▼「かわいい」
古形「顔(カホ)ハユシ」→「カハユシ」→「かわいい」
ハユシは照り映える感じ=(顔が)火照る心持ち。
『徒然草』(14世紀前半)で「かわいい」は「対象のありさまが見るに耐えない」場合に使われており、酔いどれ坊主の醜態が見ていて恥ずかしくなるという旨を記す際に「かわいい」という語がみられる。
『太平記』(14世紀後半)には「よき敵や。ただし一打ちに打ちひしがむこそかわゆけれ」という記述がある。これは相手をただの一打ちで片づけてしまっては痛ましいという意味にあたる。
さらに妊娠している女性が入水自殺する時に「小さな者に月の光も日の光さえも見せず、命を消えさせてしまうのもかわいい」と述べるくだりもあることから、「かわいい」が"かわいそう"の意味で用いられているのが見て取れる。
こうしてみると、「見るに耐えない」という軸で、「かわいい」は
恥ずかしくて見苦しい→不憫で見ていられない
という哀れみの意味に移り、最終的にそのような可哀想な相手を思いやる情けとしての「かわいい」に変化したようである。
つまり「かわいい」は可哀想であることを前提としており、単純にモノをまじまじと見つめて愛でるのではなく、弱者や不遇なる者に対してそっと目を伏せるような憐憫に深く根ざした概念といえる。
▼「いとしい」
一説に、「いとほし」を「いとふ(忌う、厭う)」に由来するものという見解がある。
「かわいい」が、恥ずかしくて見ていられない物から、かわいそうで見ていられない物へと対象が移り、やがて恋慕をあらわすようになったのと同様、「いとふ」もまた目を背けて避けたいものに対する気持ちが、哀れみを介した慈しみへと変化して「いとしい、いとおしい」が使われるようになったという見方ができる。
「かわいい」=「可哀想だから愛せる」心理を下敷きにしているのを考えれば、日本人がよく
「欠点がある/ない」=「かわいげがある/ない」
と直結させて語るのも分かる気がする。
フィクションにおいても、キャラクターに精神的欠陥、肉体的欠損、状況的不遇があることは、われわれがそのキャラを愛するとっかかりになる。
たとえ完璧超人な設定のキャラでさえも、その完璧さがどこかにいびつさを背負っていて、最終的に「かわいそう」な面を掘り起こすパターンが多く見られる。落差があるぶんよけいに「かわいい(愛せる)」ようになる効果をもつためである。
つまり、われわれは、かわいそうなものが大好きなのだ。
(あくまで基本的に、ってことですが)
注目すべきは、「かわいい」「いとしい」いずれにしても、優位の自分から見て条件が一段低いものに憐憫をくだす思いを底に敷いている点だ。
これは、ちょっと踏み違えると他人を自分以下に引き下ろして安心する差別的な要求につながる弊害はあるが、それでもなお、「ひとの欠点・見苦しさ・小ささを逆に好ましく慈しむ」気持ちを一つのことばとしてあらわすことが出来るというのはすてきなものなんじゃないかと思う次第である。
とかく同情というのは恵まれた者の余興のごときものとして非難されることもあるが、もし痛ましい他者を肯定的に受け入れる観念が全くなければ、それはそれで人間の抽象的格差は永久に断絶・対立したまま固定してしまう。「かわいい」という評価語は矮小なものをそこに留め置かず尊いものとして引き上げるハレのことばとして、重要な機能をもっている。
こうしたことを考えるのは、いわゆる「萌え」と「かわいい」「いとしい」の共通域を洗い出す手がかりになりそうだ。
英語では、この手の「可哀想な可愛さ」 とダイレクトに互換するような語が見あたらないのか、かつて綾波レイやマルチといった90年代のイノセントヒロインに対する萌え感情の訳語で「petty」をあてたケースがあったようである。しかし「petty」は小さい者のネガティブ面こそあらわすが、それをさらに愛する意味まで含む表現とは言いがたい。そのためかどうか、現在では北米のアニメ・漫画ファンが「moe」「kawaii」をそのまま外来語として使うところもよく見られる。
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基本的に、社会的なアドバンテージがないぶん、人物の年齢が若ければ若いほど、無垢であれば無垢であるほど、不遇におかれるときの痛ましさが際立つ存在となる。自然、「かわいそう」と背中合わせの「かわいさ」を消費させる媒体では、メインキャラに幼さや無垢さを付与するのが定石となってくるし、我々の方でもそれを求めるようになる。
ドラマでいえば往年の名作『おしん』がそうだったろう。アニメでいえば、かつて世界名作劇場の主人公たちが大人の視聴者に対してアピールしたのが、やはり「かわいそうだから可愛い」タイプの感情だった。これは久々に製作された名劇タイトル『少女コゼット』によって現在進行形のものとなっている。
また、近年、とくにこのタイプの感情を鋭い形で叩き出してきたタイトルとして『びんちょうタン』が挙げられる。随所にほろ苦いシビアさを滲ませる作品世界で、あどけない3頭身キャラが織りなすふるまいに哀切をかきたてられる、あれはまさしく「かわいそうだから可愛い」心持ちの体験だった。
『苺ましまろ』のコピーにいわく「かわいいは、正義」。アニメ版で、伸恵から邪険にされた美羽が泣き出す姿のもたらす感情は──正義かどうかは知らないが──たしかに「かわいそう」≒「かわいい」であったろう。
また、『キングゲイナー』でテレビ越しに父親と別れを交わしたアナ姫の泣き出す場面でも、やはり高純度の「かわいそう」≒「かわいい」が感じられるようになっていた。
そうした幼年キャラクターの泣き顔に(性的な意味抜きで)ドキドキするのは、必ずしも最近の二次元消費者のロリコンめいた精神性にだけ依拠しているとは限らない。上で述べたように、古くからある言葉の歴史を背景にした、日本人が抱える懐深い心情の発露でもあるからだ。
その心情をたった一語「かわいい」に凝縮してアウトプットできる文化で暮らしていることに、ちょっと感謝してみるのもいいかもしれない。
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あの「ドジっ子」且つ「かわいそう」な設定を背負わされている事で有名な
トゥハートの“マルチ”シナリオにその端を発し
さらにいずれも「かわいそう」な運命に翻弄される
純粋なヒロイン達を書くKey等によって確立された
『泣きゲー』の流行(萌え、という概念の流布と時期を同じくしているのが象徴的)も
その同じ流れにあるのかもしれませんね。
>泣きゲー
たしかに「かわいそうな彼女の可愛さ」をおしすすめやすい形式ですよね。Kanonの真琴とか。
「かわいそう」自体が目的になって「かわいい」の方が副次にまわる悲劇嗜好にもつながりやすいですが、そこはまあメーカーそれぞれの芸風次第で。
すんごく面白かったです。
やはりライターさんが書くと
ブログもこんなに面白くなるんですね。
自分がロリ好きなのを擁護するつもりは
ありませんが、可愛いものをいとおしいと思う
日本人の感覚を失いたくないですね。
ぼくも美羽が泣くシーンは大好きです。
ありがとうございます。
ライターといってもまだ駆け出しなので、ものを書くときはいつもびくびくしてます(^^;;
>美羽が泣くシーン
よかったですよね〜。
あの場面につながるまでの話の運びというか演出に深く感心しました。
読んでいるうちにあるキャラクターを思い出してしまいました
田楽マン
どうもすいません
アニメでは金田朋子ボイスでますます可哀想キュートネスがパワーアップ!(笑)
私の祖母は長野出身で岐阜の飛騨地方に住んでいるのですが、
「まあ、かわいそうに」をよく「あれ、かわいいなあ」と使います。
おそらく長野か岐阜の方言なんでしょうがこの説明を聞いてなるほどと納得しました。
コメントありがとうございます。
実用例を教えて頂いて心強くなりました。感謝感謝。
一部の地域では今でも古形の意味が受け継がれてるみたいですね。
今回の記事は『日本語の年輪』という本を参考したんですが、その中では秋田県の方言についての記述がありました。
(「恥ずかしくて〜」の意味で「かわいくて〜」という言い方があると紹介されてた)
今までアニメを扱ったブログを結構読んできて、ゲラゲラ笑わせてもらったものは数あれど、ここまで内容が深く、蒙を啓かれる思いがした文章に出会ったのは、ずいぶん久し振りです。
結論もすとんと胸に落ちるように、無理なく理解できました。
このような上質な文章も今後も期待してます!
拙文をお読みいただきありがとうございます。
まだまだ手探りで勉強中ですが、何か得られるものがおありでしたら記事を書いた甲斐がありました。
今後も精進したいと思います。
今回のコラムはいいですね。
私も昔聞いた事があります。
中国や他の国では満月が尊ばれる。
しかし、それらの国の様々な文化を許容した日本だけは欠点のない満月よりも少し欠けている程度が一番おもむきがあると主張しています。
(下弦の月など。旧ダイエーのロゴなんかそうですね)
私が一番尊敬する先生に教わりました。
こういう感覚は日本だけだそうです。
実際この話をすると外国人は不思議な顔しますが日本人に話すとそういうことも共感してくれます。
日本庭園の思想も同じ下敷きがありますね。
完璧なデザインというのはそこから先がない静的で死んだ状態なので、わざと部分的に欠け、崩し、乱れを入れて、生きた味わいを出すんだとか。
片付いてる庭にわざと葉っぱを散らしたりとか。