ウィルソンだけに惹かれます。なにか理由があるのでしょうか。

 しょっちゅう見かけることだよ。クラスやパーティーでいちばんの美女が、いちばん危険な男にたちまち惹かれることがあるものだ。わたしはいつも、「なんでだよ? なんでこうなるんだよ? おれはいいやつで、ナイスガイなのに、なんでおれじゃないんだ?」ってなぐあいだった(笑)。

■P.95(同上)
──『要塞警察』の登場人物だちが、自分たちが包囲されていることに気づくのは、映画の後半になってからです。彼らはまるで生まれて一度も西部劇を見たことがないかのようです。

 わかってるよ(笑)。この映画は、あの「素晴らしい(ワンダフル)」ポストモダニズムによって、映画のなかの登場人物が別の映画の登場人物を参照するといったことが起きる前に作られた。『要塞警察』は、この意味において、伝統的な映画の見方に属する古風な作品だ。

■P.99(同上)
──当時、タイトルがころころ変わったことをどう思われましたか。

 この映画につけたタイトルにはどれも満足しなかった。最初のタイトルが「アンダーソン・アラモ」だ。くだらない。次が「包囲攻撃」。最後に、配給のアーウィン・ヤブランスが「第十三警察管区の襲撃」[『要塞警察』の原題]というタイトルを思いついた。恐れ多かったよ。だって、[ドン・シーゲルの]『第十一号監房の暴動』を思わせるタイトルじゃないか。

■P.105-106(『ハロウィン』)
──『ハロウィン』であなたは、マイヤーズがどうやって犠牲者を殺すかではなく、むしろ殺しに先立つゾクゾクする感じを楽しむことを、観客に教えようとなさっています。あなたの考えも同じですか。

 それがまさにわたしの意図したことだ。ボウリンググリーンに住んでいたとき、農産物・家畜の品評会が催された。この行事の間、ちょっとしたカーニヴァルや、豚のコンテスト、パン焼き競争、それとびっくりハウスがあったんだ。金を払って、びっくりハウスに入ると、なかは真っ暗だった。歩いていくうちにいろんなものが飛び出してくる。二度三度と通ううちに、おもしろいのはびっくりする瞬間じゃなくて、その瞬間をずっと待ちながら廊下を進んでいくときだと気づいた。 

■p.115(『ザ・シンガー』)
──カート・ラッセルと組んで仕事をなさるのはこの映画が最初です。なにがふたりをこれ以後ずっと結びつけることになったのですか。

 最初にふたりで話したのは、「できるだろうか」じゃなく、「できると思うか。もちろんさ」だった。カートには前に進む覚悟と勇気があった。わたしにも覚悟と勇気があった。

■P.121(『ザ・フォッグ』)
──『ザ・フォッグ』であなたは、あなたの言うところの「チープ・トリック」を多用しておられます。「チープ・トリック」とはいったいなんですか。それはポエティックなものだとお考えですか。

 そう思うね。「チープ・トリック」という言葉を使うのは、ふざけてのことだよ。「チープ・トリック」というのは、きみも見たことがあるような、むかしながらの映画のトリックのことだ。「チープ・トリック」というのは、暗闇から飛び出して観客を怖がらせるもののことだ。(中略)『遊星からの物体X』の冒頭で犬を撃ったのは「チープ・トリック」だし、『要塞警察』であの少女を撃ったのも「チープ・トリック」だ。(中略)わたしはこういうのが大好きだ。映画で使われる「チープ・トリック」の芝居がかったところがたまらない。低予算映画で好きなことのひとつは、こういうトリックをうまく使って強い効果を引き出すところだ。すごいし、素晴らしいと思う。

■P.126(『ニューヨーク1997』)
──あなたの映画では、主人公は地球を救うか自分を救うかするために、たった二十四時間しか持ち合わせていないことがほとんどです。なぜですか。

 アリストテレスが戯曲について考えた三一致の法則、演劇は二十四時間以内の、ひとつの場所で起こる、筋がひとつの物語を扱うという古めかしい考えにずっと影響を受けてきたんじゃないかな。そもそも、これもやっぱりハワード・ホークスの影響だったと思う。ホークスは制限された時間と制限された空間のなかで映画を作ったものだ。わたしはいつもこうした映画に強い感銘を受けていたし、カウントダウンというのはとてもサスペンスを高めてくれる道具だからね。

■P.129(同上)
──カート・ラッセルは「わたし向きの俳優」だとおっしゃったことがありますね。あれはどういう意味ですか。

 カートはむかしのスタジオ・システムで訓練を受けている。ウォルト・ディズニー映画の子役だったんだ。仕事至上主義でね。仕事となると、彼はだれにも負けなかった。(中略)「わたし向きの俳優」は、状況を飲み込み、セリフを知っていて、的を外さず、くだらないことをあまりやらかさない。

■P.145(『遊星からの物体X』)
『遊星からの物体X』が公開される直前に『E.T.』が封切られた。全然金をかけていない映画だった。この映画でスティーヴン[・スピルバーグ]は大当たりをとりたいと思っていた。撮影所はあまり肩入れしていなかった。重役たちはこの映画がちょっと弱いと考えていたんだ。で、『E.T.』がわれわれの映画より先に出て、大ヒットし、話題をかっさらってしまった。しかもこの映画のメッセージは『遊星からの物体X』のまさに正反対だった。あのときスティーヴンは言っていた、「観客は、元気を出させてくれる映画を求めていると、ぼくは考えました」と。いやー、彼の言うとおりだったよ。彼が目先の利く商売人だということがこれでわかる。当時の観客が何を必要としていたかがわかっていたんだ。

■P.148(上の続き。結末を曖昧にした『遊星〜』が10代の若い女性に不評だったことを述べて)
わたしは忘れていたんだ、だれにでもわかる掟のひとつを。観客はどっちつかずの状態が嫌いだということを。(中略)業界の連中は──まったくありがたい連中だ──スティーヴン・スピルバーグの成功にかこつけてわたしを責めはじめた。観客がなにをのぞんでいるのかわかっていなかったとか、人を元気づけ、人類を肯定する映画を作らなかったとかいう理由でだ。わたしにできたのは、じっと我慢することだけだった。それは言うなれば、ボクシングのリングにいて、だれかにパンチを浴びせられながら、殴り返すすべがないといった状態だった。ユニヴァーサルに仕事があったが、『遊星からの物体X』のせいではずされた。監督をはずされたのはあれが初めてだった。はずされたことがなければ、まだ監督とは言えない(笑)。それは勇気の印なのさ。

■P.149(同上)
──そのつらい経験はもう克服しましたか。

(前略)いまではこの映画をもともとあった場所に戻して考えている。わたしはこの映画が大好きだ。『遊星からの物体X』を嫌いになったことなどない。

■同上
ご覧のように、アートとしての映画作りとビジネスとしての映画作りは一致しないんだ。わたしはビジネスマンでもあるわけだから、いちばんやりたくないことは、ビジネスにおける自殺行為だ。

■同上
──いまも『遊星からの物体X』の続編を作りたいお気持ちがありますか。

 やりたいね。すごいストーリーがあるんだ、あの最後に残されたふたりで始まる。だが、金がかかりすぎるからだれも作ろうとはしない。やるとすれば苦痛と恐怖のなかで撮影しなければならないだろう。

■P.153(『クリスティーン』)
──『クリスティーン』をズタズタにする場面は永遠につづくかと思われます。あれは観客に、この映画は無意味だと伝えるひとつのやり方だったのですか。

 当たっている面もあるが、クリスティーンはあのでかいブルドーザーに死ぬほどファックされたんだと思うよ(笑)。

■P.158(『スターマン/愛・宇宙はるかに』)
──あなたはいつも人類についてとても懐疑的でしたが、『スターマン』は違います。(中略)これはあなたのものとしては異例のユートピア的ヴィジョンです。

 ポジティヴな観点を表現している映画がどうしても撮りたかった。もっと軽い映画が撮りたかったんだ。(中略)こういうのをやってみたかったんだ。監督としてそれができるかどうかを見てみたかった。わたしにはロマンチックでセンチメンタルな一面もあるんだよ。そうは見えないかもしれないが、たしかにあるんだ。

■P.164(『ゴーストハンターズ』)
──どうしてそんなにカンフー映画がお好きだったのですか。

 アメリカ映画というのは、映画は洗練されたものでなければだめだと思い込んでいるが、香港映画はそういうことから自由だった。ヒーローは生真面目なものという考えに縛られていなかった。

P.169(同上)
──観客や批評家にはこの映画はどのように理解されたのでしょうか。

 誰にも理解されなかった。

■P.172(『パラダイム』)
 作っていていちばん楽しいのはホラー映画だ。血とか怪物が出てくるだけで楽しくなる。腹を抱えて笑うほど楽しくなる。

■P.177(同上)
──当時、この映画はどのように理解されたのでしょうか。

 批評家たちは『パラダイム』を、少なくとも『遊星からの物体X』と同じくらい憎んだ。この映画はいまでも物笑いの種になっている。後悔はしていないよ。

■P.181(『ゼイリブ』)
──ジョンとフランクのとっくみ合いの場面は十分近くつづき、そのせいで物語の観点から言って、まったく必要のないものになっています。どうしてあんなに引き延ばされたのですか。

 第一に、長い大喧嘩の場面をやりたいと思っていた。第二に、そういう喧嘩をやれるだけの肉体をもった役者がいた。ロディはキース・デイヴィッドと一ヶ月半、この喧嘩の場面に取り組んだ。本当に体が触れ合うまでやった。むかしの西部劇ふうの殴り合いじゃない。本気の殴り合いだ。だからこの喧嘩の場面はあんなに迫真のものになった。このシーンが成功したもうひとつの理由は、パナグライド・キャメラを使って彼らの動きを追ったことだ。そのため、このシーンはバレエに近いものになっている。

■P.191(『透明人間』)
──この映画が失敗したのは、あなたに最終編集権(ファイナル・カット)がなかったからでしょうか。

 それはどうでもいいことだ。たとえ最終編集権を持っていたとしても、映画は成功することもあれば失敗することもある。自分に最終編集権があるからといって、自分のやることがつねに正しいということにはならない。たんに、それは自分が作った映画というだけのことだ。残念に思うのはそこなんだ。わたしは自分のヴィジョンを買われて雇われたのに、それが薄められてしまい、自分の作品ではなくなってしまう。

■P.194(『マウス・オブ・マッドネス』)
──『マウス・オブ・マッドネス』は『パラダイム』の続編として見ることもできます。反=神(アンチ・ゴッド)はついに自分を解き放つ方法を見つけたのです。

 その意見にはまったく賛成だ。この二作はいろんな意味でとても似ている。それに、両作品とも世界の終わりを描いた映画だ。『遊星からの物体X』『パラダイム』『マウス・オブ・マッドネス』を見れば、これらがいわば三部作をなしていて、それぞれ別の問題を扱ってはいるが、三作とも、なにもかもが終わることを描いた物語だということがわかる。

■P.202-203(『光る眼』)
──子どもが怖いですか。

 自分が父親になったいま、子どもを怖いとは全然思わないが、もしも自分の子どもに良心や罪の意識がまったく欠けていたり、あるいは殺人鬼だったりしたら、悲劇だね。恐ろしくて、耐え難いだろうね。

■P.208−209(『エスケープ・フロム・L.A.』)
──クリフ・ロバートソンが演じる役はL・ロン・ハバードをそのままフィクションにしたような人物ですが、アメリカが神政国家になるのではないかと本気で恐れておられるのですか。

 彼はむしろパット・ロバートソンに似ていると思わないかい? このアイディアはカート・ラッセルが考えたものだ。カナダの首相が何年か前になにかを予言し、ほんとにそのとおりになったので、だれもが彼のことを偉大な英雄と信じたことがあった。それでカートがこう言ったんだ。「この映画でも同じことが起きるってのはどうだい? どっかのとんまがなにかを予言してそれがほんとに起き、みんなそいつが神様かなんかだと信じてしまうってことにしようじゃないか」

■P.212(同上)
──第四の壁 *1 を破られたのはこれが初めてですね。

 あれは意図的にやった。「そんなことをしてはならない」とだれかがきっと言うと思ったのでやったまでのことだ。

■同上
──ハングライダーのシーンを考えたときなにか思い浮かべていた映画がありますか。

 『オズの魔法使い』みたいに見えるんじゃないかと思っていた。

■P215.(『ヴァンパイア/最期の聖戦』)
──『ヴァンパイア』全編を通じて、宗教を容赦なく攻撃なさってますね。

 だが、アダム神父[ティム・ギニー]は最後にはヒーローになる。彼は男になるんだ。この神父は、安全な場所にいながら、自分は理解していると思い込んでいるインテリだ。やがて彼は、吸血鬼を殺すというのが実際はどんなことなのかを、自分の目で確かめることになる。それがどんなに残忍なものであるかを知ることになる。そしていったんそれを知ってしまえば、もう嘘をつくのはやめて、自分も体を張らないわけにはいかない。嘘をつくのをやめ、体を張るとき、人は男になる。頭だけの人間ではなくなる。いわばゲームに参加するわけだ。こうして、神父は吸血鬼退治チームの一員になるのだが、それでも彼の信仰は揺るがない。「神はいつでもわれわれのそばにいます」。堅い信仰はまだそのままだということだ。これは人間として大した進歩だと思うね。

■P.226(『ゴースト・オブ・マーズ』)
──アメリカの批評家の大半は、『ゴースト・オブ・マーズ』を時代錯誤だとみなしました。この映画がそのように見られたことについてはどうお感じですか。

 批評家が映画をどう見るかを、わたしにコントロールすることはできない。

■P230(エピローグ)
──ドイツ表現主義が好きだとおっしゃいましたが、それは初耳だったのでよけいに驚きました。

 ドイツ表現主義は大好きだ。最高だよ。わたしの理解の仕方は単純すぎるかもしれないが、要約してみよう。ロシア式モンタージュは、映像の内容とは関係なしに見る人のなかに興奮を生み出すことができる。(略)素早いカッティングが見るものに興奮を与える。ちゃんと撮影さえすれば、ロシア式モンタージュは簡単だ。ドイツ表現主義は、孤独感、メランコリー、不吉な雰囲気などを感じさせることができるが、それだけでなくサスペンスを作り出すために用いることもできる。どうしてだれもそれに気づかないのか謎だね。(略)実は『ハロウィン』でドイツ表現主義を使ったんだよ。そうやってサスペンスを作り上げたんだ。

■P.232-233(同上)
──自分は「アクション」監督だとほんとに思ってらっしゃいますか。

 わたしがアクション監督なのは、ただ次の意味においてだ。つまり、映画というのは、動いているときに、アクションを描いているときに、なにかが起きるときに、争いや相反する力があるときに、最高のものになるということだ。みんなそれが見たくて映画を見るんじゃないだろうか。


*1 : 観客に向かって直接話しかけることを禁じた、映画とドラマの古典的なルールのひとつで、ここから「壁」の概念が生まれた(本書注釈ママ)
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2005年10月24日


10/23 記ス

 早朝、小説の挿絵のラフが上がってきたのでチェック。
 
 昼、朝に録画した番組をダラダラ視聴。マジレンジャーはテンション高いなあ。
 臨時収入があったのでウィッシュリストを削るべくAmazonに漫画を発注する。

手塚治虫 『鳥人大系』
ふくしま政美 『聖(セント)マッスル』
赤松健『魔法先生ネギま!』北米版・第7巻

 夜、久々にお絵描きの練習をしてみるも、手が思うように動かず。
 HDDレコの残り容量がキビしくなってきたことに気づき、焼いたり削ったりしてデータ整理。

 そんなこんなで面白みのない日記になる程度の日曜日でしたとさ。

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2005年10月23日


今週のゾイドジェネシス

 コトナさんの過去話。
 妹が出てきてさっくり殺されかける超急展開やテレ東コードの限界に迫るフェルミ姐さんのシャワーシーンも、新エンディング曲の破壊力の前にすべて吹き飛びました。
 いったい誰を喜ばせたいんだこのアニメは(笑)

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『ここはグリーン・ウッド』読み始め

 何年か前にNHKの衛生放送でアニメ特集やってたときにOVA版を観たことがあったので、懐かしさに耽りつつ読んでます。いまはまだ3巻にさしかかったとこですが(全11巻)。
 お話はあってなきが如くですから、いきおいキャラ消費が先立つ楽しみ方になります。とくに2巻のバレンタイン話で顔を出してる渡辺由樹たんが可愛いですねえ。男の子だけどな!(えー)

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2005年10月22日


『ノエイン もうひとりの君へ』♯1〜2

 ・公式サイトのストーリー紹介

 サンテレビで『ぺとぺとさん』の後番組だった流れで自然と視聴しとります。
 ら、ラクリマ時空界にシャングリラ時空界て(^^;;

 いや、ネタは抜きですごいですよ。今期のアニメではいちばん序盤のつかみが強いシリーズなんじゃないかな。このままうまくエンジンが吹き上がれば"ジュブナイルな虚無戦記"みたいな作品に転がっていきそうな素材はそろってますね。なんかしょっぱなからラ・グース細胞みたいのが出てくるし(笑)

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2005年10月21日


『もっけ』読んだ

『もっけ』(1)〜(4) 倉隆敏 アフタヌーンKC

 モノノケが見えたり憑依されたりする家系に生まれついた姉妹が田舎町でさまざまの怪奇と遭遇する不思議な日常譚。
 なんちゅうか、アフタヌーンらしい空気があるというか、メジャー少年誌では読めないマンガの好例というか(笑)

mokke03.jpg 世界に対する人間の我が肥大して「人間と●●●(妖怪なり宇宙人なり女神さまなり、ともかく超越的怪異)が同レベルの意識で社会行動を共にする」融和過剰な"卑近化された神話"が生産されやすい近年にあって、一次的な古事考証をふまえて人妖の緊張感ある距離を維持するこういうストイックな作品はこれから(年若い世代にとっては)ますます貴重になっていくかもしれませんね。

 おしなべて妖怪やカミサマというのはさまざまな事物や観念、概念の比喩として成立しているもので、『もっけ』でも、たとえば個性の苦悩(第五話:スダマガエシ)や被笑心理(第六話:ワライヤミ)など、ひじょーに人間のこころの普遍的な機微へ通じる視点が、妖怪が起こす不思議現象を経由して織り込まれています。だから檜原のじーちゃんや姉妹はアクションばりばりの超能力者とはなりえず、あくまでも世界をある特定のアングルから眺めてふつうの人間のありようを照り返させる役目に立って、そこから謙虚に踏み越えないんですね。

 そういう本作では妖怪が実在してるかどうかは解釈の問題となり、べつに彼らが見ている怪異が立証可能なモノじゃなくても──ぶっちゃけると単なる精神症から生じる一種の妄想でも──かまわなくなります。肝心なのは「それ」の真贋ではなく「それを語ること」によって行き着く人間の生き方なわけです。

 そのついでにいうと、あとから出てくる母親が「怪異に無知で理解のない頑なな人間」のように見えるのは本作のカメラが姉妹の一人称にべったり寄り添っているからであり、母親が代表する視界からすると、おじいちゃんや姉妹にもまた彼らが特定の立場にあるせいで見えていないもの、語り得ないものがあるはずです。母親はそういう相対化のために出てくるのであって、必ずしも姉妹や読者をいらつかせるためのキャラクターではないと思います。

[追記]
 「怪異にとりまかれ、取り込まれるリスクをつねに抱えた少女たち」という形態からいうと、宇宙人退治にてんてこまいさせられる小学生たちを描いた『エイリアン9』(富沢ひとし、ヤングチャンピオン)が参照できますね。あっちは少女キャラのあつかいに病的な香りがして個人的には腰が引けたんですが、なぜか『もっけ』はすんなり読めました。教訓が先に立って健全に見えるからかなあ?(笑)

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2005年10月19日


『テヅカ・イズ・デッド』読了

『テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』伊藤剛 NTT出版

 タイトルは厳密にいうと「竹内オサム・イズ・デッド」という感じで(^^;;
 要約すると、手塚神話によって隠蔽・否認されてきた現代マンガ「表現」の批評を志す研究者さんの自己肯定本です。先に竹熊健太郎氏のBLOGでキャラ/キャラクター論を予習していたのでわりとすんなり読めました。用語はもうちょっと考える必要があると思うけど(「キャラ Kyara」は文中にあった「プロトキャラクター」でいいんじゃないかな)、言わんとしてるところはひしひし伝わってきます。

 個人的にとくに関心を惹かれたのは「フレーム(画面に対するコマの枠組み)の不確定性」に関する言及。たとえば僕は少年マガジン連載の『スクールランブル』のページ印象がすげぇ「固い」と思ってるんですが、それが何故かというのがなんとなく掴めたような気がします。スクランは人物の内語を多用する少女漫画的なソフトを、少年マンガの強度をもった単層フレームでがっちり抑え込んでいるから、そのギャップで全体の眺めが固くなるんですね。(ただし少年マンガ誌に載って少年・青年の読者をメインターゲットとする限り、この特徴はむしろ「読みやすさ」を生む有利な武器になっている)

 ……という具合に、実際の読みに応用できる起点がいろいろあって面白い本でした。

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さて、10月も下旬にさしかかったわけですが

 今期始まった新番組でいちばんの当たりは、けっきょくアニメじゃなくて特撮でした。
 『超星艦隊セイザーX』笑える笑える。こんにちは。


灼熱の火を放て!          百獣の王となれ!
      _  _                    _  _
    ◯( ゚∀゚ )◯  エーックス!   ◯( ゚∀゚ )◯  エーックス!
     \     /              \     /
    _/ __ \_             _/ __ \_
   (_/   \_)           (_/   \_)
         lll                   lll

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2005年10月18日


情報早っ

 まんが王倶楽部さん他、書店系サイトで来月の文庫発売予定に拙作のタイトルをもう出していただいてますね。新刊情報って早いんだな〜。発売日は僕もまだ知らなかったので、偶然見かけてびっくり(笑)
 当サイトでの正式告知はもうちょい先なので、お待ちください。

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メイドカフェは風俗営業?

福岡のメードカフェに風俗営業指定 [日刊スポーツ10/15付]
 「接待」といえば、まあそうなのかなあ??
 コスプレ飲食店が、お客と従業員の間で心的距離が「ふつうの」お店よりも近くなりやすい空間を作っているのは事実でしょうね。

 ただ、店によってもサービスの度合いが違う *1 のでこの判断には難がありそうな……。
 少なくとも、法的にはともかく感覚的には、注文の取り方やお客の呼称などは「接客」マニュアルの範疇という気がします。飲食のあいだじゅう客にメイドがつきっきりの状態を維持する店ってほとんどないわけで。雑談に応じるという準サービス行動は微妙なところだけど、こちらが求めない限り基本は放置なんだし(^^;

 "オムライスにケチャップ"の類は……ふつーの店でも、調理の仕上げをお客さんのテーブル上でしてみせるパフォーマンスってありますからねえ。具体的には、店員がビビンパをかきまぜてくれる焼き肉屋さんとか(笑)


*1 : 文字通りご奉仕コンセプトで稼いでる店から、たんに"フロアスタッフの制服がメイド服"以上でも以下でもない店までピンキリ
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Amazon発注メモ

 僕は生来から不勉強な性質(たち)なのもあって、学生時代は古典といわれる領域をひどく軽んじておりました。大昔の文芸作品なんぞガッコウを出るために必要最小限の量だけおさえてりゃええべな、という感じで、図書室・図書館に赴くのもたいがい時間つぶしや昼寝の用ばかりだったんですが、最近になってそれを悔やみつつあります。

 思想的な好き嫌いから離れて思考運用上の効率という観点に立つと、うつろいがちな浮世で人々の目にさらされて、なおもしぶとく長々と生き残っている作家や作品にはちゃんとそれなりの理由があって、新しいタイトルやトピックについて何事かを書いたり考えたりするにあたっては、先人が開拓した豊穣な普遍性を把握しておくとけっきょく迂遠な回り道をしなくてすむんですよね。当たり前といえば当たり前な話なんですが、そういう効率の良さを実感できるまでにえらく長い年月を費やしてしまいました(^^;;

 というわけで、まずはとっつきやすそうなディケンズ先生から手をつけることに。
 以下の本をAmazonのカートに放り込んで発注のボタンをぽちっと押した次第です。

C・ディケンズ 『クリスマス・カロル』 (訳・小池滋) 新潮文庫
         『大いなる遺産』上巻・下巻 (訳・山西英一) 新潮文庫
         『オリヴァー・トゥイスト』上巻・下巻 (訳・小池滋) ちくま文庫
         『ディケンズ短篇集』 (訳・小池滋、石塚裕子) 岩波文庫

 クリスマス・キャロル読んだら『3人のゴースト』を久々に観直してみようっと。

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2005年10月16日


「まあ、」という書き癖

 自分でも悪癖だという認識はあるけどなかなか修正できずにいるのが、おもにレビュー系テキストのなかで「まあ、(ようするに〜なんだけどね)」と"知ったふうな"くくりかたをしてしまうこと。
 
 「まあ、」という語をつかった文章は、あとから読み直すとすげぇ横柄な物言いになっていて、思わずアタマを抱えることしばしばです(^^;; 「まあ、」には、そこにつづく言及の対象を──とりわけそれがメジャー、ポピュラー、権威的なものであればあるほど──姑息に矮小化することによって「これは俺にとってこうやって簡単に総括できる程度のものであって大した問題じゃないんだぜ、ふふん」とナナメに構えてみせるニュアンスが滲み出ている気がします。

 この書き癖への対応としては推敲する段階で「それをいうお前は何様やねん」という意識をもって冷徹な再考にあたるくらいしかなくて、その手間を見込むとけっきょく最初から出来る限り(卑屈にならない範囲で)謙虚、虚心坦懐にことばを尽くすのが最善……なのですが、そこはそれ何の気負いもなく書き散らしているメモの哀しさ、ついつい安易な書き逃げで片づけてしまいがちなのであります。嗚呼、もっとも度し難きは己自身。

 まあ、気にしすぎだといえば、まあそうなんですけどね。

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うしにく喰らった夜

 次弟の誕生日にかこつけて、ひさびさに家族でそろって近所の焼き肉屋で夕食をとってきました。
 僕はといえば医者の指示でここ数ヶ月ほど高カロリー食の摂取は控えていたんですが、まあ今日くらいはというありがちな油断でベルトをゆるめたもんだから、反動でバカ喰い。このアブラを落すのにどんだけ運動せにゃならんのだろうか。うひい。

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SNKギャルゲ

SNKプレイモア『Days of Memories〜僕と彼女の熱い夏〜』
 うれしいことはうれしいが、アテナ×ケンスウ派のぼくちんには忸怩たるものがあるのですよぅ! とか腐っぽい発言をしてみる。それ以前にうちのケータイ環境じゃi-modeのゲームできないんだけど。

 冗談(?)は置いといて、こういうアプローチを見るにつけカプコン『私立ジャスティス学園 熱血青春日記』の偉大さに思いを馳せずにはいられません。もう6〜7年も前のタイトルなんですよねー。
 しかもあれ、女性主人公でプレイして男性キャラを攻略することも出来たし。ときメモGirl's sideも裸足で逃げ出す先駆性(笑)

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2005年10月15日


ことばのスクラップ−『ベストセラー小説の書き方』から

 以下、私用メモ。
 クーンツ『ベストセラー小説の書き方』から抜粋。

【P.33】(学術的な批評の顔色を窺う新人作家への忠告)
 次のことを肝に銘じておいてほしい。自分の喜びのためにものを書くときは(常にそうあるべきなのだが)一個人を満足させるために書いていることになり、読者を楽しませるために書くときは、多数のひとを満足させるために書いていることになる。ところが、学者たちを相手に書いているときは、制度を満足させるために書いていることになり、学説上のガイドラインを守るべくせっせと制作していることになる。そういう作品に、すぐれたベストセラーの持つ生命力や喜びや価値があろうはずがない。

【P.46−47】(芸術家にとってお金は大事だよーという3つの理由)
 「金」という言葉が君の繊細な芸術家の感性を傷つけるというなら、また、作家は金銭にわずらわされてはならないというなら、君はそのままおとぎ話の国に住みつづければいい。が、真摯な芸術家にとって金がどんなに大切なものか、わたしは次のようなりっぱな理由を三つもあげることができる。

[以下3項目は要約]
(1)作家になって間もない頃は本の稼ぎが己の作品への世間の評価を示すもっとも具体的なバロメータである。また、それで受けが良いと知ることができれば、孤独の極みともいえる作家稼業の支えになる。

(2)作品による収入があることは、けっきょく作家の芸術生産力の最もつよい味方になる。(そのまま全力・全時間を作家活動に投入し続けていけるから)

(3)金銭的な成功は信用保証にもなる。新作の売り込みにおいて重要な役割を果たす。
[要約終わり]

金のために書くのかって? そんなことは決してない。が、同時に、金や成功が君の創造する作品の質や量にどんなに強く影響するかを知らずに、書くことがあってはならない。純粋さは犠牲をともないやすいが、もっと重要なのは、それによって市場が何を必要としているのか、そしてどう変わりつつあるのかを見ぬく作家の眼がくもることである。

【P.77−78】(娯楽作品における優位的要素とは何か)
 別の小説作法ではプロットは三番目にくるものであって、登場人物が二番目、テーマが一番目だと主張する。たしかにテーマの統一は、よい小説の必要条件のひとつにちがいない。が、それが第一の目的になってしまっては、作家は小説ではなくて、エッセイか説教を書けばよいことになる。このやり方から生まれるのは、頭でっかちで説教くさい散文にすぎない.
(中略)
 娯楽的価値を高尚なメッセージとやらよりも低く見ることは、やめたほうがいい。
 もしも君がいやしくも人気作家になろうというつもりなら、プロットにはそれなりの敬意をはらわなければならない。せめて読者がはらっている程度の敬意ははらってもらいたい。

【p.106】(物語の出だしでつかむことが肝心)
 そのうち読者をアッといわせるページをご覧に入れようなどという、もったいぶった考えで書き出しはじめるのもまちがっている。(中略)編集者をむこうにまわして、与えられたチャンスは三ページ。本を買う客をむこうにまわせば、チャンスは一ページ。どちらの場合もチャンスが多いとはいいがたい。しかしこの立場は、挑戦的なものともいえる。そしてこの挑戦こそが、作家の執筆生活をおもしろくもするのである。

【P.163〜】(娯楽作品で、より読者の最大公約数をとれる結末について)
(1)それが唯一の必然的なプロットの結末でないかぎり、主人公を戦いに敗れさせてはいけない。
(中略)クラベルほどの腕を持たない新人作家は、小説を悲劇のうちに終わらせるのはよしたほうがいい。まずはハッピー・エンドに徹し、売れる本を書くことだ。のちに地位が確立したあかつきには、主人公をひき肉機械のなかへでもどこへでも放りこめばいい。そのとき、そんなシーンを上手に描く技術を君が習得していたなら、それはそれでうまくいくだろう。

(2)物語を通じて君が積み上げてきた恐ろしい困難のすべてを正当化するに足るだけの、賢明な結末をもってくること。(中略)もっと早くその手を使えばよかったのにというような方法で、主人公が問題を解決したり、一〇〇ページ前に読んだ覚えのあるやり方で問題を解決したりしたら、非常にまずい。

(3)主人公がどうやって問題を解決するかが決まらないうちは、小説を書き出してはいけない。(中略)少なからぬ新人作家がこの袋小路に自分を追いこみ、そこから抜けだせなくなっている。

(4)終わりに近づいたら、小説のスピードをあげたまえ。最後の章は、情景や人物の長ったらしい描写に重点を置くべきではない。

(5)結末を知らせ、主人公の問題が首尾よく片づいたことを知らせたのちに、小説をだらだらと何ページも引きのばしてはいけない。(中略)君がなすべきことは、終わりを引き締め、読者に興奮の絶頂からわれにかえる余裕を与えるような、一、二ページの短い章を提供することである。

【P.174】(テーマについて)
ストーリーがまず第一なのだ。逆に、前もって考えられたテーマのためにプロットを組み立てるなら、それは、小説に見せかけたエッセイ、あるいは純文学作品ということになる。たとえある個人的信念にもとづいて書き、それを他人にもわかってもらいたいと思い、読者を改宗させるのがおもな目的であったとしても、君はそれを、読者を楽しませ、その心をつかみ、その心をゆさぶることによって、なしとげねばならないのだ。まちがっても読者に説教することで、目的をはたそうとしてはならない。

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クーンツ『ベストセラー小説の書き方』

 思うところあって小説作法の本を読み漁っております。泥縄、泥縄。

『ベストセラー小説の書き方』 D.R.クーンツ 朝日文庫
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 ハウトゥ本に見せかけて、70〜80年代の売れっ子エンタメ作家が大衆娯楽の存在意義をとくとく語り尽くす本。熱いぜクーンツ先生!(笑)

 といっても技術論のほうもおざなりにはなっておらず、「娯楽小説を志す新人作家が、いかに読者の最大公約数を確保していけばいいか」という"売れてなんぼ"の観点にもとづいて、かなり具体的詳細なテキスト指導をしています。(そのために純文学的な意識をしきりに攻撃してるのは、まあ仕方ないというか何というか(^^;;)

 注意点としては、

・語られてるのは米国出版界の状況
・原書刊行('81)からすでに丸々ふた時代経過している現在ではずいぶん事情に隔たりがある
・結構しつこく注意書きを重ねているにもかかわらず、なお読者に希望を抱かせすぎるバブリーな言説が目立つ
・煎じつめると殆どが自慢話(^^;;

などなど諸々あるんですが、クーンツ先生が思想表明した一冊のエッセイとして受け止めるとひじょーに面白いです。 普遍的なことも多く書いてあって、「真摯な芸術家にとってお金がどんなに大切なものか」を示す3つの理由 *1 なんかは時代にかかわらず切実な問題やなあと(笑)

 じっさい本人がベストセラー作家ですから、説得力のある内容です。
 これ自体がひとつの読み物になっていて、小説家を志すひとに限らずとも面白いかと。


*1 : (1)作家になって間もない頃は本の稼ぎが己の作品への世間の評価を示すもっとも具体的なバロメータである/(2)作品による収入があることは、けっきょく作家の芸術生産力の最もつよい味方になる(そのまま全力・全時間を作家活動に投入し続けていけるから)/(3)金銭的な成功は信用保証にもなる。新作の売り込みにおいて重要な役割を果たす
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2005年10月14日


ぺとぺとさんキャラ人気投票

ぺとぺとさん第2回人気投票 [ぺとぺとさん特設サイト]
 僕の票はもちろん沙原くぐるのために在るわけですが、さて今回は劇中最大のマスコットアピールをもつこぬりちゃんが枠に入っておりまして、この子が一体どこまで伸びるか注目です。

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2005年10月13日


『地獄少女』第1話

 スカイハイで必殺仕事人で巷説百物語で闇の司法官でちょっぴりシリアルエクスペリメンツ風味な『地獄少女』の第1話を視聴。
 水木しげるの遺伝子は少女漫画系のタイトルにも介在しとんのやなあ、と感心。都市怪談と旧来の怪談をなんとなく並存させちゃってる匙加減が面白くて、のっぺらぼうでバァとか古典ネタをやってもぎりぎりギャグに陥ってません。

 閻魔あいは雰囲気あっていいですな。「いっぺん、死んでみる?」なんて能登ボイスで囁かれたらむしろ積極的に魂を差し出したくなりますぜ!
 でも第一印象で好きになったキャラは、青年になった鬼太郎みたいな一目連の人間形態。格好良いあんちゃんだ。『無明童子』思い出しちゃったよ。

 世界がどーのこーのというアニメの前に放映してるせいか、『地獄少女』の方はどうにも絵面の華やかさに対する出来事の規模が不釣り合いに思えるのが唯一の難点かな(^^;; 仰々しく輪入道の車に乗って登場しといて、実際やることは学校のイジメっこ退治かよ!みたいな(笑)

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2005年10月12日


きょうは

 壁を這い回っていた小さな蜘蛛を叩き殺したら物凄い罪悪感に囚われてどうにもやるせなくなり昼間から寝込んでました。
 でも晩飯のモツ鍋喰ったら治った。たんに腹減って気が滅入ってただけかしら。

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ぺとぺとさん最終回まで視聴

 ビデオ録り溜めタイトルの中からようやく『ぺとぺとさん』11話〜13話を消化。
 他の作品は完全に怠慢からずっと視聴しそびれてるんですが、これだけは「終わるのが物寂しくて見るに見られない」状態が続いていたのでした。本気で好きな作品の幕引きに向き合うってのはそれなり以上に気力がいるもんですよねえ(かといって必要以上にズルズル引き延ばされて惨状をさらされるのもイヤという複雑な心地)。
 細かいところをつっつくとエピソードごとのキャラの心情のつなぎ方で「?」と感じる場面もいくつかあったのは否めませんが、けっきょく愛着がすべての瑕疵を上回ってしまって何も言えなくなりました(^^;: いやもう、くぐるちゃんの侠気に惚れっぱなしのシリーズでしたよ。見事なまでの当て馬サブヒロインの宿命に殉じた河童娘に乾杯。嗚呼。

 原作ではまだ続刊が出ているのと、最後の予告でぺと子が「アイル・ビー・バック」とシュワちゃんばりの宣言をしてたので第2期への希望は持ってもいい……のかな?

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2005年10月11日


きっとこういう状況はあったと思うわけですよ

 田舎町の小さな病院。薄汚れた建物の片隅に据えられたベッドの上で、いままさに死の淵に瀕している病弱な少女がいた。彼女はいまわの際の語らいと共に恋人へ寂しげな微笑みを見せている。残る気力体力はごくわずかで、もはや余命幾ばくもない。
 そんなとき、地球の裏側では世界の命運を賭けた戦いが佳境を迎え、ひとりの戦士が天を仰いでこう叫んでいた。
 
 「地球のみんな、オラにほんのちょっとずつ元気を分けてくれ!」
 
 少女は死んだ。

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2005年10月10日


ARIAとヨコ出し

ARIA The ANIMATION』第1話を視聴。

 各所の感想で『ヨコハマ買い出し紀行』がリファレンスに挙がってますね。そらそうやろうなあ(笑)

 ただし、ヨコ出しは世界や時間のなかで定点化されているロボっ娘が俯瞰的・観察的な視座から人間性を逆照射するのがキモであって、人間そのものが世界・時間を見渡そうとするARIAの様態は、参照するにしてもむしろ対立比較されるにあたるんじゃないかな、というのが私見です。

 てか、そんなテーマの次元に踏み込まなくても、水没と水上という舞台仕立てだけとっても両者は対照的なタイトルなんですよね。
 先細りで終末的な状況をオブラートに包んだヨコ出しの冷徹さはすげぇ恐くて、アルファさんのモノローグは時として、やさしい死神が人類へ告げる引導に等しくもみえます。「よろしかったら/一緒にうたってくださいね/暗くなるまでには/まだしばらくあります」というのは甘美な退廃・諦観への誘いです。
 対して、人間の開拓的努力の志向を奇跡と呼んで、「恥ずかしい台詞禁止」みたいな照れ隠しが必要なほどの温度を出しながら未来への系を開放しているARIAは思いっきり逆位置にあるんじゃないでしょうか。

 いやまあ、目先の雰囲気から得られる感情価はどっちみち似たようなもんなんですが(^^;;

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2005年10月09日


日記&購入録

 目が覚めると昼だった。あちゃー。
 でもHDDレコがちゃんとお仕事してくれてたので朝番組のロストはなし。

 腹が減ってないので昼飯は抜き。代わりに漫画を読んでアタマを満たすことにする。
 手に取ったのは森園みるくの『フィータス -人間未満-』。原案が村崎百郎センセということで、シャレにならない「リアル」(あえて括弧付き)な人物造形。スキャナーズの見方が変わりましたよ!(笑) しかしこれ、先に村崎氏の著述を読ませてもらってなかったらふつうの超能力者エレジーとして捉えてしまってただろうなあ。ちゃんとした流れで本を貸してくれたI氏に感謝。

 昼過ぎ、H社からゲラが届いた。赤入れして著者校とする。近所のコンビニへ出かけ、メール便で郵送。
 帰りの足で本屋へ向かい、『ケロロ軍曹』新刊購入。加えて、100円古本コーナーでめぼしいものをごっそり買い込む。以下がラインナップ。

『夢幻紳士』怪奇編(2)、(3) 高橋葉介 アニメージュコミックスペシャル(徳間書店)
『仮面少年』 高橋葉介作品集(2) 朝日ソノラマ
『ライヤー教授の午後』 高橋葉介作品集(3) 朝日ソノラマ
『海から来たドール』 高橋葉介作品集(5) 朝日ソノラマ
『猫夫人』 高橋葉介作品集(6) 朝日ソノラマ
『腸詰工場の少女』 高橋葉介 MY COMICS(東京三世社)
『クレイジーピエロ』 高橋葉介 MY COMICS(東京三世社)
『サララ前線北上中』 まつむらやすし ガンガンコミックス(エニックス)
『陸軍中野予備校』(1)〜(5) 安永航一郎 少年サンデーコミックス(小学館)

 高橋マンガの愛好者を自称していながら、今まで本自体はほとんど収集してなかったことをここに白状しときます。てへり。
 あ、でも『クレイジーピエロ』は朝日ソノラマの作品集で既に持ってたんだよなあ。あとで思い出した(^^;;
 ……いや、今回はコレクションの意味で買ったわけだから重複しても別に負けじゃないぞ。(誰と勝負してるのか。そりゃ自分とさぁ!)

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BLOOD+

 今日は録り溜まっていたビデオを6時間ぶんほど消化して、次いで『死霊のはらわた』三部作をDVDで視聴して、合間にこれを観てました。テレビ離れできないお年頃。

BLOOD+』第1話「ファースト・キス」
 週末18時台というファミリータイムをものともしない、冒頭の流血斬肉シークエンスは個人的には大喜び。
 あとは殆どが今後の展開のための種まきばかりだったので判断保留しました。「ありがち」という声も聞こえそうだけど、もとの劇場版からしてフルデジタルの映像快楽を先走らせてありものの設定をかき集めたような体裁だったわけだし、初手としてはこれくらいで構わないんじゃないでしょうか。4クールという長丁場でどう転がすか期待。

 しかし、チェロ弾きの美青年キャラが放つ微妙な空気感だけは慣れるのに時間がかかりそう(笑) これはハガレン、SEEDの次という枠を考えるとむしろ客層にきちんと配慮してると評価すべき?? 腐女子の見解や如何に(^^;;

[追記]
 直接には関係ないんだけど、後半の流れに「ブルーシード」を連想して悶々としてしまった。草薙さーん。

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2005年10月08日


アニマル横町♯1

 ぼつぼつ10月期のアニメが放映され始めとりますな。

『アニマル横町』公式サイト

 ある幼女がはじめて一人部屋をもらったら、その部屋の床には喋って動くぬいぐるみのようなアニマルたちが出入りする不思議なトビラがあって、いつもにぎやかに大騒ぎ…… という骨子のキッズコメディ。

 油断してたけど、これは良い。
 アニマルたちを"わたしの親しき妖精"、いわゆるイマジナリー・フレンド(児童が本気で付き合う空想上のおともだち)と想定して見るとひじょーに意味深な絵面や会話が多いです。カメラの位置がやたら低くおさえてあるのは、たんにキャラの身長目線に合わせたという以上の意味づけが可能だと思う。あくまで解釈論だけどね。(でも「じつは大人になったあみちゃんが〜」みたいなギリギリのメタ台詞を持ち込んでくる作品だしなぁ……)

 まあ、そういう穿った二次的な見方は置いといても、漫才アニメとしてふつーに面白いです。女児向けドタバタ劇では定評のあるスタジオぎゃろっぷがアニメーション制作。なるほど。

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2005年10月06日


『はっぴぃ直前』読んだ

克・亜樹『はっぴぃ直前』全6巻 少年サンデーコミックス、1987〜1988

 直前くんは、困難な受験にとっかかる動機が「(親しい人々を)がっかりさせたくない」からというあたりものすごく善人だと思う。

 それにしても……登場人物の数に無駄がねぇー!(笑)
 とくに受験編は、マドンナ/主人公/ライバル/揺らぎ(幸村さん)……恋愛劇の回路を作るのに最小限必要な素材だけで単行本3冊余ぶん切り回したのがかえってすごいな(^^;; 高校編はわずかに世界を拡張して学園コメディ展開を転がす向きも混じってるけど、やっぱり基本は主要二人〜四人だけであーだこーだ対話する枠内にかっちり固定してるし(ただし当初のライバルいさむ君は脱落し、その代わりに恋敵としての圧力を一切もたない優しい先輩が組み込まれている)。ゲストキャラが出ないから脇道にそれることもなく、ただひたすら少年漫画ラブコメの"素組み"を見られるという意味で、たしかに模範的な作品かも。
 あえて明確なゴールインを避けて「幸せの直前」というモチーフを最後まで通したのも好感をもてました。綺麗なラストシーンだった。

 恋愛劇から一歩引いて全体を俯瞰してみると、主人公が受験という壁を越えた先に、父親という精神的にもっと大きく根元的な壁がせり出してくるのが巧いつなぎ方になってますね。

[追記]
 これ、初期状態のまま舵取りを一つ違えれば「いけない!ルナ先生」みたいな方向にも進むことができただろうなあ、とか(笑)

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今週のサンデー&マガジン

■サンデー
 『あいこら』すっかり軌道に乗ってますな。今回、クオリティとしては『美鳥の日々』のコミケ編に肩を並べてますが、主人公の積極性があるぶんさらに勢いが良くて笑えます。
 『絶対可憐チルドレン』ある種の人間には心に痛いテーマでした(笑) 楽しむ前に申し訳なくなったぜ! だって俺はあのオヤジ側の人間だもの!(^^;;

■マガジン
 神toが載ってない。それだけでこんなに寂しい。寂しい。寂しい。

 『ヴィンランド・サガ』次回からアフタヌーン誌へ移行。作者のいう執筆ペース以上に、作品の性質的にも自然なところへおさまった感じです。
 『コマコマ』鼻っぱしらをヘシ折られた主人公の悔し泣きを見て「くじけるな、がんばれ」と思う前に「なんかすっとした」という鬼マインドが働いてしまった。ひでぇ読者だな(^^;;
 『ゲットバッカーズ』この漫画って、ラストに打ち切り漫画の最後っぽい「これからだ」走りの決め絵をもってくる回がちょくちょくあるのでひじょーに心臓に悪いです。助けてテル先生!
 『ネギま』たとえば映画とか芝居だと「バックステージ物」というジャンル概念があるけど、現況の醍醐味はまさにそれであって、舞台上のみを主眼と定める少年ジャンプ的御前試合の思考に呪縛されすぎないように気を付けたい。
 『スクール・ランブル』お嬢はわりと惚れっぽい性格なのか、あるいは趣味が一貫してるということか(笑) 前髪で目を隠す播磨。どこのエロゲ主人公ですか。
 『トト』次回、最終話? でも作者コメントではお笑い大会を番外編といってるんだけど……あれ??
 『もう、しませんから』だから面白すぎるって! 目潰しギャー。

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2005年10月05日


何故か唐突に

 FC版『ドラゴンクエスト4』を再プレイ中。
 やっぱりドラクエではこれが一番好きだ。キャラも話も。
 ガキのころにプレイしたときは分からなかったけど、ピサロと勇者のふたりが、恋人を敵対種族に嬲り殺された者の復讐を共通させながら世界を滅ぼす者/救う者で結果を対極的に決別させていくあたり、バランス感覚が効いててしびれる筋立てだよなあ。

Posted by みやも at 10:42 | コメント(0) | トラックバック (1)

2005年10月03日


『将太の寿司』23巻まで読んだ

 新人コンクールが一段落して、いまは悪辣な評論家と再三の対峙をおこなっているあたりです。

 いやー、コンクール編はほんとに面白かった。
 木下、奥万倉、清水いずれも、ともすれば主人公サイドがかすむほどに切実なバックグラウンドを強調させて読者の感情移入を巧く分散させているから、少なくとも目先の戦いでは本当に誰がどの順番で料理を出しても勝者の予断が許されない(^^;;
 「料理マンガの後攻勝利」定石 *1 をあっさり超克しているところがこの作品の面白いところですね。(一勝負を複数回テーマに分割してる→"最後の最後"に天才・関口将太の勝利が決まりさえすればいい構造だから出来ることだといえばまあそうなんだけど)

 で、そういう作品の恩恵を一番に受けたのが佐治さんなわけです。主人公に互する実力と背景事情が肉付けされ、それを足がかりに肯定的な変化を志向していくキャラになったことで、スタート地点が憎々しい嫌なヤツだったぶん、その成長の度合いがものすごく際だって見える。
 はたして寺沢先生は、これをどこまで計算してやってたのか?(笑) たぶん週刊漫画ならではのライブなゆらぎが最も良い形で機能したケースなんだろうなあ。

[追記]
 清水哲也の妹・初美ちゃんは可愛いですね。
 兄へのなつきっぷりはただごとじゃない。禁断の愛の香りが!(嘘)


*1 : ただし、この定石が強いタイトル(美味しんぼ等)でも、実際には後攻サイドが負けるエピソードはいくつか存在する。あくまで原則は原則であって、かならずしも絶対尊守されているわけではない
Posted by みやも at 23:27 | コメント(0) | トラックバック (0)


Amazon発注物到着

 注文していたDVDが届いた。

「バタリアン」
「死霊のはらわた」20周年アニバーサリー
「死霊のはらわた3 キャプテン・スーパーマーケット」ディレクターズカット版
「究極超人あ〜る」

 ホラー系は、今までレンタルした回数×料金の累積がDVDの価格を超えそうだったので思いきって購入することにしたタイトル。(「死霊〜」2作目はAmazonに無かったので別経路で発注したが、まだ届かず)
 「究極超人あ〜る」は、最近の個人的ブーム再燃を記念して。昨日、ようやくワイド版で欠けてた2巻が入手できたところだったのでタイミングも良し。

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きのう勢いで書いたエントリを読み直す。

 どうでもいい話をクドクドと……アホじゃなかろうか(笑)

Posted by みやも at 21:46 | コメント(0) | トラックバック (1)

2005年10月02日


ひとりよがれぬこの浮き世

 ひとりよがりはよくない、というのが創作・表現技術の基本らしい。
 ……らしいのだけれど、字義通り「己ただ独りのみ」が善がるという意味でのひとりよがりというのは、実はやりたくても達成不可能に近い現象でありはすまいか。
 例えばここに、一般他者への開放的提供性をまったく度外視して意に介さない自我肥大型の作家がマニアックきわまりないマイナー系媒体に自分の趣味だけの「俺には分かっとる、俺にはこれが快い、これは正しい」の意識で固め上げた作品があるとしよう。
 だがしかし、それでもなおその作品は、本当の意味での「独り善がり」になることは難しい。「完全なる個性(オリジナリティ)」議論とも通じる話で、ある種の人間には絶望的で恐ろしいことなのだけれど、じつはどんなに見当違い勘違いな独善"的"思想で他人を省みずに間口の狭い、ハードルの高すぎる作品をつくってもなお、「ああ、分かる分かる」と勝手にチャンネル適合してくる受け手が(発表されてすぐにとは限らないが、いずれ)必ずあらわれてしまうからだ。

 生物学的に同じ基盤をもって社会学的に同じ集団内に身を置く以上、社会生活者は、その個体の存在様態が他の個体と全くこれっぽっちも共通項をもたずに成立することは出来ない。可能なのはただ、偏倚の度合いの強弱だけである。そうである以上、内面のあらゆる発露にはまったく他から分離しきった独立表現も成立しえないのである。万人受けする表現作品なるものがありえないのならば、同様に万人に拒まれる表現もないという道理だ。

 けっきょくのところ問題は、受け手の「多寡」であって、受け手の「有無」ではないのである。指導的に「独り善がりはよくない」という論は、表現物に対してチャンネルの合うユーザーの数が少なすぎて、実際的もしくは抽象的な意味で「商品」として成立しなくなると割に合わないよ、という忠告だろう。マイナーラインの商業媒体が、一般にはいったい作家本人以外の誰を喜ばせたいのか理解に苦しむような作品をいくつも収録しているのになんだかんだで商売として成り立つのは、それでもなお「(数こそ少ないが)売り物として割に合う客の数」をなんとか確保しているからだ。確保できなかったら即ポシャンだが。
 同人活動とか、日常会話のシーンになると「割に合う数」はもっと少なくていい場合が多い。極端な話、目の前のたった一人でも通じれば割に合ってしまう領域だ(同人の場合、近年はもうちょい商売っ気のあるボーダーを引いてる向きも多いようだが)。

 だから、もしも本当に「独りだけの独り善がり」が実現されるとすれば、それは表現されたのに発信者以外には誰も解読できない言語文法でつづられたモノ、または誰の目にも触れることなく消えてしまったモノだろう。ただし伝達以前の表現を表現と呼べるかどうかは、ちと疑わしいけれども。

[まとめ]
・人は「ひとりよがり」には、実はなれない
・「ひとりよがりはよくない」というのは、「割に合わない客数しか確保できないやり方はよくない」という意味である

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シン・シティ

 10月1日(土)午後9時過ぎ、JR天王寺駅近くのアポロシネマ8にて観賞したるは『シン・シティ』。ロバート・ロドリゲスと原作者フランク・ミラーが共同監督のノワールコミックムービーです。愛する女を守って散りゆく3人のロクデナシどもの哀歌は、古式ゆかしい男らしさの復権を目指すというよりはそれを懐古的に俯瞰・解体してトドメを刺しちゃったような趣がありました。クライブ・オーウェン(asドワイト)が殴った女とキスを交わすシーンの決め決めっぷりはむしろ意図的に若干の笑わせ感を出してたよね。
 ベニシオ・デル・トロの死体演技に腹を抱える一方で、B・ウィリスのハードボイルド版光源氏ラブストーリーにほろりと涙させられた。「幼女は大切にね!」という素晴らしい人生訓をたまわった気分で劇場を後にしたみやもでしたとさ。

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