大学時代からの友人Wと久々に連絡を取り、MSNメッセンジャーにてチャット。お互いエロゲに肩までどっぷり漬かった身なので、話題は自然とその方向へ向かう。
そのさい、むかし大ヒットした某純愛系タイトルについて、僕が身の程知らずにも「いやー、あれだけ売れよったけどなー、実際問題として●●が○○○したり×××が■■■するなんてのはありえへんやろ。おかしいわ」とケチをつけまくっていたところ、
「ある物語が正しく現実を反映しているかどうかという事と、それが商品として売れるかどうかは全くの別問題だ」
と指摘され、「エロゲのレビューをサイトで公開してる人間にしてはうかつだな、おまえ」とざっくりシメられてしまった。
たしかにそうやな、と思わず納得。ズキズキ痛む耳をさすりながら反省する。
暑さを言い訳にしてゴロゴロと怠惰きわまる1日を過ごす。
まず朝は徹夜明けの脳みそに一杯のコーヒーで活を入れながら「デカレンジャー」→「仮面ライダー剣(ブレイド)」→「ふたりはプリキュア」の定食コース。放映開始からまもない時期はそれぞれシリーズ構成やら脚本やら動きやらで一長一短あったこの3本だが、ここ最近は総じて底値がアップしてきており、まずは何より。……いや、仮面ライダーは根本的に正直どうかと思うけど、出来の悪い子を慈しむような気分で嫌いになれないのですよ。
そんなこんなでスーパーヒーロータイムを満喫してから、しばしの仮眠。2時間後、熟睡は出来ぬまま、うだるような陽気に誘われてのそのそと起き出し、いくつか用事を片づける。作業のあいまに昨日の残り物のソーメンを胃へ流し込み、朝昼兼の食事とする。食欲はないのに空腹感が腹に響くという変な状態だ。
午後は読書。長い間かけてこまぎれに読み続けている『ドグラ・マグラ』がようやく下巻に突入。間違いなしに突き抜けた奇書だとは思いつつも、臓物グチャドロ血みどろグシャグシャなスプラッターやサイコスリラーが幅を効かせて久しい今の世では、夢野先生の描くインサニティはかえって洗練されてカッコヨク見えてしまうなあ、などととりとめもなく考える。
夜、ラジオで阪神・中日戦を聴いて打線の不調に悪態をつきながら冷麺を食べる。なんだか麺類ばかりだが、喉の通りが良いメニューでないといまいち箸が動かないので仕方ない。暑い暑い暑い。
食後、自室に戻る。日が暮れてしばらく経つのにまだ壁が熱を持っていてゲンナリ。扇風機を回すが、あまり効果はない。
あとは昨日購入した「座頭市」(北野版)DVD初回版特典のメイキングをたらたら見ながら、いまこうして日記をつけている。
エメリッヒ大健闘。
2004年、アメリカ 124分
製作・監督 ローランド・エメリッヒ
脚本 ローランド・エメリッヒ、ジェフリー・ナクマノフ
音楽 ハロルド・クルーサー
出演 デニス・クエイド
ジェイク・ギレンホール
イアン・ホルム
エミー・ロッサム
サラ・ワード
配給 20世紀フォックス映画
公式サイト
[あらすじ]
地球温暖化の影響で海流が変化して異常気象が発生、北半球が氷河期へ突入しちゃったもんだから大変な目に遭うけど頑張るアメリカ人のお話。
[感想]
いやいやいやいや、あまりにもまともなんで驚いてしまいました。ローランド・エメリッヒなのになぁ。
映画の前半、ロスの暴風雨からニューヨーク大洪水までのステップはまるで異常気象を巨大モンスターに見立てた怪獣映画のような段取りで惹きつけるし、市街が凍結してからの展開はハリウッド式に『復活の日』を作ってみたかのようでなかなかに素敵なドン詰まりっぷりが良い感じ。人智のおよばない大災害の超越性は崩さずに、あくまでそのシチュエーションの中で可能努力をはかる人間の群像劇というスタンスが好感を呼びます。かりに災害映画を『アルマゲドン』(もしくは『ザ・コア』)型と『ディープ・インパクト』型に分けるなら、本作は後者にあたるといえるでしょう。ちなみにエメリッヒ監督自身はパニック映画のお手本として『ポセイドン・アドベンチャー』の名を挙げております。なるほどそういえば、というシーンが実際いくつもありました。
さらに、そうした基本姿勢の上で、物語の波及範囲を北半球で区切ったのが巧かった。この設定のおかげで、絶望的状況を徹底しながらも最後にデウス・エクス・マキナ的解決法に頼らないで希望のある結末へたどり着くことに成功しています。……とてもじゃないが宇宙人の母船にコンピュータウィルスをバラまいて地球を救う映画を撮ったのと同じ監督とは思えない謙虚なストーリーテリングだぞ。
[総評]
これでGODZILLA(ゴジラ)の失態をようやく返済できましたな、エメさん。
むかしはよほど気に入ったタイトルでないと繰り返して観たりしなかったんだけど、DVD媒体への移行にともなって「(高画質だから)あの名作をもう一度」という機会が増えました。未観賞の作品のチェックとあわせて倍の時間が……。50年前と現在では「観ておくべき作品」の数がケタ違いなのに、人ひとりの生活時間はいつも容赦なく有限なのが難儀なことです。映画鑑賞自体は間違いなく楽しい道楽なんだけどね。
『2001年宇宙の旅』 (1968年、S・キューブリック監督)
ここまでのマスターピースになると、褒めるにせよ貶すにせよ既にありとあらゆる角度で語り尽くされてますから、かえって自分なりの感想を述べにくかったりします。この場面の意味はああだこうだという考察もクラーク先生の懇切丁寧な小説版を読めば必要ないし。
それでも強いて言うなら、いま現在この映画を観るにあたっては、思想的なものよりむしろキューブリック&クラークによる、60年代当時のイマジネーションで描かれた"21世紀の宇宙生活カタログ"という即物的な側面に価値を見出すのもありなんじゃないかと思います。物語前半のスペースシャトルや衛星ホテル内の描写、ディスカバリー号のスペックを間接的に紹介するニュース番組の演出などは、いま見るとわざとらしくなるギリギリのラインまで説明性を高くしてあり、決して絵面として小難しいところはありません。60年代SFにおける近未来予想図として、見ていて純粋に楽しい映像が随所に散りばめられています。
この映画が難解な印象を生じるのは、主に冒頭と終盤の寡黙な語り口が原因で、それ以外は割にとっつきやすい内容だと思います。もちろんそれは小説版の補足情報があるがゆえのコロンブスの卵ではあるんですが。
『サブウェイ・パニック』 (1974、ジョゼフ・サージェント監督)
地下鉄列車をハイジャックして人質を取った武装強盗チームと公安当局の間で繰り広げられる虚々実々の駆け引きを描いた良作ドラマ。公開当時は70年代流行のパニック映画の流れで売り出されたそうですが、実際の筋立ては渋く落ち着いた硬派なサスペンスになっています。
とにかく犯人グループのリーダー(ロバート・ショウ)が格好良すぎ。最後まで我を通して潔く散っていくところにしびれます。
ラストの小洒落たオチもユーモアたっぷりでステキ。教訓は「強盗するなら体調は万全に」か? ……っつうかホントに落語のオチだよな、これじゃ。
なお、QT監督の「レザボア・ドッグス」で主人公たちが互いを色の名前で呼び合うのはこの映画が元ネタだそうな。
『ファントム・オブ・パラダイス』 (1975、ブライアン・デ・パルマ監督)
デ・パルマ先生とポール・ウィリアムズがほとばしる妄執をロックオペラで画面に叩き付けまくったカルト作品。
冷酷非情なプロデューサーに自分の作った曲を盗まれて顔に大怪我を負った哀れな作曲家が、怪人に扮して自分の見込んだ歌手に脚光を当てるために敵の経営する劇場で殺人を犯すという壮絶な復讐劇。もちろん表向きには「オペラ座の怪人」の翻案だが、実際は「ファウスト」の要素を軸にしたダイナミックなヒネリのほうが強い。あと「ドリアン・グレイの肖像」も入ってるな。
音楽プロデュースの大家ポール・ウィリアムズが自ら悪魔のようなプロデューサーを演じるという、ある意味シャレにならないキャスティングもステキだ(もちろん本作の音楽担当もウィリアムズ)。
個人的には、ファントムの犠牲者となるロッカー「ビーフ」の華々しい死に様はそのエフェクトもあいまって、劇中のみならず映画史屈指の名シーンだと考えております。笑えるほど凄まじいっす。
『ジーパーズ・クリーパーズ』
(2001、ヴィクター・サルヴァ監督、フランシス・フォード・コッポラ制作総指揮)
23年周期で人を襲う殺人鬼に狙われる姉弟の悲劇を描いた青春ホラー。
コッポラという看板がなければ間違いなく闇から闇へ消えていったはずのアレな作品。でも続編が作られて現在公開中なのですよ、なんと。
Web上で日記を書いている人間がたまーに患う病気であるところの「書くこともないけどとにかく更新しなくちゃいけないような義務的気分」が生じてしまったので、逆に今日はあえて筆を置いときます。
銭湯にでも入って気分変えるかな。
またサブゼロ出たー!(笑)
作者 氷川へきる
発行 スクウェア・エニックス GFC
価格 590円(税抜)
さすがに第5巻ともなると、どんなネタを繰り出しても安定感が先に立ってきますな。姫子−玲が完全に智−よみのコンパチになっちまってるのがなんともはや(^^;
しかし、個々のギャグでは相変わらずとんがった毒が随所にちりばめられててステキです。本巻のハイライトはなんといっても白鳥人形劇団でしょう(笑) やっぱり氷川氏は人間対人間のからみよりも人間対異物、もしくは異物対異物で構築したネタの方がパンチが効いてると思います。たぶん相手が人形とか動物なら、切り口の容赦なさにブレーキをかけなくてすむからなんでしょうね。
あと、個人的にますます南条さんの株が上がってきてます(^^;
ヘナチョコお嬢様っていいキャラ立てだなぁ。
おまけ漫画「南条さんの朝」ではすっかり脳みそヤられちゃいました。かわええな。
トリビアの泉で実写映画版のハイジ(「アルプスを越えて」)のネタをやってましたな。
アニメの時間軸から見て5年後にあたる時期を描いた映画ですが、えー、たしかにペーター役がチャーリー・シーンということでウケをとる以外になんともいいようがないタイトルです。
ただ、ペーターとハイジがくっつくという展開そのものは、原作小説の続編にあたる「それからのハイジ」「ハイジの子供たち」という本が存在するわけで、とくに笑うところじゃないんですが(^^;
ちなみに、この続編小説ふたつは第1作の作者スピリの著作ではなく、フランス版ハイジの翻訳をしたシャルル・トリッテンという翻訳者が勝手に(?)ぶちあげた異編ということになります。
「それからのハイジ」「ハイジの子供たち」どちらも読売新聞社から日本語訳が出てましたが、現在絶版中。復刊を求める声もあるようです。
自由時間をすべてDVD観賞に費やす1日。
『アンドロメダ…』 (1971、ロバート・ワイズ監督)
マイケル・クライトンのベストセラー小説を、「サウンド・オブ・ミュージック」のロバート・ワイズ御大が映画化したSFサスペンス。
墜落した人工衛星にくっついてきた地球外の殺人病原体を分析する科学者チームの姿をドキュメンタリータッチでひたすら淡々と描く……んだが、劇中で最大の山場はけっきょく人間の施設管理上の危機回避という、よくよく考えれば本筋とは何の関係もないところだったりして実はショボーンな展開。良くも悪くもマイケル・クライトン映画である。
しかし、画面分割の演出など映像作品としてはいまでも褒めるべき点が多いと思う。
エヴァの第13話のネタ元として云々というのは今さらなので割愛。
『タイム・マシン』 (1959、ジョージ・パル監督)
DVDではこれが初めての視聴。
あらためて高精細な映像であの独特の時間経過エフェクトを見ると、ウェルズの文章から見事に画を起こしたジョージ・パルの想像力に感服の一語である。
結局ウェルズの曾孫によるリメイクよりこっちが断然面白いと再確認するに終始しちゃったけど、これは原典だからという贔屓目ではないと思うぞ。
ちなみに、特典ギャラリーに収録されているドキュメンタリーの終盤に、主人公ジョージが30年ぶりに親友デヴィッドの前へ帰還してくるという筋立てのミニエピソードが入っていて感動した。しかもキャストは映画と同じロッド・テイラーとアラン・ヤング。きちんと本編の設定に基づいた後日談で、ちょっと泣けました。
劇場版Zガンダムについて監督のおことば [情報元:好き好き大好きっ]
カミーユについてあれこれのたまってます。
しかし、これは意外ではないでしょう。ターンAといいキングゲイナーといい、エヴァに腹を立てて以降すっぱり皆殺しをやめてエンタメ精神に徹するようになった監督にとっては、むしろ必然的な帰結ではないかと思います。
時間の空きが通常量に戻ったため、ここしばらく断腸の思いで断っていたビデオ屋さん通いをいそいそと再開。しかし久々にクスリにありついたジャンキーのごとき態でハァハァしながら店員へ差し出すのは「ファントム・オブ・パラダイス」「2001年宇宙の旅」「ジーパーズ・クリーパーズ」「アンドロメダ…」「サブウェイ・パニック」「タイム・マシン」(ジョージ・パル版)と、相変わらずの脈絡のなさ。もうちょい体系だった観方をしないと把握の度合いが悪くなるんで気を付けようとは思いつつも、いざお店にはいると目移りしてあれもこれもと四方八方に手を伸ばしてしまう。この優柔不断ばかりは生来いかんともしがたいようだ。
帰宅途中、「ぱにぽに」第5巻の発売を思い出し、最寄りの書店に寄って購入。ふと見ればコミックの帯にドラマCDの広告が載っていた。楽しみといえば楽しみだが、もしもこの流れでアニメ化なんぞしたら十中八九は氷川ポイズンが抜かれてしまうんだろうなぁという予測が先に浮かんできて眉をひそめてしまった。いやなファンだな。
帰宅後、買い物袋をあらためていると弟が部屋へやってくる。何かと思えば「美味しんぼで山岡が事あるごとに『俺の知りあいの劇画原作者は〜』って言うけど、そりゃ雁屋哲、アンタのことだろ!」と語気荒く訴えてきやがった。俺に言うな。しかもそんな今さらな話を。
あ、ビデオと漫画の感想はまた後日、別個にエントリーを作ります。
巡回先のサイトを見ていると、皆さん「CLANNAD」に涙を搾り取られたり期待の新作「お願いお星さま」の発売カウントダウンに突入してたりでいろいろ興味をそそられる今日この頃ではあるものの、ただいまのところワタクシが目下プレイ中なのがこちら。
お話自体はオーソドックスな入院モノ……なんですが、ひじょーに語り口が巧い。饒舌なダイアローグで畳みかけてくるテンポの良さによって、とても楽しい仕上がりの佳作になっております。
劇中の登場人物でお気に入りは二人。口やかましい義妹と、ツンツンして高圧的ながら面倒見の良い看護婦さんがステキです。
とくに後者は個人的ツボに響きまくってまして、表面的には物言いがキツくて強気なんだけど、元々の人の良さのために全部が空回りしてて微笑ましいという、エロゲーの神様が俺のために用意してくれたとしか思えない性格設定になってやがります。ラブ。
杏子「うるさいうるさい。もうキミは口を利くな。これ以上なにか喋ったら柱に縛りつけるぞ」
祐一「し、縛り!?」
杏子「そうだ。縛りつけられ動けないようにされるんだ。みんなが遊びに誘いに来ても三時のおやつの時間になったとしても」「そうなるともう、えーとえーと、床に涙こぼして、それを足先で伸ばしてネズミの絵を描くくらいしかすることがない」「それがいやなら黙っていろっ」
あと、ハートマン軍曹ネタも入ってました。「泣いたり笑ったりできなくしてやる」とか。
「わたしは自分の目で見たモノだけを事実として信じます」
だが、しかし、おのれの目に映ったモノのみを確実視するのは、実のところかなり危険で浅はかではなかろうか。主観によって濾過される以上、直接感覚的に見聞きされる事象のことごとくは根本的に虚構にしかなり得ないためである。
時々思わされるのだが、ほんとうの真実真理とは、むしろ真逆で、自分の目に映るモノ以外、すなわち自前で認識できる領域の境界から外に在るすべてではあるまいか。人は「現実感」の中で生きることは出来ても、決して「現実そのもの」には到達しえない。とくに奇術趣味を持つ人間には首肯してもらえると思うが、最大に疑うべきは、実はいつも自分自身の目なのだ。
場合によっては一見が百聞に如かずという事さえあるだろう。例えばそれは裁判というものの存在意義であったり、安楽椅子探偵という物語様式が成立する理由であったり。
追記:
もちろん、家に引きこもってネットで情報収集三昧の生活が真実的と言うつもりはありゃしません(^^; 頭デッカチになって煮詰まったときには皮膚感覚を得て目を覚ますことが大事だし、ジャーナリズムなどにおいては一次資料の構築はやっぱり足で稼いでナンボだと思うし。
司淳センセの本を見ながら、とりあえずリハビリ。ほんの少しマッシヴ。
もっと大きなおっぱいを描くつもりだったのに。女性がおっぱいを晒すのはごく普通の事だった [X51.ORG]
「この時代に生まれたかった」との声もありますが、エロティシズムと背徳性、隠匿性の関係を考えるに、堂々オープンにされている時代では今の感覚と同じ意味のありがたみはなかったんじゃないでしょーか(^^;
いちおう当時でも非難の声はあったようですが……現在にあてはめると、ヘソ出しファッションくらいのもんだったようです。
ほうぼうでご心配おかけしましたが、おかげさまで父の手術も滞りなく終了しました。
まだICUに入ってこそいるものの、血管の通りが良くなって血が巡るようになったおかげか、麻酔が抜けて目を覚まして以降はやたら顔色が良くなってます。元気そうで良かったとこちらが言えば、「看護婦さんが優しいからねえ」なぞと軽口叩いている始末です。おーい。
もうひとつ進行中の状況についても、とりあえず自分のすべきところは片づけまして、あとは適宜修正したり、他の方たちとの調整をあれこれやっていく事になります。
こうしていちおう身辺が落ち着いたいま、なんだか猛烈にお絵描きがしたくなりました。
ここ数ヶ月キーボードばかり触れていたせいか、不思議なくらい鉛筆とタブレットが恋しいです。
ネットのほうも、気が付けばこういうサイトばかり巡っていたりして。
もう何年も同じ事をボヤいているんですが、やっぱ基礎から勉強しないとなぁ。
『28日後…』で物足りなかったヒトは、是非こちらの映画をどーぞ。
泉北TOHOシネマズにて』観賞。
……いやぁー、いったい年に何回あるのでしょうか。事前に大きな大きな期待を抱いて、それを裏切られる事なく大満足できる映画体験というものは。
まずアヴァンタイトル、無駄のない運びでカタストロフィの幕が開けるところでぐぐーっと引き込まれ、オープニングでジョニー・キャッシュの「The man comes around」(『ハンテッド』のエンディングで使われてた曲)が流れてきて失禁寸前の感動。考えてみればこれほどぴったりな曲もねぇよな。
本編に入ってからは人物の掘り下げをあえて抑え、めくるめく地獄絵図シチュエーションの絶望的推移をハイテンポな編集でたたみかけていきます。その疾走感たるや、まさに現代における『ゾンビ』のリ・イマジネーションといった態で酩酊必至。息つく暇もない97分間に鳥肌立ちっぱなしで、嬉しくなってしまいました。
この映画の特徴は、『ゾンビ』の直系リメイクでありながら、ゲームの『バイオハザード』初作などをはじめとする『ゾンビ』のフォロワーである諸々の作品から逆輸入した要素があちこちに見られるところです。『ゾンビ』に影響を受けたモノたちから影響を受けて『ゾンビ』を作り直しているという奇妙な図。表現作品の性質がうかがえてなかなか面白い。
また、監督がいうには、アンチ『マトリックス』という狙いで、VFX全盛の今だからこそ「生」の素材を使うことにこだわったとのこと。そういえばあれだけ大量のゾンビがいて、全部生身の人間にいちいちメークアップを施した物理的な人海戦術なんだよなー、と後から気付いて愕然。ホラー黄金期への仁義があってすばらしいこだわりです。
ちなみに、エンドロールが始まっても席は立たないでおきましょう。小刻みなカットを挟んでエピローグが挿入されてます。
追記:
やっぱあの赤ん坊は『ブレインデッド』ネタだったんでしょーか?(^^;
追記その2:
犬萌え。
いろいろ事情が重なって日記に手が回らなくなっております(^^;
文章の体力を別に振り分けなきゃいけない状況が進行中なのと、入院中の実父が心臓バイパス手術を来週に控えて諸々の準備に手を取られてるのが主な理由。
……と、まぁ日々いろいろありますが、何もそりゃ僕だけじゃないし、立ち止まって何か得られるわけでもないんで今はとにかく「がんばっていきまっしょい」と自分に言い聞かせて歩を進めるのみであります。るーらーるーらー。
岡崎律子さん死去 [FLASH24]
メロキュアやら何やらいろいろと語りたいところではあるのですが、今はとりあえず「シスタープリンセスRepure」のキャラソンアルバムを久々に引っ張り出して、しばらくのあいだ項垂れつつ聴いておりました。
嗚呼、
こんなに優しい音と歌を作るヒトのうえにも、等しく死は訪れるのだなあ、と。
嘆いても詮無きことを嘆きつつ、合掌。
今週末、いよいよリメイク版「ゾンビ」こと「ドーン・オブ・ザ・デッド」の一般上映が始まります。
子供のころから、特別に期待していたタイトルの公開が近づくと大体一週間くらい前からそわそわして日常の些事が手に付かなくなってしまうのですが、今回も例に漏れずその状態。
あああ、楽しみすぎて脳みそがハングアップ気味だ。
まだ死ねない。
俺はまだ絶対に死んではならない。
たとえ死して骸になろうとも、われゾンビと化して劇場へ行かむ。かゆうま。
某所の「瓶詰妖精」スレッドで紹介されていたトリビア(?)。
すでに市民権を得てるのか……。
これ、てっきりごく最近のアニメや漫画関係で生まれた造語なのかと思っていたんですが、ここを見るにどうも「局所的な縮れ毛」という意味では、わりに前々から使用されていたようです。「アホ」の組み込み方から推測されるところでは、おそらく関西圏が発祥ではないでしょうか。
ただ、ここで問題となる「触覚のようにハネている一房の毛髪」という意味に限定しての「アホ毛」がどんな由来と歴史を持っているかはちょっと定かではありません。マホ。
追記:
似たような例として、「漢」と書いて「おとこ」という読みをあてるのもオタク系造語だと誤解されがちですね。これは司馬遼太郎が作品(「新選組血風録」など)で好んで使用しておりましたので、少なくとも30年はさかのぼることが出来ます。
我々だって「WASABI(ワサビ)」みたいな題名を目にしたら面食らいますもんねぇ。
Engrishで悪いかってばよ! [Moonlight Fantasia]
すげぇツボにはまってしまい、思わず読みふけってしまいました。
うーん、やっぱ日本人が半可な知識・認識でつける英語タイトルなぞ大半がネイティブにはアホっぽく見えるのですな。
基本的に、可愛さや可憐さを意図してつけた英語題はポルノのイメージで受け取られてると思ったほうがよさそうです(^^;
訳題の場合だとアジア−ヨーロッパ言語間の翻訳上の難しさもあるでしょうが、最近は日本語原題の時点で意味不明なタイトルが多くなってて余計に事態が紛糾している模様(^^;
いやはや、面白い面白い。
追記:
「おねがいティーチャー」がパっと見で「One gay Teacher(あるゲイの先生)」に誤解されやすいというのには爆笑しました。
友人たちとオタク的会話で白熱していた際に、自分の語り口についてふと我に返って恥じ入ってしまうことがよくあります。
いままでの二十数年間の自分のコトバを振り返ってみるに、どうも僕は「これこれこういう現実があるから○○○という作品のこんな内容が作られたのだ」と捉えるべきところを、「○○○でこう描かれているから現実はその通りこうなのだ」と、因果を倒錯した論におさめてしまう癖があるようです。
ある物語について述べるときには、現実の事件・事象を背景として当該フィクション作品がいかに生成されたか分析するのが妥当だと思うのですが、じっさいのところ僕は昔からついつい逆にフィクション作品の内容を論拠にして現実のありようを規定してしまいがちなのです。
もちろん現実の一部分一側面を抽象して組み上げるのがフィクションですから、そういうやり方でたまたま的を射るケースもあるものの、結局それでも作者と作者に同調する自分にとっての閉じたリアリティを吐き出すだけで悪循環に陥ってしまうんじゃないでしょうか。
たとえば何かの作品を出発点に現実の厳しさを語るのは非常に説得力と刺激がありますが、それは必ずしも現実を直視して建設的な方向へ踏み出すわけではなく、自分の嗜好に合う特定のモノガタリ形式の呪縛を反芻しては身悶えるという、一種のマゾヒズムにふけっているだけではないか、と。
最近、そんなふうに自分で自分のコトバに警戒している日々であります。
……なんてことを友人のひとりに話してみたところ、「ああ、そら寝不足と運動不足やね」とざっくり斬られちゃいました。ありがとう。
脳−コンピューター直結インターフェース、臨床試験へ [WIRED NEWS]
前々から追いかけてるトピックなんですが、思ったよりずっと早く形になってきているようです。
当面のお題目は医療に向いているとはいえ、利便性が高くなり、かつリスクとコストが減じればやはり一般の各種市場にも転用されるでしょう。個人的にはむしろその段階になってからが興味ありです。
いまは主に脳内埋め込み式の機器が開発されているようですが、手術を必要としない外部機器だけでこのインターフェースが実現すれば、さまざまな利用が考えられます。
SF小説やアニメでは昔からおなじみのシンクロ式ロボット操縦がかなり大きく視野に入ってきました。
追記:
あまりに分かりやすい「サイボーグ化」なんで拒否反応を示す人もいそうですけど、あくまで神経系の活動を受動的にモニターして、そのパターンをコマンドとして翻訳する=人間→機械への一方向インターフェースであって、べつに機械から人間の意識・精神へどうこう働きかけるわけではないんですよね。
「鉄人28号」観賞後、惰性でテレビをつけっぱなしにしてたらちょっと面白い番組をやってました。
テレビ大阪ローカルの深夜モノ。
ほしのあきとアイドル評論家の山本一郎が新人グラビアアイドルをセクハラトーク丸だしで水着審査したのちに農家へ送って体験労働させるという中途半端に狂った内容がなんともいえない脳みそゆるゆるバラエティです。「エロ」ではない「エッチ」臭さがかえってドキドキ(笑)
追記:
番組のイントロで使われてるイラストレーションがスマートに可愛くて妙に気に入ってしまいました。
んー、これ誰が描いてるんだろう?
(5月4日 記ス)
朝から空は薄暗く、風は薄寒い。
いつからか降り始めた霧雨が窓のふちを湿らせるのを眺めながら、今日も今日とて相変わらず能動性や積極性の欠片もない過ごし方でゴールデンウィークを潰していく。
まず起き抜けにPCの電源を入れて、昨日Amasonに注文した品の発送通知メールが届いているのを確認。到着は多分あしたか明後日になるだろう。しっかり頼むよペリカン便。
その後いくつか巡回先のサイトをまわってから、のそのそと居間へ移動。朝食にはややパンチのありすぎる豚キムチ丼を食べながら、もう数ヶ月も積んでいたビデオ「2300年未来への旅」の消化にいそしむ。
邦題こそ配給会社によるキューブリック&クラークへの冒涜スメルぷんぷんな本作だが、内容はSFのレトロスタイルをセルフパロディにせず大真面目にディストピア映画を作ろうとしており、なげやりなラスト以外はなかなかに面白かった。管理社会における主人公の役職やその原罪の背負わせ方などをみるに、どうも「リベリオン」が(設定レベルで)かなりこれに拠っていたのではないかと思わせられるところがある。
スコアはシンセサイザーのピコピコ音が脱力感満点で、いったいどこのどいつが……と思ったら音楽担当にジェリー・ゴールドスミス御大の名がクレジットされていた。
ミニチュアがそのままミニチュアに見えてしまう映像はいかにもチープだが、それでもこれで76年当時のアカデミー賞特別業績賞(視覚効果)を獲得しているのだ。このわずか1年後に製作された「スターウォーズ」「未知との遭遇」が、どれほどビジュアルエフェクト方面の基準値を引き上げたかということを思い知らされる。
昼を過ぎてからは、だらだらとドラクエ5をプレイ。すでにプレイ開始してからずいぶん時間をかけてきたが、会話システムでの娘とピピンのリアクションが(それぞれ違った意味で)素晴らしすぎるおかげで本筋の展開を遅々として進めることができず、今日はとりあえずエルヘブンから天空城までたどり着くまでの流れで一時中断。
あとは夜遅くまでずっとPCの前に座りもろもろの作業とネット巡礼に時間を費やした。海外のアニメ事情でいくつかチェックしておきたかった情報を漁っているうちに、世界名作劇場がらみの海外ファンサイトにいきついて妙にハマってしまったり、まあいろいろ。
そういえば「若草物語」のジョーって活発な元気少女だけど同時に作家を目指す読書好きで、もろに文系キャラでもあるんだよねぇ。アクティブ文系美少女キャラ。あらためて考えてみれば珍しい造形だ。
はて、この他に「ペンを手に取る威勢の良い女の子」といえば……? 個人的にはいきなり猪名川由宇に飛んでしまうんですけれど、さて。
ネットワークに接続しているだけで感染するウイルス「Sasser」 [INTERNET Watch]
またBlasterタイプっすか……。
うちの弟がこれに引っかかったとかで慌てておりました。
結局OS再インストールしたそうな。合掌。
関連:やられちゃったXPたん
ドコモVS超能力者、携帯商標混戦バトル [ZAKZAK]
トピックのタイトルは笑えますが、制度について真剣に考える上でも参考になる典型的なトラブルケースといえます。
ドラとのび太が時事をぶった斬り [朝目新聞]
無様だよね。
『遙かなる時空(とき)の中で』、TVアニメ化 [カトゆー家断絶]
ちょうど先日ハーレム系作品について言及したばかりだったので目にとまったニュース。これで「ふしぎ遊戯」「十二国記」につづく"女性向けオリエンタル的異世界飛ばされアニメ"の系譜に新たなタイトルが加わることに。(厳密には「遙か〜」の舞台は平安京なんでジャパネスクファンタジーですが)
……というほどのトピックは何もない1日でした。
強いて言えば、ステカセキングがベルギー出身で21歳だったことを思い出して爆笑したくらいか。
おれステカセキングよりも年上になってんやん。
五ッ星中の四ッ星半と、かなり高評価。
訳題「マーメイズ・フォレスト(Mermaid's Forest )」って響きがカッコよくて素敵です。
それにしても、やっぱり「ハイランダー」が連想されるのだよなぁと再確認。
試しに「Rumiko Mermaid Highlander」で検索してみたら、出るわ出るわ。なんと人魚シリーズ+ハイランダーシリーズのクロスオーバー(?)をやってるサイトまであるし。
ふと気づいたのですが、この日記ではほとんど「ふたりはプリキュア」について取り上げていませんでしたね。
それはシリーズの出来の良し悪しを越えて個人的に愛着を感じてしまったというのが主な理由でして、感覚的に楽しんでいる作品をなかなか自前のコトバ(論理)で解剖する気になれないからだったりします(^^;
けれど一方では、シリーズを追っていくうちに胸に溜まった印象を言語化したいという気持ちもアタマをもたげてくるわけで、そんなときは主にひとさまの考察──特にいずみの氏の日記を拝読して欲求を満たしている日々であります。
それでもシリーズが序章を済ませて本格的なフェーズへ移行しようといういま、内部分析には踏み込まずとも、とりあえず外観から捉えるくらいはしてみようかと思い、ここにエントリーを入れることにしました。
てなわけで、本題です。
プリキュアは「ふたりは〜」という題名が示す通り2人の主人公を(ほぼ)対等並列的に看板としていますが、こういうアニメは実は(アニメ史のタイトル数全体からみた割合としては)少ないことは皆さんお気づきのことと思います。
劇中で主人公がコンビを組む作品そのものはけっこう見受けられるのですが、大体が表題になっているメインキャラが副次的な相棒を連れ添わせるだけだったり、二人組でも主従や師弟の関係だったりと、タイトルに上がるレベルで完全に対等なコンビ作品はそう頻繁には作られていません。ましてやダブル「ヒロイン」と性別を限定するとさらに数は限られてきますよね。
思うにそれは、主人公をふたり掲げる物語というのが非常に扱いづらいチャレンジだからではないでしょうか。
映画ならば刑事ドラマでいうバディムービー(相棒もの)という一大潮流があって定石が出来上がっているのでもっと楽なんですけど、ジャンルとして2人組ストーリーが確立されていないアニメ、とりわけ長期のアニメシリーズでは、単発的に組み立てを手探りしていかなくてはならず、スタッフの力量が露骨に試されすぎる(^^; メジャー級ではタツノコのタイムボカン系列が独自の方法論を築いているくらいですね。それでも男女ペアの香りが強くてバディ(相棒)かというと、やや疑問符が付く。
では、実際にWヒロインといえる作品にはどんなものがあるのか。
以下、市場にこだわらず無差別にタイトルを列挙してみました。これをもって外延的定義としようと思います。
Wヒロインを使ったアニメ:
「ピンクレディー物語 栄光の天使たち」
1978年10月〜79年6月放映。たぶん少年マガジンのアイドル実録漫画みたいな作品なのだろう(笑) ……そういえばタトゥーの劇場アニメ化はどうなった?(^^;
「ダーティーペア」
二人組アニメの代表格。「〜Flash」はキムタカ絵のビジュアルが勝ちすぎて"ダーティーペア"を観ている気分にはなりにくかったなぁ。
「おちゃめなふたご クレア学院物語」 (参照)
世界名作劇場が冷え込んだ時期、他局で放映された「三井不動産アニメワールド」の一本。女子寮モノの系譜から見ても面白い。原作はイーニッド・ブライトンの小説。
「わたしとわたし ふたりのロッテ」
「おちゃめなふたご」の後番組。主題歌を唄うはWink。懐かしすぎ。
原作はエーリヒ・ケストナーの小説で、何度か実写映画化もされてます。
「ミラクル☆ガールズ」 (参照)
二人そろうと超能力を使える(←ここポイント)双子少女のお話。
低年齢女子向けアニメの文脈で言えば、これは重要なタイトルかも。
「逮捕しちゃうぞ」
パワー担当とテクニック担当の性格対比が手堅い「相棒アニメ」。学園ラブコメの舞台を警察に翻案している点も興味深い。TVシリーズは第2期までが面白かった。
「フィギュア17 つばさ&ヒカル」
幼女版バロムワン、はたまたウルトラマンエースか。
「キディ・グレイド」 (参照)
未見ですが、これはダーティーペアの落ち穂拾いなのかな?
「Noir(ノワール)」
殺し屋コンビのお話……らしいがこちらも未見。ちゃんと「レオン」に仁義果たしとんのかいな。
「淫獣聖戦」 (参照)
ツインエンジェル! ツインエロス!(笑) 主人公姉妹の「邪悪を退ける巫女」という機能面から考えても、いろいろプリキュアに相似していて面白い点があります。
いちおうWヒロイン的な作品:
「少女革命ウテナ」
うーん。タイトルはウテナひとりの名前だし、コンビネーションも「相棒」というより純然たる同性愛カップリングなんですが、一応Wヒロインと言えなくもないかなぁ。
「風任せ月影蘭」
こちらもタイトルが蘭さん単独ながら、事実上Wヒロインということで。
番外:
「超人バロム・1」 (参照)
ヒロインじゃない上に合体しちゃいますが(^^; プリキュアを仮面ライダー的な変身ヒーローの文脈で捉えた場合、バロムも外せないような気がします。