創作論で「キャラクターを上手く作れ」というのはいくらでも言われてると思うけど、「場」を作れ、というような事も、もっともっと優先度を高くして言われても良いんじゃないかな。それは物語の中で、決して人間に対して副次にとどまる低い要素じゃないはず。
以下、現時点で考えてる物語の「場」について。
具体的には紺野キタの「ひみつの階段」とか「ここはグリーン・ウッド」とかマリみて、「小公女」、新撰組もの、軍隊ものなどを念頭に置きながら。
・「場」は場所であり、あるいは集団である
・「場」は生活という観念と密接な関係がある
・「場」は世代という観念と密接な関係がある
・「場」は成長、変化という観念と密接な関係がある
・「場」は内部の人間に外社会とのチャンネルをもうける
・「場」は内部に権力や環境の格差をはらみ、人間に特定の"境遇"を与える
・「場」が建築物である場合、構造が物語に影響を及ぼすことが多い
・「場」は物理的な意味でも、抽象的な意味でも"出入り"されて成り立つ。出る・入る・送り迎えする・一時入って旅立つ(卒業)など、そこで代謝がおこなわれるときにドラマが生じる
・「場」は当事者の意識・無意識、面識の有無に関わらず継承される
・「場」は継承によって時間を蓄積する
・「場」において蓄積された時間は各時代の横にひろがる人間関係をつらぬく縦軸となり、立体的なドラマを生じる
・「場」は性質上、時空を超えた交流を描くファンタジーと馴染みやすい。その場合、「場」は過去・現在・未来の人間が集合する寄り合い所の様相を呈する。そして寄り合いはいずれお開き(お別れ)を迎え、そこにドラマが生じる。もしくはいつまでもお開きにならないこともあり、そのときはある種のホラーが生じる