今週の週刊少年ジャンプ感想の代わりです。
月一回の作家特集記事に目を通す。
ネウロの松井優征先生のインタビューで、シックスの立ち位置をあくまで絶対悪として徹底する決意をにじませる発言があって興味を惹かれた。 最近よくみかける、悲しい過去があって同情できる悪役に対するアンチテーゼなんだそうな。現状のジャンプでこれを言っちゃうのは度胸あるなあ。ジャンプに限った話じゃないけど。
以下、個人的に悪役というものについて思うところをメモしておきます。
参照したのはマックス・リューティ『昔話の本質と解釈』の「解釈」のパート。
たとえば昔話の悪役たち。
昔話というのは象徴の世界なので、怪物やドラゴン、魔女、意地悪者たちなどの悪役たちは現実的なディテールをもつ生物ではなく、その世界における「悪い原理」(死、滅び、破壊、悪意、劣化、停滞、衰退、そのほか諸々の負のシステム)をもっとも極端かつ明確な形で示すシンボルとして機能するために登場する。
昔話のキャラクターの性質が極端になりやすいのは理由があって、もともと昔話の聞き手は子供が多いわけで、まだ自分の感情に詳しい言葉で輪郭を与える力を身につけていない年頃には、できるかぎり極端化され単純化されたシンボルのほうが物語の体験を実感しやすいから、それに沿っているのだろうとリューティ先生はいう。
赤ん坊は文法ではなく、まず名詞を覚える。そして子供は高度な文学的モノローグではなく、まず象徴で内部を満たされていくのだ。
本来は語り聞かせの口伝文芸である昔話は、聞き手が積極的に想像することによって場面場面が"聞き手の内面に"立ち上がってくるものだ。
そのとき、登場人物が象徴するそれぞれの原理がほぼそのまま、聞き手の心の働きそのものとして作用する。
つまり「騎士が邪悪な竜を倒す」とき、それは聞き手である子供にとって「自分の心の中の良い原理が悪い原理を乗り越える」体験が味わわれることを意味するのだ。
少なからぬ昔話が悪役を苛烈にさいなみ殲滅するが、それは現実において物理的外敵を殺せという教えではなく、我々個々人の内心の戦いがどう決着すべきかの手引きにしたほうが有益だろう。(その意味で昔話は逆に、悪い原理に押しつぶされる善の悲劇を描いたり、ちゃっかりした処世の原理に美味しい思いをさせたりする。それも人間内面の真だから)
だから、少なくとも自我の記述がはっきりできる年齢(〜思春期くらい?)までは、シンプルな勧善懲悪の物語を味わわせても構わないどころか、大いに推奨されてもいいくらいであろう。
「現実にはそんな分かりやすい善人悪人の区別はないんだから安易に極端な悪役を作るな」というのは「自由の女神みたいにデカい女がいるわけないから等身大に作り直せ」というのと同じレベルで現実と象徴のハシゴを掛け違えた主張だと、僕は思う。
少なくとも昔話や、それに共通する物語システムをもつジャンル(活劇系の少年漫画はその最たる物だ)では、悪役の存在意義は「悪い人間」を描くことではない。活き活きした生を損なう負の心理的エネルギーを象徴させ、その負荷にさらされた生の力が逆に活性化する着火点となることにある。その火は他のどこでもない、我々自身の内面で燃える火である。
昔話的な物語において、極端から極端へという性質上、たとえば悪から善への急転回なスイッチングは効果が高いが、悪を悪のままに置きながらそこにもっともらしい人間味をつけくわえるのは象徴としての純度を下げることになり、主人公側の(つまり我々の)火のつきを弱くすることになる。それでは心が煮えきらない。
「悪人」では、人としての事情がそのキャラクターを個別化してしまい、根っこのところで我々に接続されない。もっと抽象化されて「悪」(負)そのものであるというくらいのエキスに煮詰められることでそれは我々に他人事でなくなる。
ジョジョ第一部のディオが「俺は人間をやめるぞ」と宣言したとき、何が起きたか。彼はただ吸血鬼になっただけではなく、現実的に哀れな境遇の重みを捨てて極端に純化された悪役になったのである。あれは「悪人」が「悪」に昇華する瞬間として非常に印象深いものだった。
ネウロのシックスは劇中、鳴り物入りで絶対悪の肩書きを背負って登場してきた。クソ相対主義を向こうに回してふんばるためにあえて悪の悪たることを故意に強調しなければならない時代のキャラクター独特の悲壮さがあり、今後のなりゆきが注目されるところである。
【関連する記事】
・悪役論・補記:悪から善への軽やかなシフトチェンジについて
当記事の続きです。
![]() | 魔人探偵脳噛ネウロ 15 (15) (ジャンプコミックス) 松井 優征 by G-Tools |
ドラゴンボールの敵はけっこう最初から、悲しい過去とか無いような悪役でしたね。
そもそもピッコロ以降人間がいない。
世界征服したがる大魔王と息子
おなじく世界征服しにきた宇宙人
と、その親玉フリーザ。
征服どころか人間社会を破壊する人造人間二人。
人間を皆殺しにする不思議生物セル。
魔人ブウ
その割りに、わりと殺されずに仲間になっちゃうのがドラゴンボールシステムの凄さでしょうか。
あと、純粋悪、絶対悪っていうと、Dグレイマンの伯爵ぐらいでしょうか。
あれ?ハンターハンターの王は、最初は純粋な人類の敵対者から、妙な人情が。
上ではあまり詳しく書きませんでしたが、ベタベタしたしがらみが無いゆえに「極端な悪があっさりと極端な善に変わりうる(その逆もしかり)」というのもメルヒェン論の肝ですね。ドラゴンボールの敵→味方へのシフトは、あの軽やかさにこそ面白さの秘密が宿ってると思います。
あ、個人的には「ハーメルンのバイオリン弾き」あたりを再検討してみたい気がするなぁ。悪いやつは徹底的に悪かったし、善悪のスイッチが切り替わるやつは非常にハッキリしてましたよね、あれ。サイザーとか過去に大量虐殺してるのに最後は明るいハッピーエンドの一角をなしてるし。
Posted by: みやも(管理人): 2008年04月02日 23:33