自分がある作品に対して何らかの印象をもったとき、自分が本当に言いたいのは
・好きな作品だ
・嫌いな作品だ
・良い作品だ
・悪い作品だ
・正しい作品だ
・誤っている作品だ
・巧い作品だ
・拙い作品だ
上記8つのうちのどれなのか、また、どれとどれの組み合わせなのかをよく見極めておきたい。とりわけ、
「好き」「巧い」は「良い」「正しい」と間違えやすく、
「嫌い」「拙い」は「悪い」「誤っている」と間違えやすいので注意が必要である。
(たとえば「嫌いだから無くなってしまえ」という攻撃は露骨にわがままなのでブレーキがかかるが、嫌いを悪いにすりかえた「悪いから無くなるべきだ」は口触りがいいため、本人が無意識のうちに発火点を隠して大義を背負った偽装批判としてアウトプットされやすい)
またこれとは別に、
「面白い」「面白くない」
という言葉は常にその枕に
1.(自分にとって)面白い・面白くない
2.(○○という特定人物にとって)面白い・面白くない
3.(●●という特定集団にとって)面白い・面白くない
4.(不特定の万人を想定した一般的意味において)面白い・面白くない
という( )が先に潜んでいることを忘れやすく、この取り違えもやはり語弊を招く元となりやすい。
このうち1.と4.は区別しやすいが、1.と2.または1.と3.を混同したときは自覚症状が薄く厄介である。
具体的には「自分の判断を放り出して、他人や集団の語る面白い・面白くないという意見に無反省に追随する(しかもそれを自分自身の見解と思い込んで疑わない)」ケースにあたる。もっとも、社会に生きる人間にまったくオリジナルの意見というものはないので、これは自分の嗜好が何にどれだけ影響を受けているか把握できているか否かという問題である。
以上を意識せず瞬時に確認しながら言葉をつむげる者は脊髄反射の勘違いを免れて、たとえば「嫌いな作品の良いところ・巧いところを本気で褒める」とか「好きな作品の悪影響や拙さを恬淡とわきまえる」、はては「良い作品だから素直に好きになれる」などといった風の非常にスマートな評価者となれるがそんなもん簡単にできたら苦労せんわいなぁ。
![]() | 勘違い 知らぬ間の罪つくり 秋野 沙夜子 新風舎 2003-07 売り上げランキング : 1392016 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
とりあえず、自分が好きなものは神!それを知らない奴はクズ!
という中ニ病を一刻も早く抜け出せということですね。
まあ、余計なツッコミくらったりもめごとの種をまきちらすようなロジックは本人の得にならないよねーというくらいでしょうか。
このへんは僕自身ぜんぜん実践できてないんですが(^^;;
「嫌いだから無くなってしまえ」はわかるが、
「悪いから無くなるべきだ」はわからんな。
嫌いというのは主観で、誰でもわかることだが、
悪いなんて誰がわかるんだろう。
それこそシェイクスピアみたいなのでも
学者や時代によって意見が分かれるのに。
>「悪いから無くなるべきだ」はわからんな。
まあ、良い悪いはルールの問題で、ルールというのは
時代ごと社会ごと集団ごとに移り変わりますもんね。
この場合は規制問題とかの一部で、
「それは我々にとって気持ち悪い」というのが濾過されちゃって
「(それは我々にとって気持ち)悪い」
→「悪い」
→「有害」
→「社会に有害」
→「人類に有害」
と過激かつ肥大化していくパターンとかあったら恐いなと。
というか実際あるわけですが。
なんでそうなるか、理由は一言に尽きる。
主語がないから。
レビュアーなら大事にしたいことですね。参考になります
でも、「この作品はどんな人にとって面白いのか」がわかるレベルまで作品を理解するのって難しいですよね〜(^^;
ところで1点わからなかったところが。
「良い・悪い」と「正しい・誤っている」の違いって何なんですか?
前者は、たぶん「社会的・倫理的に問題がある」とかですよね?
>名無しさん: 2008年12月16日 15:54
それが大きいですね。主語がないというか隠しちゃうというか。
「さよなら絶望先生」で主語の大きな話をする人というネタがあったのを思い出しました(^_^;;
>牛乳さん
そうですね。
良い・悪いは健全・不健全みたいなニュアンスとお考えください。
たとえば有害図書指定なんかで良い本・悪い本の是非を考えるときには、上で指摘されてるように「誰が良い悪いを判断してるのか」という主語の問題が大事ですよね。
あと「正しい・誤っている」は、ある分野・ある時代の主流派が考える王道・邪道くらいのニュアンスです。
例えば王道の熱血漫画「っぽい」絵を描くのが上手な漫画家がいても、その内容が本当に王道とは限らないんだけど見た目につられて勘違いすることってあるよなー、みたいな。
だから「巧い」と「正しい」は別だろう、ということを記事で書きました。
ちょうどつい最近このような議論を展開したこともあって、大変興味深く拝見しました。
そのときはまさに「正しい」と「良い」を履き違えて反論する輩がおりましたね。
ぶっちゃけガンダムSEEDとGガンダムの話だったわけですが、私はオールドファンですがGは大好きと言うと
「SEEDがダメでGは良いとかおかしくね?どっちもガンダムじゃねぇじゃん」と言われたわけです。
ここでまさに御説の通りの分類となるわけで、
Gは「(ガンダムとして)誤っている」が「巧い」なので「好き」
SEEDは「(ガンダムとして)誤っている」上に「拙い」なので「嫌い」
どちらも元祖ガンダムからはかけ離れた作品であるのに自分の中で評価が違うこの心情も
これだとなるほど説明がつくな、と思いました。
「正しい」「誤り」は確かに「正道」「邪道」くらいのほうが作品の評価の話をするときはわかりやすいですね。
>ちゃちゃさん
ガンダムのような長いシリーズになると、もうアニメとしての評価のレイヤーに加えて「ガンダムとして」正道か邪道かという話になって、会話の地雷がそこかしこに潜んでますよね(^^; 特撮とかもそうだな。
なので、上に書いたようなことを区別して話題を組むと、自分が納得できるのと他の人とのコミュニケーションでこじれる可能性をおさえられるかなと。
Posted by: みやも(管理人): 2008年12月17日 21:36maaと愉快な仲間達でググってルリ先生の授業受けて来い。
人類の歴史そのものが、すでに自分達の思想の正当性を主張するの繰り返し。あのサイトの言葉を借りれば「元祖と本家のラーメン屋の争い」。
自分の感じた違和感や印象論を誇張して話して、言い返されたらちょっと擁護すればもうこの型にはまる行動に該当する。
これはある種の人間の思考の構造上絶対起こるレベルの論争なんだと思う。不可避というか。
そこで無理に「俺は良いと思うが他の人は悪いと思うかもね」って言うのも何か斜めに構えてる感じもするお。自然体な思考だとはあんまり思えない。まあ自己主張欲が弱い人はここら辺、本当にさらっとそう思って言っちゃうかも知れないけど。
それは確執が「避けようとしても避けられない」という事であって、わざわざ積極的に確執を起こさなきゃいけないとか起こった論争に収拾つけるための工夫をしなくていいってことではないですよね。
そちらは構造論で、こちらは処世術について述べているので前提が違うような。
あと、
>そこで無理に「俺は良いと思うが他の人は悪いと思うかもね」って言うのも
>何か斜めに構えてる感じもするお。
上の記事は「好きだ」「良いと思う」とストレートに自己主張する方向を目指してるんですが・・・
後半の「他の人は〜」はいらないと思ってます。どのみち、違うと思った人から勝手につっかかってきれくれるから。そして貴方の仰るとおり、そこで自分が正しいと思った者同士の論争になる(^^;:;
その避けがたい論争が起きたときに「俺は」という主語を隠して姑息な圧力をかけたり、議論に回り道の手間をこさえるのはやめとこうという話です。マクロではともかく、ミクロな日常会話の局面ではね。