『ファンタジーの文法 物語創作法入門』から。
第38章「おとぎ話に耳をすますこども」より抜粋。
子どもが自分を守ることのできない悲痛な恐怖を感じるとしたら、物語で狼に出会う以前に、すでにその恐怖が子どもの中にあったのだと考えなければならない。恐怖はぬきさしならぬほど深く、子どもの内部に巣食っていたのだ。この場合の狼は、かくれた恐怖をあばいた徴候であって、原因ではない……
兄弟といっしょに森に捨てられた親指小僧のお話をするのはママであるならば、子どもは自分も同じ目にあうかもしれないなどと恐れずに、ちっぽけな主人公のあの有名な悪知恵に全神経を集中することができる。もし、ママもいなければパパもいないときに、だれかほかの人がこの同じ物語を聞かせるとすれば、こんどは子どもをおびえさせることになる。だがこれは、子どもが<捨てられた>という条件を再現しているからにすぎない。もしママが帰ってこなかったら? ここに突然の恐怖の根源がある。これこそ、<聞く軸>の上に投影された、意識下の不安と孤独の体験の影である。子どもが目を覚まして、なん度もなん度も呼んだのに、だれも答えてくれなかった、あのときの記憶である。
この記述は、恐怖だけでなく、フィクションに惹起される感情全般について敷延できる大事なことでしょうね。
ただ、現代社会では視覚を主にする強い同化体験のツールが充満しているので、「物語そのものが一次的な記憶になることはないのか?」という疑問もあります。
今回のトピックを創作のほうに適用すると、「読者層を考慮し、彼らがとくに強く記憶しているであろう感情の種類に対応したお話作りを心がけると効果的」 みたいなことになるでしょうか。それが外れた時は、まさに「ピンとこない」という評価が下るわけですな。
むずかしいのは、消費者はそれぞれ個人的な記憶で物語を受け止めるので、この話を与えれば全ての人にこの感情が生じる、みたいな機械的な公式は無いってことですね。ほんとうに、ごくごく大まかに見込みをつけて最大公約数を狙うしかない。その見込みのつけ方の巧拙が、いわゆる"センス"といわれるやつなんでしょう、たぶん。
じゃあ、僕のようにそんなセンスはまったく無い人間はどうすればいいのか。そこで、先人が試行錯誤してこしらえてくれた「様式」「形式」「ジャンル」「お約束」といった、つねに一定の感情惹起が見込める"お惣菜"が活用できるんじゃないかな、と思います。
といっても、選んだ様式が商売として成り立つくらいの支持が得られるかどうかを時代の流れにあわせて見極めなきゃいけないから、けっきょくはセンスの問題になってくるんですが(^^; どないせーちゅうねん。