先日、某所にて「ふたりはプリキュア」の変身シーンについての話題が出ていた際に、こんなレファレンスが飛び出してきて笑いました(^^;
メッシーアイランド Vol.16 ブルーダストメモリー (注:18禁ですよー)
いやもう、なんちゅーかスゴい世界やなぁとしか言えないんですが(^^; 泥レスとかぶっかけみたいな「汚し」(美の汚染による破壊的快楽)までは理解の範疇にあるんですが、ここまで完全なコーティングになるとまた全然違った意味が内包されてそうですな。
これは人間の肉を捨象して外的なデザイン、フォルムを愛(め)でる人形化嗜好……とでも解釈すればいいんでしょうか。それとも逆に中身(肉)が詰まっている事こそが肝要なのか?? うむむ、分かりそうで分からない(^^; なんか恐いくらいに艶めかしいなー、というところまでは認識できるんですけどね。
……なんて風にあれこれ考えを誘われるんですが、これは本題ではないので割愛。
それで、問題はですね、ワタクシこれを見てまず「皮膚呼吸は大丈夫なんか」という疑問をアタマに浮かべたんですよ。
しかし、ふと考えてみればそもそも人間って皮膚呼吸してたかどうか? はっきりした根拠もなく思いこみを抱いている自分に気づいて愕然としました。
で、ちゃんと調べてみるとこういう次第で。
けっきょく全身の皮膚を完全にふさいでしまう時のリスクは、呼吸うんぬんなどではなく、汗などによる余熱放射=体温調節が出来なくなる点なんだそうな。
言われてみれば「そらそうやんなぁ」という感じですが、僕はきっちりこの迷信にハマっておりました。恥ずかしや情けなや。
きっと他にもこういう基礎的な誤知が脳みその中に散らばってるんだろうな(^^;;
■ 関連リンク ■
恐怖体験をすると、一夜で白髪になる? [情報元:好き好き大好きっ]
これは知ってました。
ずーっとむかし、村枝賢一センセの「光路朗」で主人公の親父が妻を失った哀しみのあまり一晩で白髪に……というエピソードを読んで「ほんまかいな」と調べてみた記憶が(^^;
ハーレム系作品は実はハーレムではない、ということについて。
これは舞台の異世界・現実世界の区別なく、全般的な話です。
昨日のエントリでは分かりやすい端的な表現として「ハーレム」という語を使ったのですが、実のところ、本来の意味での多数の愛人を股がけするハーレムの構図というのは、すくなくとも全年齢メディアにおいてはほとんど存在していないことをここで補足しておきます。
たとえば現在の男性向けハーレム「的」作品の基礎を築いた2大タイトルを例に取ってみると、
「天地無用!」……
恋愛感情がらみは主人公を標的にした本命ヒロイン;対抗ヒロインの対立のみ。
他の女性キャラは姉妹的ポジションや単なる居候など、場をにぎやかす為の肉付け。
「ああっ女神さまっ」……
主人公−本命ヒロインの1対1関係が盤石の基軸。
他の女性キャラはその関係に対する支援、友好、試練、障害、その他にぎやかしのために機能する。
という具合で、あくまで基本は「核となるカップリングに肉付けの余剰キャラがぶら下がっている」構造であって、じつは一般的なラブコメ・ラブロマンスと何ら変わるところはないと言えます。ただ唯一、劇中の性別人口比率が極端化(主人公ひとり対たくさんの異性)されているのが特殊なのです。しかしそれは数の問題であって、描かれる男女の関係性に変なところはありません。むしろベタベタ(^^;
ですから、昨日例に挙げたアニメ・漫画は、厳密には特化型の恋愛ストーリーであって、「ハーレムもの」というのは表層的な呼び方でしかない点に注意しましょう。
なんで実質的なハーレム作品が無いのかというと、理由はまあ単純で、全年齢対象である商品では一般社会通念からみて完全な背徳にあたる図を肯定的に扱うのは難しいという暗黙の縛りがあるからです。否定的に、つまり浮気の罪悪感をともなわせて背徳的な色彩を帯びさせるケースはあるんですが、それはまた別種類の流れになります。
したがって必然、一人の主人公が複数の異性を本当に喰ってそれが肯定的に容認される真の「ハーレム」作品というのは18禁市場のほうが多いんですよねー(^^;
(一般恋愛ゲームは1対1関係への帰着が基本であるのに対し、モラル破壊性の高いエロゲーではハーレム的展開が珍しくない)
ちなみに、上では「ハーレム系」としてはやや古典の観がある2作品を挙げましたが、ここで述べていることは現在の巷にあるタイトルにも変わらず当てはまります。「藍より青し」は女神さま型ね。
追記:
こういうことを考えていると、ますます「シスタープリンセス」アニメ版の異常性が際だってきますな。
いや、もともとハーレム系という文脈だけで把握しきれる作品ではないのですが(^^;
アニメやマンガ、ゲームにおいて、主人公が多数の異性に囲まれるハーレム的状況を描いた作品──とくにファンタジー系──には次のような傾向がある気がします。
男性主人公ハーレム(おもに男性向タイトル)……
異世界の側から主人公の住処へ襲撃的に飛び込んでくる。押しかけ女房の累積による受け身のコミュニティ形成。
例:
「うる星やつら」「天地無用」「ああっ女神さまっ」「ハンドメイド・メイ」「鋼鉄天使くるみ」「円盤皇女ワるきゅーレ」……って、キリがない(^^;
女性主人公ハーレム(おもに女性向タイトル)……
主人公が単身もしくは少人数で現実世界から異世界あるいは異化された環境へと飛ばされて、その地のコミュニティに参加する。もしくは遍歴のなかで自らコミュニティを獲得形成していく。
例:
「魔法騎士レイアース」「ふしぎ遊戯」「天空のエスカフローネ」「フルーツバスケット」「犬夜叉」「遙かなる時空の中で」「十二国記」など(厳密にはハーレムでないのもありますが……)。
イメージ原型は「不思議の国のアリス」や「オズの魔法使い」か?
もちろん上記はかなりおおざっぱな把握であり、これをもって「男性向けハーレムは座して待つ怠慢な射幸心の反映だ」とか「女性向作品の方が現世からの逃避願望が強いんちゃうか」なんていう結論に直結するわけではありません。上の2大別からズレる構造の作品もたくさん存在しています。
たとえば魔法少女モノなんかはファンタジー込みで女性主人公が複数異性に囲まれる類型が多いですが、異世界への跳躍ではなく押しかけてきたファンタジーに後押しされての現世変革が主眼になっていますし、男性向けでは「神秘の世界エルハザード」シリーズやちょっと古いゲームですが「エターナル・メロディー」など、男主人公でも異世界飛ばされ型の典型がいくつも見られます。
また、同じハーレム状況でも、例えばファンタジー設定に限らない場合は「ラブひな」「花右京メイド隊」「エイケン」みたいに男主人公が既成の女性コミュニティへ足を踏み入れていつの間にか中心のポジションを確保する、というプロセスを採用するタイプなどがあって、ハーレム系ジャンルを徹底的に分類するなら、もうちょっと多岐に渡る解析が必要となるでしょう。
という具合で、あくまで大体の傾向をつまみ食いしてみただけですが、この「押しかけ型」「異界跳躍型」は割と普遍的に応用が利きそうなんで、いちおうメモがてらエントリーを加えておきます。
追記:
応用→たとえば「マリア様がみてる」は同性集団のお話ですが、シリーズ初期の構図は間違いなく「異世界(=山百合会)に飛び込んだふつうの少女が美形なヒトたち(薔薇さま方)に囲まれてドキドキ」のストーリーだよなぁ、だからある意味ハーレム系だよなぁ、とか(笑)
「ジョジョの奇妙な冒険」かと思ったら「仮面ライダー龍騎」でした。
(主人公と親友の意見対立の論旨を見るに)
[概要]
自我(エゴ)を具象化したエネルギー体を使って他人の精神に干渉できる超能力に目覚めた若者が、同じ能力者たちの勢力抗争に巻き込まれながら自分の進むべき道を見定めていくサイキック青春ファンタジー。
[「雫」との比較]
現実感の境界でたたらを踏んでいた若者が、どこか浮世離れした少女に導かれて扉の向こう(非日常)側に足を踏み込み、怪異な体験から逆照射して自己のアイデンティティーを再構築するドラマ……という筋から見ると、「リアライズ」は高橋・水無月コンビが「雫」の地平に舞い戻った物語といえるかもしれません。
ただし、電波というシンプルなギミックひとつでごく限られた人数が動くだけだった「雫」に対して、今度はギミックのディテールをより精細にし、関係者の数にも行動範囲にも拡がりを持たせた三人称ベースの群像劇になっているのが大きな違いです。
そのため、「リアライズ」の物語は「雫」に社会的な色を加えた様相を呈しています。長瀬祐介は電波という超常の力を獲得する自分それ自体に翻弄されましたが、松浦亮はその次の段階、手に入れた力を周囲(世間一般まで含めて)との関わり合いのなかでどうやって運用するのが適切かを思い悩むことろに立たされるのです。(その都合上、亮は常に良心的で思慮深いキャラクターとして設定されている)
また、「雫」の月島瑠璃子さんの最終的な目的は特定人物へのアクセスに向かうものでしたが、今回のストーリーの核である八重の目的はベクトルが逆になっていますね。ネタバレになるのであまり詳しくは言えませんけど。
ほとんど同じ菩薩的なメンタリティを付与されたキャラでありながら、機能対象が限定/非限定と裏表になっている瑠璃子さん/八重の相違はなかなか興味深いです。
[正直な感想]
うあーっ、これはあまりにもったいない。
個々のファクター……世界観・人物造形・その他諸々の素材は非常においしいんです。
また、シナリオの隅々にまで一貫した思想が流れているのも素晴らしいんです。こんなにも人間の優しさについて力を注いだ文章は滅多にないと、素直に感銘を受けました。
けれどもそれだけに、尻を切り詰めすぎて「投げ出され」感が拭えないのが酷く痛い!
ヒロインやサブキャラ周りのエピソードのほとんどが設定のさわりだけほのめかして後は放置されっぱなしなので、トゥルーエンド含めてどのルートをどれだけ攻略しても消化不良感がまとわりついてしまいます。倫ちゃん、精神科医のセンセイ、蕎麦屋の娘、関西圏の能力者たち……明らかに泣く泣く活躍の場を省略されたような節が至る所で見受けられてもどかしいです。
たぶん人手、時間、お金のどれかが不足していたんだろうとは思いますが、ブランド初作としてはこりゃちと厳しいかも。
完全版とかファンディスクで補完とか……は、やらないかなぁ。
追記:
ちなみにこのゲーム、主人公が顔を出す場面では男性キャラとの会話の方が多かったりします。
女性受けしそうな「男同士の交流」シチュエーションてんこ盛り、というのもプレイしていて複雑な心境を生む一因なんですにゃー(^^;
書き漏らしがあったんで補足。
よーするにキリヤ版「キャシャーン」って、「喧嘩は良くない」と「戦争は良くない」を同じ土俵で語ってるんですよ。
言い換えると、「個人の自我にもとづくブライベートな断罪の是非」と「国家政治における処罰権利の行使の是非」をごっちゃに混同しているのです。
個人レベルの人間関係(たとえば最小単位の「夫婦」「親子」とか)ではひとりひとりの顔が見えますが、数千万人・数億人が構成する社会のスケールだとその運営にはどうしてもシステムというお化けが発生するわけで、調整に要する複雑性の差についてまったく掘り下げず、さらに責任という概念をオミットして「裁くな、赦して共存せよ」と同じ刀でバッサリ斬りおさめてしまう単純化はものすげぇ危険だと思います。
でも、最近はこういう一人称で世の中ぜんぶを処理する物語の方が「リアル」なんでしょうか??(^^; うーむ。
参照:「セカイ系」
つまりですな、アンドロ軍団に立ち向かわないで時計の針と相撲してるキャシャーンて何なのさ、って話なんですよ斉藤さん。
絢爛豪華なディストピアの視覚化でお腹いっぱいになるビジュアル系映画。なにはともかく、劇中の景観がどれもミュージックビデオ畑の監督さんらしい装飾精神にあふれています。うー、目がチカチカするぅ。
アクションは最近流行のカンフー系ではなく、もうすぐ公開される「キューティーハニー」でいうところのハニメーションを先取りしたようなアニメ・コミック文法を流用した演出が主で楽しかったです。
ただ、エフェクト過剰で画面がゴチャついてしまい、人物がどんな動作をしてるのかワケわかんないカットがいくつもあるのが痛い。何もそんなところで『ヴィドック』を彷彿とさせんでも……。
ストーリーはというと、序盤〜中盤──迫害された新造人間たちが逆に侵略を始めてキャシャーンと交戦の火蓋を切って落とすまで──は狂ったようなハイテンポですごく面白いです。"財前先生の中の人"の気合いの入った演技に魅せられました。
と、そこまでは「おお、いけるかも」なんて期待がアタマをもたげたんですが……話が進むにつれて安易なエディプス・コンプレックスの構図と反戦テーマが幅を効かせるようになってだんだんイヤ〜なムードに(^^;
物語の着地点を表層的な壮大さで誤魔化してますけど、果たして「キャシャーン」というフレームの中でやるべき事だったのかどうか首をひねってしまうオチでした。
すでにリアルでもネット上でも賛否両論が飛び交っており、モテねーオタクとモテオタクの相克まで分析されちゃってるみたいだけど、個人的には純粋に脚本がマズいだけのような気もします。
うわ、びっくりした。またぞろ一般カップル客だましを狙ってのサブタイトルかと思って鼻で笑ってたら、ホントにラブストーリーでやんの! ……もちろんネタが暗殺集団のボスと愛人の話ですから、愛は愛でも行き着く先は殺し愛なんですけども。
とりあえず時代劇・西部劇・カンフー物などの元ネタはパンフレットその他でいくらでも参照できますのでさて置くとして、ストーリーの骨格となる筋だけ抜き出してみると、よーするに「キル・ビル」というのは娘を奪われた母がダンナから親権を奪回してついでに決別を宣告するというドメスティックな愛憎劇なわけですよね。それは外部に男性性を必要としない「戦うヒロイン」が他者としての夫(自分以外の"男親")を棄却していく道のりだと言い換えることも可能でしょう。(母性も父性もひとりで担当させられる「強い女性」の在り方ってのはある意味すげぇご苦労様だと思うんですけど、僕はフェミニズムには疎いんでそれ以上は何とも言えず)
そんなことをある程度以上真面目に突き詰めれて考えれば、このVol2はごくごく自然な成り行きのまま幕を下ろしたといえるかもしれません。
今回、前作のような物量で攻め立てる派手な動的快楽はありませんが、ドラマとしてとても引き締まった展開になったので、また別の種類の満足感を得ることが出来ました。何より、すべての出来事の源泉であるビルという男をここまで魅力的に描いてしめくくったのが素晴らしい。デビッド・キャラダインといえば僕は「デス・レース2000年」くらいしか観てないんですが、こんなにも円熟・老熟という風格が漂うヒトなんですねぇ。極悪人だけど単なる憎悪の対象にもできないビルの複雑な人物造形を、タラちゃんの手腕とキャラダイン氏という配役が完全に成功させております。惚れた。
前作を比較対象にして「物足りない」と思うか、前作からひとつなぎにとらえて「うまくシメたもんだ」と思うか。人それぞれではありましょうが、僕は後者だという感想を抱きました。
ハイランダー 最終戦士 (HIGHLANDER / ENDGAME)
首を斬り落とされない限り生き続ける「不死の民」たちが最後の一人を目指して何世紀にも渡って繰り広げる、悲哀に満ちたバトルロイヤルを描いた人気シリーズの映画第4弾。
製作されるたびに人物設定がコロコロ変わることでも有名なこのタイトルですが、今回は映画シリーズの主人公コナー・マクラウドとTVシリーズの主人公ダンカン・マクラウドの共演が売りとあって、わりあい既存作に目の行き届いたお話になっておりました。
基本的には、映画=コナーの流れにケリを付けてTV=ダンカンに「ハイランダー」の世界観を譲渡する引き継ぎ作業のような目的が端々から感じ取れまして、映画第1作以来ずっとフォローしてきたファンには作品の出来うんぬんを越えて胸を打つ展開が終盤に用意されています。
コナー役のクリストファー・ランバート自身がどこかでコメントしてたんですが、初作からすでに20年近く経ってランバートが壮年〜初老の身となった今や、いつまでも青年時代に不老不死となった男を演じ続けてはいられないわけで、今回のようにきっちりと収拾をつけたのはキャラクターのイメージ保全のために正しい選択だったんじゃないでしょうか。
ストーリー全体では、前作『ハイランダー3 超戦士大決戦』のボンクラっぷりのせいで低くなっていた期待値を裏切って、とても真剣に人物の内面へ迫る至極まっとうな物語を構築しています。
とくにダンカンとフェイス(ケイト)のウェットな愛憎劇には、こいつぁ一体どこのおフランス映画様かと目を疑っちゃいましたよ。なんだかすげぇまともなのです。
"監視人"の組織にまつわる背後関係やら、ちょっと観客の予備知識に頼りすぎてるところはあるんですが、もともとシリーズファン以外はほとんど観ないわけですからまぁこれはこれで良いのか。日本じゃあ劇場公開すらされずにビデオスルーだし、好きな奴だけ観れという開き直りはいっそすがすがしいかもしれません。
それにしても「最終戦士」(原題:END GAME)と銘打っておきながら、さくっと次の第5作も作られてるあたりがやっぱりハイランダーですな。
それをいうたら本当は映画第1作で全部終わってるはずなんですが(^^;
追記:
ダンカン(エイドリアン・ポール)が、スタント無しでやけに堂々とした拳法対決をドニー・イェン相手に(!)繰り広げているのが一番のサプライズかも。
特典映像のインタビューによると、エイドリアンは武術、とくに洪家拳を長年学んでいるんだそうな。知らんかった。
クリスティ(カースティ)が第1、2作目のヒロインだという事を踏まえてから観賞しましょう。
ヘルレイザー リターン・オブ・ナイトメア (HELLRAISER / HELLSEEKER)
究極の苦痛と快楽をもたらすパズルボックス「ルマルシャンの箱」の魔力によって地獄の扉を開いてしまった人間たちの業を描いた有名シリーズ第6作。
[ 以下の記述にはネタバレが含まれます ]
事故で愛する妻を失った夫が記憶喪失と頭痛とフラッシュバックに悩まされながら、自分の内に潜む暗黒の精神世界へ迷い込んでいくという「サイレント・ヒル」好きのツボをくすぐる展開になっています。
意外なことに奇抜なビジュアルではなくストーリー構成の努力でしっかり魅せていまして、ほとんどミステリー&サスペンスドラマの体裁を借りたような、あまりにも収まりの良い終盤の流れは観ていてちょっと面食らいました。
小刻みにカッティングされた回想シーンと幻覚の配列によって、常に「本当は何が起きたのか(起きているのか)」を観客に想像させていくあたりがとてもこなれた感じで良いですね。
ホラー映画版「メメント」かと思わせといて実は「ジェイコブス・ラダー」でしたというオチは、卑怯だけど上手い。主人公がやたらと頭痛を訴えるのも伏線だったのですな。
個人的には、ちゃんとシリーズ初期の設定を踏まえたところに物語の原因を用意したのが好印象。
実質的に話が片づいてしまった4以降、迷走の兆しを見せた「ヘルレイザー」ではありましたが、今回でちょっとだけ持ち直したかと希望を抱きました。
ただ、小綺麗にまとまったぶん本来期待されるところのグチャドロ気狂いホラー成分を控えてしまったのがやっぱり痛い。ピンヘッド様のお姿が観たくてたまらないマニアはどうしても欲求不満になると思います。
「ヘルレイザーである必然性」にこだわるかどうかで、評価の分かれそうな作品でした。
小泉総理は運が強すぎる [情報元:From dusk till dawn (4/21付)]
あー、やっぱみんな同じこと思ってたんだ。
実際には単なるラックだけではなく、改革路線という看板を盾にした確信犯的な政治アクロバティクスもいくらか混じってる気がしますけど、ともかく全体として状況の変化に救われてなんとなーく乗り切ってる観は否めませんよねぇ(^^;
やっぱりアレか、ち●ちんを振り回すふたなり美少女キャラと昨今流行りの銃を振り回すガンアクション美少女キャラにはシンボリックな共通項があって、どちらも男性心理に潜む深刻な願望投影が見出されたりするんだろうか。ねえフロイト先生。
飛行機に乗る豚を描いたアニメ映画のコピーいわく、「カッコいいとはこういうことさ」。
しかし、である。
人物や物事の描写において、あるモノの言動や在りようが格好良いか格好悪いかの決定要因はかなり複雑精妙なので、ひとくちに断じきれるものではないと思うこともしばしばある。
たとえば露骨に格好良くしようと飾り立てたモノはけっきょく格好良くなく、ぶざまでみっともなく格好悪いモノの方がかえって心を打って格好良く見えたりする。けれども自覚的に格好悪くさせることによって格好良く見せることを狙ったモノは鼻についてやっぱり格好良くなかったりもするし、それならいっそわざとらしくても徹底的に突き詰めて格好良く見せたモノにすれば今度は様式美にまで行き着いてちゃんと格好良さを示すこともあったりと、格好良いか格好悪いかはなかなか一筋縄ではいかないところなのである。
なんだかコトバにしていてワケが分からなくなってきたが、まあ少なくともこの文章が不格好であることだけは間違いなかろう。
と、しょうもないオチをつけて筆を置くことにする。
ようやく光回線の引き込みが完了しました。
それにともないメールアドレスも変更の運びとになりましたので、お知らせいたします。
新アドレス: miyamo_7@ares.eonet.ne.jp
『どこかで誰かが見ていてくれる 日本一の斬られ役 福本清三』
東映の大部屋俳優として40年余の経歴を持つ福本氏の聞き書き本。
まだ読み始めですが、『ラスト・サムライ』における寡黙な老侍の姿はこの人生があってこそだと痛感しています。
時代劇の裏話集としても貴重な一冊になりそうです。
『殺人マニア宣言』
柳下毅一郎センセの本です。なかば資料的意味で購入。
『鷲は舞い降りた [完全版]』
ジャック・ヒギンズ著のオールタイムベストな軍事冒険小説。
初版時(75年)には削除されていた、デヴリンの思い人モリィのその後に言及するエピソードを改めて収録した完全版(82年)の文庫です。
本屋でパリパリに真新しい表紙を見てしまい、我慢できずに購入。
近所のTOHOシネマズにて『アップルシード』観賞。
アニメとしては1988年のOVAを勘定に入れれば2度目の映像化となるタイトルです。
原作者が同じということで何かと直前の『イノセンス』と比較されそうではありますが、押井監督の個人的なオブセッションに支えられた"作品"だった『イノセンス』に対して、3DCGを使った"商品"のサンプルとしてたまたまこのタイトルを使っただけの観がある『アップルシード』では立ち位置がかなり異なるように思われます。
『アップルシード』の場合、ビジュアルでもストーリーの次元でも画面上の情報密度はさほど多くはなく、演出的にも安易さスレスレにまで分かりやすい作りになっています。
ドラマ部分は表層的でそのくせ状況についても心情についても説明過多な語り口だし、アクションは「ハリウッドに引けを取らない日本アニメ」という色目が露骨に透けて見えるため、コアな映画ファン、アニメファン、志郎正宗ファンに対してのアピールがほとんど失われているのが残念といえば残念なところ。
しかし、商売としての映画企画を考えたとき、きっぱり割り切って広く浅くターゲットの間口を取っていくのもひとつの立派な戦略であり、きちんと選択された上での分かりやすさなら、それは責められるべきものでもないでしょう。本当に罪があるとすれば、『キル・ビル VOL.1』や『マスター・アンド・コマンダー』がそうだったように、内容とターゲットの乖離した看板だまし的なパブリシティが行われるケースです。
評価の良し悪しは別にして、ともかく『アップルシード』は商品としては誠実であると、僕は思います。
……あー、なんだか内容についてまったく触れない感想ばかり浮かんでくるのだけれど、それはこれから他の人がいくらでも語ってくれるだろうからまあいいや。
映像については、ひとつだけ目に付いた点がありました。
3Dアニメが昔から克服できずにいる問題として、やっぱり手……とくに指先が死んで見えるのです。
具体的には、デュナンがライフルを布で磨いて手入れをしているシーンと、E.S.W.A.Tのメンバーが酒場でグラスを傾けているシーン。モノを掴む手の握力を描写するのって、これだけ技術が進んだいまでもまだ難しいんでしょうか。
折しもアニメ『鉄人28号』が始まって間もない時期の訃報となってしまいました。
ご冥福をお祈り致します。
キッドの顔アップがやけに原作に忠実な絵ヅラで笑えた。
「キン肉マン2世」第2話
一所懸命に牛乳を飲んで大きくなった建築物やら便器師弟の熱い誓いやら、真顔のせいで逆にアホらしい回想シーンこそがゆでイズムの真骨頂です。
アニメとして肝心なアクションは、攻撃のインパクト描写が慢性的に不足気味で残念。もっと画面を揺らすなり効果を入れるなりしたほうが良いような気がします。
それにしてもジャクリーン……色が付いて動いてると、艶めかしすぎて痴女にしか見えませんな。
「鉄人28号」第2話
「もうひとりの……ボク」
(いくぜ、相棒!)
それは遊戯王です。
OPの歌詞「良いも悪いもリモコン次第」が象徴する通りのお話ですな。とにかく鉄人のゴーレム的な在りようをしっかり示した展開にしていくようで。
まだ序盤の現時点からいきなり鉄人(と、それを使う人間)に具体的な原罪を背負わせる問題提起のやり口はややあざといながら、横山光輝原作を謳うアニメとしてはこれで正解か。村雨さーん。
機会を頂いたのでプレイを開始しました。
すでに伝奇ホラーの良作として評価が確定しているこのタイトルですが、ボク自身はまだ触れておりませんしたので、ここで一気にチェックする所存。
──で、現在は1周目クリアして、2周目に入ったところです。
ありきたりな立ち絵をできるだけ排して、背景とのマッチングで人物を断続的に提示していく発想が秀逸。"電脳紙芝居"としてのビジュアルノベルの体裁を意欲的に発展させた演出に舌を巻きました。画面に対して飽きがこないのがとても良い。
静的な素材で映画を作った、とでも言えばいいのでしょうか。これはたしかにスゴいですね。
周回プレイの構造も、テキストの変化がひじょーに計算高くてステキ。
伝奇ビジュアルノベルの始祖『痕』の系譜には『果てしなく青い、この空の下で…』や『月姫』などが名を挙げられる事が多いですが、システムレベルまで含めて正統の"進化型"といえるのはこの『腐り姫』でしょう。
追記:
ただし、最小労力で最大効果を狙う(=手間を省くための野心的退化)という読み物ゲーム本来の出発点を考えると、『腐り姫』の演出は進化というよりADV本流への立ち戻りっぽい気もしますが。
ぐはっ! こんな便利なワードを今まで知りませんでした。
本来そこにあり得ないモノがあるとか、予想を超えた異質な組み合わせ等、違和的な配置で衝撃をもたらす手法を指すシュールレアリズムの用語だそうです。これは奇術をネタに修論書いた身としてはもっと早くチェックしておくべきだったなぁ。
てなわけで、不勉強を自戒するためにここへエントリー。
追記:
オタク的にはコラージュがらみで親しみのある概念といえますな。
ふたばの虹裏なんかはまさにデペイズマンの吹きだまりみたいな領域だわ。
参照:
講演「笑いとデペイズマン」/中島らも
個人的にははじめから劣位にあるものを対象にするだけでなく、上位にあったものが対等もしくは劣位に転落したときに生じる性質も笑いの根底にあると思います。えらーい学者センセイが女子高生のスカートの中をのぞいたなんつうニュースを知って「うひゃひゃ、単なるエロオヤジじゃねえか」と嘲笑する時とかね。勿論それによって自分が高められるわけでも何でもないんですけど。
それはそうと、虚無僧って禁止用語なんだよなぁ。前にもどこかで聞いた話だけど、やっぱ自主規制コードって(一部は)おかしいよ。



「ガチャピンは悪くないよ」 ──柏木初音 in 『痕』おまけシナリオ
「役柄と俳優の人格は別物」とは分かっていながら、どうしてもその出演映画のせいで徹底的な悪印象を刷り込まれてしまうケースがままあります。
たとえば僕にとっては「スピード」「スピード2」のサンドラ・ブロックがそれであり、いったい観賞中何度「うっわ、首締めてぇ」と考えたことか。おかげでいまではサンドラ・ブロックを見ただけで過去の作品までも無条件に嫌気がさしてしまう体質になってしまいました。いや、もちろんサンドラ嬢にはこれっぽっちも罪はありませんぜ。
……「デモリッションマン」の頃は愛嬌が勝ってたんで何とも思わなかったんだけどねぇ。
これはけっきょく脚本とキャスティングに、作品レベルだけでなく俳優の個人的なところにまでおよぶ強いアピール機能があるということなんでしょうな。
映画においてはそのへんのパブリックイメージ生成を視野におさめた使いこなしこそが監督さんの腕の見せ所なわけですが、「スピード」「スピード2」のサンドラ・ブロックでは観賞中にいったい何度「うっわ、首締めてぇ」と(以下えんえんリピート)
チンコ看板
僕は前々から「パチンコ屋の看板はパの字から壊れる傾向があるんじゃないか」という統計的関心を抱いているのですが、ますますその思いが強くなりましたのですよ。
あと、類似現象にちゃんこ屋さんの看板は(以下略)
洋画・洋楽の中の変な日本・がんばる日本
アジア系蔑視や逆にオリエンタルへの憧憬とか、いろんな要素がうかがえますな。『キル・ビル』はそういうステレオタイプを意図的に組み込んで逆利用したネタ映画でした。
もちろん日本でも「邦画の中の海外」は変テコだらけで、コンプレックスその他もろもろが入り混じった典型像が蔓延してるわけですが。
現在進行中のとある事情で幾つかのエロゲーについて旧知の某友人に相談していたところ、「TYPE-MOONの物語にはキャラの成長がないよね」という話を持ち出されました。
よく聞いてみれば、別にそれを非難しているわけではなく、「キャラの個的内面の上昇志向(=成長)ではなく、既に完成されたキャラ同士の外的なぶつかり合いを使ってストーリーを進めるんだよね」という意味とのこと。
その時は「そういえばそうかなぁ」くらいで曖昧に頷いて済ませたんですが、たしかに当たっている面があるかもしれません。
まずここでいう成長とは、いわゆる少年漫画的な克己のことで、たとえば「臆病な泣き虫が事件を通して精神的な問題を解決し、勇敢な人間に変わってめでたしめでたし」みたいな流れを指しています。エロゲーでも恋愛系タイトルにはこれが多いですね。
で、TYPE-MOONキャラクターの場合は自我そのものは初めからかっちり定まってて、それぞれの能力がそのまま性格の個性につながっているという、ちょうど将棋やチェスの駒みたいな機能物に近いんじゃないか、という話であります。劇中のシチュエーションを盤面にして、その上で手に汗握る移動と衝突を繰り広げるゲームの駒たち。
「解説と指摘はあるけどお説教がない」という事も含めて、これはたぶん奈須きのこ氏がTRPG畑の出身であることと関係ありそうですが、そっちの分野は詳しくないんで断定は保留。
ともかく、言われてみればおもしろい特徴です。
ただし、TYPE-MOONに限らず、ある種のカッコ良さを売るお話は大体そうだという気もしますけど。
個人的に注目のシリーズ2本が始まりました。とりあえず感触だけメモ。
キン肉マンII世 アルティメット マッスル
実際も劇中もしばらくのブランクを挟んで、いよいよ超人WGP本戦がスタート。
相も変わらずのキン肉マンっぷりで、2世はカルビ丼を喰いまくり屁を垂れ流し女の子に無節操なモーションをかけて──って、これをU.S.A.で放映してたのか。
海外への媚びも何もなく純正のジャパニーズアニメとしての自我を保っていて、良い意味でビックリです。(パチンコがピンボールになってたのは媚びじゃなくて配慮だと思う)。
しかし何といっても、バリアフリーマンを堂々と出すことが判明してひっくり返りました。ぎゃふん。
追記:
ジャクリーンは短パン
鉄人28号
ビジュアルとサウンドの基本姿勢がOP・EDのフォーマットにまで浸透しているところには素直に感心。アトムは鉄人の爪の錆を煎じて飲みなされ。
ただ、今回のアニメ鉄人は「横山センセの原典尊重」というより「ファッションとしての"昭和"の利用」という印象が強いかも。
あと、なんとなーく30分通してずっと「ではこちらの再現VTRをご覧下さい」と言われ続けてるような居心地悪さがあるのはデジタル彩色との相性のせいかなぁ?
今後は、今川監督が自らOVA「ジャイアントロボ」で極めちゃったモノをTVシリーズという場でどう運用していくのか注目です。失敗したらセルフ劣化コピーのそしりを免れないだけに、これはへたなオリジナル企画よりもリスキーなタイトルといえます。
追記:
だから若本ボイスは反則だってば!(笑)
ガンアクションが好きだ。
美少女キャラが好きだ。
アニメが好きだ。
だからといって、
ガンアクション美少女アニメが無条件で好きだとは限らない。
そんな不思議。
けっきょく友人経由で視聴の機会を得ました。
……うわぁー。
懸念されてた「テレビ東京系列・土曜日・朝10:00」というフレームがもろに響いてる〜(^^; "血もパンツも満足に出せねぇテレ東規制"が作品に対してこんなにも足かせになるものとは……。
「ケロロ軍曹」を含めて吉崎観音先生の商業漫画は、ポップ化された毒およびポップ化されたエロスの微妙な配合が魅力なわけで、それを用心深くアク抜きしているのはかなり残念。
いちばん象徴的なのは、「ポコペン人」が「ペコポン人」に改変されてる点ですね。「ポコペン」は中国語から転じて戦時日本の軍隊中国語において中国人に対する蔑称として使われたモノなんでヤバい、という理由なんだけど、原作はまさにその微妙なヤバさの積み重ねが芸風なわけで、そこを切り捨てるのはアカンやろと(^^:
追記:
ふと何かの違和感に似ているなーと記憶を漁ってみたら、そうだ、「ぱにょぱにょデ・ジ・キャラット」に対して抱いたのと同じ困惑だ……(^^; あるいは「のらくろを期待したらのらくろクンだった」というか。
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先日発売された『マトリックス・レボリューションズ』DVDを近所の書店にて購入。
本編のほうはすでに劇場で2度観てるんで、特に印象は変わらず。今回はむしろ特典のメイキングをお目当てにしておりましたところ、これがなかなか豪華で楽しめました。
マトレボにおいてとりわけ印象的なイメージといえば、物語の佳境で、雨の降りしきる道路に立ち並ぶ無数のエージェント・スミスたち。僕はてっきり俳優ひとりをデジタルでコピー&ペーストしただけの映像だとばかり思いこんでたんですが、なんと実物大人形や「そっくりさんマスク」を被ったスタントも大勢投入してたんですねえ。存外にアナログでびっくりです。
その他にも、空中での戦闘シーンをリサーチするために高々度から急降下する飛行機の中で無重力状態のアクションを検証したりと、ほんまに手間ひまかけてます。机上のPC作業の権化のごとき「マトリックス」でさえ、やはり映画は生身の労働を資本にして生産されるものだという事を訴えかけてくるメイキングでした。
この100分近く(!)の特典付きで3000円ってのはすごい費用対効果だ。
久々にサイトのデザインに手を加えました。つってもトップページだけですが。
さらに、前々から気になっていた「奇術雑論」の細かい調整も一気に済ませようと、朝から作業を初めて知らぬ内に没頭し、ふと時計を見れば昼をすっ飛ばして夕飯時。残存体力は限りなくゼロの近似値域でありましたとさ。あうあうあー。
でも何が一番しんどいかと言えば、本日より放映開始だった「ケロロ軍曹」アニメの第一話を見逃したことなのれす。
もう寝よう。
もうすぐ自宅に光ファイバーを引き込む工事の日取りが決まる予定だったのが……のび太ー!(^^;
すでに宅内調査までは済ませており、「2週間ほどしたら電話しますんで」と言われていたのです。ところがきっちり2週間後、電話ではなく一通のハガキが我が家に届きました。
うわー、潔くねー。
1.5ヶ月てアンタ。
いや、わりと延び延びになって時間がかかりがちなモノだという話は聞いていましたし、今回の回線乗り換えは前回のように引っ越しに伴う必要性ではなく単なる欲求のため(アップ速度がもうちょっと欲しい&料金がほぼ同じで引き込み可能な環境なら光の方が良いだろうという判断)なんで、べつに焦ってはいないのです。
問題は「1.5ヶ月」というこの表現。出来るだけ少ない数字を出して顔色をうかがおうという姑息さ満々じゃないすか。
これなら普通に「2ヶ月弱」とか書いてもらったほうがかえって素直に受け取れるんですが(^^; ……って、神経質すぎるかな?
てなわけで、回線乗り換えはもうちょっと先になりそうです。はふん。
「マリア様がみてる」。少しずつ読んでます。
ただいま15巻「レディ、GO!」までこぎつけました。最新刊まであと少し……。
アニメから小説に入った人間として意外だったのは、原作には思った以上に(といってもジュブナイルの水準においてですが)テクニカルな"遊び"を利かせた展開が目立つことでした。
出来事の錯時的な配列だとか、キャラクターのバックボーンや言動を伏せて(もしくは小出しにして)から後で解決編を設けるなど、どうやら作者は軽いミステリー趣味をアピールしたい模様。
面白いことは面白いんですが、日常の些事を針小棒大に飾り立てる側面がいっそう強調されてしまって肌に合わぬ事もしきりだったり。
まあ僕が本来のターゲットでない層に属する以上、その辺しょーがないといえばしょーがないんですが。
追記;
ただ、シリーズを通してずーっと「1対1の愛情に煮詰まると危険、人は多くの関係性のなかで生きている事を忘れずに」という警告を発し続けてる点がとても興味深いです。
どうも「男キャラいらね」とか「こんなの私の/俺の好きな●●●じゃない!」とかいう一部読者の過剰な要請に作者が思うところあったらしく、しだいに「純粋完璧な少女だけの世界という幻想」に対する批判的メッセージまで織り込まれるようになってます。
とくに13巻「真夏の1ページ」以降は、ソフト百合な立ち位置から少女性と男性性の和解を試みようという感じが顕著です。それでも用心深く少女の優位を確保してるあたりは女性向作品・商品としての必然ですな(^^;
笹川美和のアルバム「事実」を聴取。
とあるテレビCMでやけに耳に引っかかる曲があり、そのタイトルを検索してみたのがきっかけで知りました。
単純ながら含みのあるフレーズを執拗に反復させつつメロディーを規則正しく起伏させて感情のうねりをジワジワと高めていくのが特徴的なシンガーです。
基本的な印象は和風と大陸風の折衷。さらにどこか宗教の祈り歌のような雰囲気も混じってるなーと思ったところ、なんでもプロテスタント系キリスト教の学校で賛美歌やゴスペルの下地を培ったプロフィールがあるんだとか。なるほど。
ちなみにCMで使われているのは「笑」という曲でした。
笑い〜笑え〜泣き〜笑え〜♪