ガンダム00(第2期)第5話を視聴。
自重しないミスター・ブシドーがおもしろすぎます。
まあ笑えるのは実際笑えるんですが、よくよく考えると彼の存在は、彼をネタあつかいする視聴者に対して
「システムに迎合しない強い個人の姿を滑稽だと笑いものにするお前らマジ奴隷」
という挑戦的な効果をそなえた踏み絵のようなキャラ造形とも受け取れるんですよね。
ソーマはシステム(軍)に逆らえないくびきに囚われて非人間的になっている自分をどないしよーかと煩悶してるのに対して、ブシドーさんはあっさり「興が乗らん!」の一言で作戦をおっぽり出して自分を人間として立てることができたわけで、第5話の両者は強烈な対比になっていました。
(厳密にはブシドーさんの独断は上層部から単独行動の免許(^^;をもらってるからということでかろうじてシステムの枠内に入ってますが、それにしたっていったん同行しておいて自由判断で離脱するのはフリーダムすぎる)
で、そういう、世界を容赦なく動かすシステムのまずいところを人々がどう突破するのかというのは、ガンダム00という作品全体の大事な肝でもあります。
だからブシドーさんについては、その突っ走り具合の痛快さに拍手しながら笑うぶんにはいいんだけど、ネタあつかい「だけ」の嘲笑をすると作品のテーマをも軽んじてしまうんじゃーないか、とか。
ただしブシドーさんの人間味は我執が強すぎて「自分のためにシステムがある」と人の迷惑かえりみない自己中心にハマりこむ狂気と紙一重のところまでいってるので、現実的な塩梅としてはセルゲイさんくらいの、システムの中で協調性をもちつつぎりぎり個人としての融通をきかせようと努力するバランスがいいんじゃないかなーとも同時に思います。
つぶされるか死ぬかしやすいけどね、そういういい人は。
![]() | 武士道 (岩波文庫) 矢内原 忠雄 岩波書店 1938-10 売り上げランキング : 892 おすすめ平均 ![]() Amazonで詳しく見る by G-Tools |
![]() | 機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン 1 宮野真守, 三木眞一郎, 吉野裕行, 神谷浩史, 水島精二 バンダイビジュアル 2009-02-20 売り上げランキング : 108 おすすめ平均 ![]() Amazonで詳しく見る by G-Tools |
とりあえず、彼の立ち位置自体はいろいろ思うところありますが、ミスターとブシドーをくっつけるのは日本発信アニメとしてどうなのか、という気がしないでもないですが……。
勘違い武士イメージはほっといても海外がやってくれるわけでw
キン肉マンのビッグ・ザ・ブドーがいるから大丈夫です!(笑)
いやいやいやいや、ソーマとブシドーはもう立場が違いすぎるんですよ。
ソーマは、最初から兵士となるために作られた超兵。だから、中華連邦だったころは、任務放棄=銃殺だったでしょうし。アロウズの今でも任務放棄=自分の存在意義の消失。ぐらいはあるわけです。昔読んだ漫画(ゴリラーマン?)だったかで『名門野球部のある高校に野球特待生で入っちゃったから、野球部やめると退学になっちゃう。だから、体壊して野球が出来なくなって、グレちゃったけど、部を辞めるわけにはいかなくて、男子マネージャーとして籍だけは野球部においてあるヤンキー」に通じるものがあるわけですよ。
もう誇り高い高校球児ではないけど、己のために、野球部を離れられないヤンキー=もう超兵じゃないけど、自分のために軍務に背けないソーマなわけです。
はい、そこ笑わない!
対して、ミスターブシドー略してミスブシは、誰にもらったか「勝手御免の許しを得てる!」って。そんなもんがあるなら、誰だって好き勝手やれるんだよ!
言うなれば サラリーマン金太郎ですよ。
あの人、ある日、海で大企業の社長令嬢かなんかの命を救って、社長に「何かお礼を」って言われるから『一回サラリーマンってやつをやってみたかった」とかほざくの。
で、いきなり面接もなく正社員。辞めても漁師に戻れるぜ、みたいな!
そりゃあ、好き勝手やれるよ!
それと一緒。
システムに迎合しないんじゃなくて、システムの一番天辺とツーツーだからわがままいえるだけ。
「食事・用意して!寝床・用意して!機体・整備して!お仕事?興がわかん!」
これをニートに置き換えると
「食事・用意して!寝床・用意して!着るもの・用意して!お仕事?気が乗らない」
ほら、違和感がない!一緒なんですよ!
一期でジンクスが出てきてもフラッグにこだわったころのグラハムさんは
「やることはやる。だがやり方は俺が決める」
だったのに、今のグラハムさんは
「やるかどうかも俺が決める」なので酷すぎる
ワンワンアーミーとか言っちゃうし。ゴルゴだよ、それ。
ALOWSじゃなくてALONEsだよ、お前。
>>名無しさん: 2008年11月04日 22:57
あの自由さは他の軍人からみると極めて"ズルい"種類の自由さなのは間違いないですね(^_^;;
一体どんなコネがあるんでしょう。
制作側としては、いわゆる「傾奇者」としたいんじゃないですか?
慶次の旦那も言ってたじゃないですか、「勝ち戦はつまらん」って。きっと、退却戦とか負け戦とか、新型ガンダムに味方が蹂躙されたりすると、嬉々として飛び出していくんですよw
スタッフもせっかくなんだから、「免許」なんかじゃなく、「傾奇御免状」とか言っとけば良かったのにw
>傾奇御免状
あ、上手い(笑)
それは意味的に近そう。
って、どんなおもしろ軍隊なんだ・・・
Posted by: みやも(管理人): 2008年11月05日 00:00どうも、はじめましてこんばんは。
「興が乗らない」としたブシドーに関しては、今回のハレルヤの言葉が思い出されます。
アロウズが自動兵器を使ってカタロン基地を蹂躙する姿を指して、彼は
「自分で引き金を引く責任すら放棄するのか」
と、このような台詞を言ったかと思います(うろ覚えなので詳細は……orz)。
これは、アロウズ兵が直接的には手を汚さないことで、“罪”に対して盲目になっている点に対する批判であり、怒りであり、自らへの発奮(これまではハレルヤに殺人の業を背負わせてきたが、これからは自分だけで背負わなければならないため)だったと、僕は受け取っています。
どのような理由だろうと、結局は自分(や自分が属する組織)の都合で殺人を行っている。そこにある正当性(正義と置き換え可)は所詮おためごかしに過ぎない。
だから、引き金を引くときは、“生命の責任”を自分で負わなければならない。
神に、合理性に、殺人狂いの戦闘人格に、革命に、責任を負わせてはならない。
飽くまで殺人とは自分の利益のために行うことで、だからこそ引き金は重くて、奪った生命に対するを背負わなければならない。
それはトレーズ・クシュリナーダのように。ルルーシュのように。
罪の意識に苛まれ、奪った生命の重さに血反吐をはき、それで自分のエゴを押し通すという覚悟が必要なのでは。自分と同じ重さの生命を、奪うという自覚が必要なのでは。
自分が自らのエゴを重んじるように、他者にも同等の重さのエゴがあっと、もちろん自分が生命奪うことになる相手にも、“自分”と同じ“重さ”が存在するという意識が必要なのではないでしょうか。
今回のアレルヤの台詞は、アロウズだけでなく、“これまで”のソレスタル・ビーイング(イオリアという神とヴェーダとう預言者に責任を投げていた)、戦争を間接的に幇助する立場にあった列強国の一般市民(弱小国の貧困・荒廃を代償に富・平和を手に入れていた)、自分では手を出さないがアロウズに所属することで組織の存在や行動論理を結果的に肯定してしまっているブシドー……などなどに投げ掛けられた言葉なのだと、僕なんかは勝手に考えています。
僕らの立場は沙慈と同じく一般市民。彼の置かれている状況は、彼に問われているものは、身につまされます。
ではどうすればよいのか、という答えを、00は提示してくれるのか、という期待と不安がありますね。これだけ煽っておいて「それは視聴者が自分で見つけださなければならないのだヨ」で来るとすれば、いささか残念ではあるのですが……。
“殺しのライセンス”を誰からも受け取っておらず、ただ自分の欲求に従って殺人を行うサーシェスだけが、自らがエゴイストだと自覚しているわけなんですが、これは皮肉的なのだと思います。彼を打倒するには、彼の論理・弱肉強食しかない。そしてそれは結局のところ、“歪み”を生むわけで、とすれば、世界は初めから歪んでなどいなかったのかもしれない、という諦観と絶望が視聴者に襲ってくるかのようです。
貧しいものたち、弱いものたちは虐げられ、略取されるのが正しいのだと。そもそも、イオリアの考え自体、「人が協調できるのは共通の敵ができたときだけ」という思想だったように思います。しかし、これは「免罪符(大義名分)さえ得られれば、人は他人に対してどこまでも残虐になれる」の裏返しでしかないわけですし。
Posted by: BALLS: 2008年11月05日 00:27>>BALLSさん
ソレスタルの面々は当人たちが自覚しているように、最終的に何らかの責を背負うと思われますが、それが一体どのような形になるか・・・。
ちょうど前番組のコードギアスと連携したようなテーマで進んでいる本作の着地点がどこにあるのか興味深いところですね。
アレルヤの台詞に示される覚悟の問題についても「罪を背負う覚悟がある、だから戦っていいし命を奪っていい」という積極論に陥る危険性と背中合わせなので、そこをどう処理できるかに注目しています。
ギアスと00が、主人公サイドがテロを行うという点で共通していながらも決定的に違うのは、物語がはじまる前の世界の平和度合いでしょうね。
ギアスは、平和そうに見えるけれどもそれは租界の中だけで、実際には強大な国家による侵略戦争真っ最中であり、また、租界から一歩出れば惨めな廃墟が厳然とあったのに対して、
00は、アザディスタンのように紛争地域は未だにありつつも、人類がまがりなりにもまとまろうとしていたところをひっかきまわしはじめた、というのが。
「一皮むけば戦争と飢餓と貧困」というのを表現するのにしても、逼迫度合いが全く違うのがなんとも印象的ですね。
どちらがいいとか悪いとかではないんですが。
個人的には、CBは断罪される覚悟はあるといいつつ、その覚悟をもってる自分たちに酔ってる感じがして気持ち悪いですが。ルルーシュは偽悪的すぎてギャグになってたけどw
ルルーシュは個人の決意だったのに対して、CBの方はイオリア・シュテンベルクの敷いた計画に対するいろんな人間・集団の思惑がこびりついてる形なのでかなりドロドロしてるんですよね。
どっちもドラマとしての面白みがありますが、誰か一人が十字架を背負って世界が変わるわけじゃない構造のガンダム00世界がどう落としどころをもうけるのか、まだちょっと読めないので様子見しております。
5話でのブシドーは単純に刹那がいなかったから「興が乗らん!」って離脱しただけじゃないのかな。
刹那がいたら嬉々としてOOと戦ってそうな気が・・・
>名無しさん: 2008年11月11日 17:00
いや、ここで言いたいのは「刹那がいたら戦う」(いないから戦わない)という条件を内在化してる時点でもう軍隊という集団から足をはみ出してるって事ですよ。
戦うか戦わないかの問題じゃなくて、それがどっちでも「自分の意思で選んでる」というのが現場の軍人として規格外すぎる(^^;;
Posted by: みやも(管理人): 2008年11月11日 21:14