脳内お花畑でファンシーすぎるものを茶化すときに「メルヘン」という言葉が使われがちですが、ここでは本来の、抽象的もしくは超自然な要素を含んで魅力あふれる御伽話という意味での"それ"から、べびプリをとらえてみたいと思います。
昔話(≒メルヒェン)の教育的効果というのは、物理的な実世界のありようを説明するものではなく、さまざまな象徴によってその昔話を聞く者の内面に精神の進路を示すことにある。
つまり、たとえば「美しい者、正直な者が本然を保って報われる/醜く、意地悪で嘘つきな悪人が罰を受ける」という物語がつむがれる場合は、じっさいに世の中がそういうふうになっているという事を語っているわけではなく、
我々の中にある精神の美しい部分・正直な部分によって
我々の中にある醜い部分や意地悪な部分を超克する
ための道筋がつけられるということである。(この性質のため昔話は技術的文芸よりも夢とか無意識の記述に近い)
すべては我々自身の内的なシンボルの問題であり、だからこそ醜いアヒルの子をはじめとする数々の貴種流浪譚の原型すなわち「汚かったものが本当は綺麗で高貴な本質を備えていた」「最も貧しかったものが最も豊かになった」というパターンが我々にとって他人事にならず、主人公へ感情移入することが可能になっているのだ。
ここでよく注意すべきは、それが現実においてはあくまで「自身の本然に根ざす信念によって自己卑下を乗り越え成長する」というモデルであって、貴方の前にいる実際の家族・友人が貴方を嘲弄するアヒルたちだというわけではない点である。
むしろ美しい白鳥に育った心はその実際の家族をやはり白鳥の家族としてより美しく感じさせ、よりよく愛させるものとなる。
だからBabyPrincessにおいて我々にもたらされる「おめでとう!!キミの本当の家族はここにいたんです!!」という導入は
「いま目の前にあるリアル家族をまがいものとしてトゥルー家族へ逃げ込み慰撫してもらえる」
という意味ではなくて、
「自分の中に象徴としてあらわれるトゥルー家族への観念愛を見出し育んで、それをリアル家族や友人知人へ還元できる」
という把握をするのが望ましく思われる。
もちろん商業エンタメ企画として稼がんかなの色気はあるにせよ、それはそれ(古来の吟遊詩人だっておひねりをもらって生活していたのだからお客を喜ばせるためあれこれ工夫していたのだ)として、上で述べたようなメルヒェンの効果というのは認めていいのではないだろうか。
こういったことは別にべびプリに限った話ではなく、漫画だろうがアニメだろうがノベルだろうがゲームだろうが、ともかく超自然的な要素をもつ物語全般の根底にあることだろう。
ただべびプリの場合は、その度合いが極端に高く、それはひとえに公野櫻子女史のメルヒェン的センスが極まりまくっているからに他なるまい。
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