風邪っ引きで寝込んだ暇にまかせて、先日中古で衝動買いした「YAWARA!」の続刊を最終巻まで読破。アニメ版は全話観てましたが、原作は途中を少し読み飛ばしてたかもしれない(記憶曖昧)ので、これをもって初の通読とするのこと。
やー、すごいよねー。
一話あたりの情報量は少なくて分かりやすく、それでいてお話が何重もの複層をなして進行し、最後にはすべて落ち着くところへ落ち着くという、かなり神がかった漫画ですね、と今更ほめちぎってみます。
その複層構造をまとめる一本の筋は、「大天才の絶大な力に触れて活性化された凡人たちが、その高みを目指す過程で自己救済に至る」という図式。全29巻もありますが、基本的にはこれを様々なレベルでひたすらリフレインしまくるだけで、そのシンプルさが力強い。
とくにシリーズ後半、富士子さんが引退間際に「柔道をやって良かった」と言うとき、柔ちゃんが"まったく負けないキャラ"
*1
である意味が染みてきます。劇中の人物たちにとって猪熊柔=柔道(のすばらしさ)そのものなので、絶対性がなくてはいけないんですね。神格、といってもいいでしょう。
じっさい劇中でジョディが指摘していますが、柔はもう完成された存在なので、自分だけの勝利や成長にこだわりません。というか、自分以外の誰かの戦いに気を配っているときのほうが圧倒的に多い。自分を救う必要がないというのは、つまり神か、神域にさしかかった聖人悟人のあり方です。
漫画に限らず物語の基本的な類型においては、
・神のいる物語
・神のいない物語
がニ別できて、さらに「神がいる物語」のサブセットには
−神に挑んで殺せる物語
−神に挑んでも殺せない物語
−神に挑むかどうかはべつに課題にならない物語
があります。
ここでいう「神」とは作品によって具体例は違いますが、たとえば「親」とか「大人」とか「師匠」とか集団の首長、または年功序列とは関係なしに「異種族」「天才」という形をとるような、隔絶した高次の「勝てるわけねぇだろ」的な存在をさします。お話によって一神教だったり多神教だったりとさまざまですが、とにかく"次元が違う"のが明らかなキャラですね。
「YAWARA!」がおもしろいのは、滋悟郎じいさんと柔のニ神教になっているところでしょうか。あるいは柔道の原理を司るのが滋悟郎で、その形而下レベルの顕現が柔ちゃん、というふうに一神二体とみてもいいかもしれません。
で、その<滋悟郎−柔>は柔道の局面では完全に他とは次元が違っており、それ自身の本質的なスペックはずっと人智のおよばぬところで揺るぎませんでした(けっきょく全話通して柔ちゃんを苦しめた最大の強敵は、本人のモチベーションだった)。柔道の神はあまりに強すぎて、それを目指してくる人間は出てきても、その打倒は実現しません。ただ、あくまで目指す過程でそいつがステップアップしたり悩みに答えが出てよかったよかった、という救済のルールが働くタイプの宇宙になっているわけです。長々期にわたるシリーズの場合、うっかりすると作者が変節してそういう根本的なルールを変えてしまう場合もありますが、「YAWARA!」は最初から最後まで筋を通し続けた。これは偉い(笑)
このタイプの「けっして殺せない神が居る物語」は、一見すると絶対に努力で超えられない壁をもうける容赦ない冷徹な世界観のようでもありますが、「学ぶべきものを見失わずに済むように、神様がいつまでも最大の理想値を示し続けてくれる世界」という意味で、人間−−とりわけ近代以降の世界に住む人間−−に対してかなり優しい、ファンタジックな甘みのある世界観になりうるということは見逃せません。
今回は、その実例として「YAWARA!」を読むことができて楽しめました。
[追記]
ところで、キョンキョン
*2
って改めてみると時々すげぇ美人な場面あるよね。
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文字通りの意味で「絶対神」が出てくるFSSとは対称的ですね。
「じゃがムグミカよ……
お前がわしを呼んだのは
この時のためだけではあるまい?
それは…
AD世紀と全人類の歴史に無うて
今、この世にあるもの……」
「そやつらが我ら人類に準ずるか抗うか……
絶対な者に対しての中庸はない!
我らが人類の 盾となり武器となる旧時代のわしと、
騎士の頂点である”十曜の守護者”を呼んだのであろう?
『神との対峙のために!』」
タイプとしては「神に挑んでも殺せない物語」になるわけですが、
「学ぶべきものを見失わずに済むように、神様がいつまでも最大の理想値を示し続けてくれる世界」
というような甘い物でもありません。
人類の尊厳を捨てた絶対的な服従か、
さもなくばいずれかが滅びるまでの戦いか。
それ以外の選択肢は遺されていません。
それにしても、一体いつになったら再開するんだろう……orz
最大の敵は、作者の気まぐれのようで。
宇宙レベルのSFになると、人間という単位にはシビアな扱いをする世界観になりやすいですよね。
クトゥルー神話とかは徹底的に容赦ないしなぁ。
>それにしても、一体いつになったら再開するんだろう……orz
>最大の敵は、作者の気まぐれのようで。
神に祈りましょうか(^^;;;
シティハンターとかも同じですね。
るろうに剣心とかは曲げてしまった例。
うしおととらは挑む系で、
ダイの大冒険は入れ替わっていく。
Happy!の人気の無さも分析して欲しいです。
Posted by: かつら: 2007年03月04日 03:06こう見ると
神を消してしまった点で
ヒカルの碁は秀逸ですね。
ジャンプ漫画だと聖闘士星矢が律儀に「人間キャラでは神キャラを自力で殺せない」というルールを固持してたのが思い出されます。
>かつらさん
テーマ的に、剣心は半神半人として悩む存在だったという見方もできますね。
作者にジョーカー呼ばわりされてた比古清十郎先生はもう完全に神ですが(笑)
Happy!は……借金という弱みから始まりますから、最強っぷりに爽快感がなかったのかもしれませんねぇ(^^;;
あと何より、ヒロインと借金取りの図式が柔−松田さん関係の焼き直しに見えてしまったのもいまいち感の一因かも。
>名無しさん
ニーチェじゃないけどまさに「神は死んだ」状態ですよね。
あとに残された人間が自分で進まなくちゃいけないという、ものすごくシビアな展開。
興味深くエントリーを拝見いたしました。
水を差すようで恐縮ですがジュディではなくジョディが正しいのでは?と思いました。
では失礼致します。
ああっ(^^;;
ご指摘ありがとうございます。
修正いたしました。
私もYAWARA!が大好きなんですが、このエントリを読んでこの漫画の面白さがまた一つ読み解かれたような気がします。
ところでキョンキョンに対する言及
>キョンキョンって改めてみると時々すげぇ美人
ここ激しく同意。
Posted by: 名無しさん: 2007年03月04日 14:10鬼達が死闘を繰り広げている所に神が降り立って(女神様)平和をもたらす、という話もあったりします
田中宏「グレアー」
現在連載中のこれの前日談に当たる「女神の鬼」はどういう展開になるのか気になります。
(真清の女神に出会ってから女神と分かれるまでの展開はかなり辛かった)
ヒカルの碁はどちらかというと親殺しの物語のような気がします。親の庇護の元にあった子供がやがて自分の意志で歩み出すという。
作者が母親などでそう言う視点で描かれたのではないかと。嗚呼俺も早く親離れしたいです。
神のいない世界で、最後に神を作り出そうとする「ブラックロッド」(古橋秀之)からはじまる三部作はどう分類するんだろう…?
Posted by: yocc: 2007年03月04日 22:59このへんの話題は、西洋由来でデウス・エクス・マキナの物語技法があるのも視野に入れると分かりやすそうですね。
>名無しさん
いいですよね、キョンキョン。
柔道のおかげで元気になってからは、ふつうに「細身で小柄な可愛い」女の子になってる(笑)
>猛魂さん
未読なんですが、たしか「BAD BOYS」とあわせて三部作になってるんでしたっけ??
いつか読まないとなぁ……(と宿題リストに入れっぱなしの作品が山積み)
>moruさん
そういえばサイの視線はとても母性的ですよね。
母=神という考え方もあるので大ざっぱに「神」というくくりにしちゃってますが、少年漫画での母親論・父親論もまた単独で大きなテーマだと思います。
> yoccさん
強いていえば、神様が生まれた時点で「神のいる物語」に移行する、ということでどうでしょうか。
まあ、上の記事はあくまでひとつのテーマに沿った系統の分類ですのでピッタリこないものも結構あるはず(^^;;
ベルセルクなんかも思い出します(いやまだやってるけどw)
途中までは、「神」に挑む、最高度に鍛えられてはいるものの現実的な「人間」という図式で、それでもひょっとしたら?と思わせるバランスだったと思うんですが、途中から主人公サイド・環境も現実的レベルを逸脱しました。それで新たに加わる魅力と、失われる魅力というのはありますね。
>ぞんさん
ベルセルクはまさに神-人の次元の問題を考えるのにいい教材ですね。
……ああ、そういえば、アニメ版はあくまで人間の立ち位置を固持したまま終わっていて、あれはあれで綺麗だったのかな。
見事な考察に、深く感心させられました。
最終的にジョディもロシアの裏投げの人(名前が…)も皆、柔に負けてなお清々しいのは、こういうことだったのかと。
神殺しのマンガといえば、最近話題の『シグルイ』が浮かびます。
単行本でしか読んでないのですが、第6巻の高揚をどう乗り越えるか。本当に楽しみな作品です。
>>イカグラフさん
>柔に負けてなお清々しい
テレシコワさんですね。まさに彼女たちの表情が今回の記事の出発点でした。「ああ、柔が絶対負けない存在なのは、むしろ彼女らのためなんだな」と。
>シグルイ
すごい業の深い傑作ですよね〜。虎眼流の物語は「神が自ら生み出した怪物によって殺される」「今度はその怪物が生み出した別の怪物と殺し合う」という巡り巡る相克の過程でもあるわけで。
ああ播磨灘はどう考察されますか?
>ああ播磨灘
すみません、未読なので大ざっぱなイメージで述べます。
おそらく播磨灘、そして例えば「鉄鍋のジャン」みたいに秩序破壊者として快進撃を重ねるキャラは"トリックスター"の類型を参照すると分かりやすいと思います。
この場合は既存の権威="神"で、播磨灘やジャンは神や悪魔をおちょくる文化的アウトローですね。で、アウトローなんだけど同時に超人的英雄としての風格をもつので人々を魅了すると。
まあ、こういう分類論は何とでも言えるので、あくまで私見ですが(^^;;
Posted by: みやも(管理人): 2007年03月08日 00:55典型的な例でバキなんかどうなんでしょうね
神を殺すことで物語が完結するんでしょうが主人公の成長より明らかに神格化のスピードが速すぎて・・・・
後は「哭きの竜」なんかも面白いかも、竜自体はまぁ最強過ぎて負ける要素なんか無いんですけど、ある種自然環境のように振る舞っているところが興味深いんですが
Posted by: QQ: 2007年03月11日 03:45>バキ
主人公の口だけなら超スピードで成長してるんですけどねぇ(笑)
ギャンブル物はとくに人智をこえた運の流れが関わってくる分野ですから、「神」を描くことになりやすいですね。
神様にも種類があって、荒ぶる神もいれば柔和な神様までいろいろなのが面白いところ。