匿名の掲示板や、コメント・トラックバック機能で相互言及が促進されるブログまで盛んになり、世々ますますテキストの滑りが進んでいるようです。ときによればリスクを忘れて軽率な"文章下痢"を起こし、必要以上の情報刺激を発信したり人間としての手の内を見せすぎたりして不本意なトラブル、反発の引き金を引いて面倒なことになる事態もしばしばの昨今、もはや逆に「いまここで何を言わないでおくか」を判断し賢明にコトバを少なくしたり、ときには沈黙するスキルこそが肝要になったような観があります。
具体的な目標としては……
■1■ 完全主義を捨てる
日記でも感想文でも評論でも、強迫観念的に「あれも書いておかなくては、これも書いておかなくては」と語り漏らしを気に病むのを止めて、枝葉をばっさり切り落とし幹を示すに留める。コトバは不完全であり、どれだけ積み上げてもつねに不充分で終わりがない。とりわけプライベートな文章の場合は、ちょっと足りないくらいが話のタネになって周りに楽しまれやすくていい。
■2■ 脊髄反射をしない(其の1)
己の考えとズレのある情報発信者を見かけても脊髄反射をしない。この世には自分と趣味や思想の異なる意見をもつ者は何百何千何万何億といて、それらを一人一人論破し説得して回るには、人生は短すぎる。
■3■ 脊髄反射をしない(其の2)
他人の記事にコメントを付けるときはよくよく躊躇うくらいでちょうどいい。とくに軽い反発心から「面倒なので論破までする気はないが、せめてチクリと一刺し喰らわせてやろう」という皮肉屋根性でコメントしようとしているときは、何度も深呼吸をしながらそういう行動をしようとしている自分の姿を客観視して、己に課す美学に反しないかどうか検討すること。また、程度の大小にかかわらず、アクションにはリアクションがともなうので、刺したつもりが即座に刺し返されるリスクもあることをよく考える。
■4■ 脊髄反射をしない(其の3)
身の丈を知って、用心深く口数を制限すること。専門外の分野の話題には、見(けん)に徹するか、詳しい人へ素直に質問するが吉。一刻も早く自分がニュースや議論の伝播の中核に立とうとする色気は控える。
■5■ できるだけ横槍を入れない
当事者間の詮議でなんとかケリがつきそうなところへ、たとえどんなに素晴らしく正しい理屈を思いついたとしても、自分がその問題に直接関係していないのであれば口出しはしない。現象は、いきなり構成要素が追加されるとバランスを崩して複雑化し、安定を迎えるまでの時間が延びてしまう。言説上のトラブルもその例外ではなく、義を見てもあえてせざるが必要なことだってある。また同様の理由で、たとえ善意からでも、頼まれない限りは調停者を買って出ないこと。
■6■ 己の知識量について誠実に
自己イメージを不必要に「モノをたくさん知っている人間」の方向へ脚色、粉飾すると、後々そのフォローに費やす労力が割に合わなくなる。どんなタイトルであっても、まだ見たことのない作品はまだ見てないことだけ正直に示して、あとは沈黙すること。ちなみに僕はFateもクラナドもまだプレイしてません。
■7■ 卑屈な言葉も出しすぎない
前項目とは逆に、必要以上に卑下した、自嘲的な自己言及をしすぎないこと。自分より低い条件下の人がその発言を見てイヤミを感じるリスクはいつだってある。
■8■ 「お前がやってみろ」は禁句
自分の創作行動が長々と分析され批評されても、「そこまで言うならお前がやってみろ」論はなるべく腹に飲み込むこと。逆に考えて「では、自分にはそういう批評をする能力があるのか」と自省してみるに、そうでもない事が多い。そもそも、人生に一度しかない貴重な時間をちょっとでも自分の作品のために費やしてもらった時点で、創作者としての勝利と報酬を得ていることを認識したほうが精神衛生には良い。なお、この場合の創作とは、日記や記事、論文なども含んだ広義の活動を指す。
■9■ 相手との距離で態度を変えずに済むように発言をセーブする
気に食わないモノに対して、遠距離の安全圏からキツい論調で攻撃をしておいて、相手がそれに気づいてインファイトを求めてきたら急に恐縮して弁明を始める姿は見苦しい。状況がどうなっても帳尻が合う範囲の物言いにしておくか、いっそ何も言わないでおくこと。
■10■ 優位にいても圧力はかけない
前項とは反対に、遠くで何かを言われた側の者も、社会実際的に彼我が同等もしくは自分が圧倒的強みに立っている場合は、直に乗り込むことで相手を恐縮させてやろうという魂胆だけで相手方にコトバをかけることはせず、なるべく華麗にスルーしておくこと。圧力をかければ、すぐにではなくともいつか何かの形で反発が生じる。
■11■ 相手を追いつめない
意見を異にする相手のあやまちや弱みを見つけても、そこから逃げ場のないところまで追いつめることを目的にしてコトバをふっかけたりしないこと。追いつめられた人間のふるまいは自他かまわず破滅的な行動へ極端化する可能性があるし、そうでなくともそれ以後長期間にわたる禍根を残して面倒くさい状況になりやすい。
相手側の示す数字上の誤りや明らかな事実誤認が自分に大きなデメリットをもたらすと確信できたときのみ、なるべく穏便に、可能ならば相手が自発的に気づいたような形にもっていって改めさせるのが望ましい。
■12■ 「最後の発言」にこだわらず引きどころを見極める
ブログや掲示板などで、ただ相手をやりこめようとするだけの不毛なコメント合戦にもつれこんでしまった場合、自分の発言が最後になっていなければ「反論できずに言い負かされた形になってしまう!」という強迫観念に陥りやすい。しかし、それはすっぱり捨てて適当に引きどころを作ったほうがいい。
「議論するだけ無駄」な状況は、実際は無駄=ゼロどころか、気力・体力・時間の損耗を考えれば人生においてきわめて大きなマイナスになる。あえて自分から"負け"の形を拾ったとしても、損害の軽減が出来たわけだから立派な戦術効果を得ているといえる。
■13■ 悪意のある比較批判はしない
己の長所によって人の短所をあらわさない。己の短所によって人の長所へケチをつけない。悪意のある比較批判はいずれ同じ形でしっぺ返しを食うことになる。上を見ても下を見てもきりはないことを覚えて、自分自身の地歩を固める精進に努めること。
■14■ 「一言多い」に気を付ける
ニュアンスに気を付けて、必要以上に刺激的・感化的なコトバを増やさないこと。同じ情報をあらわす文章でも、表現ひとつ違っただけで人の心証の良し悪しは変わってくる。そして人は心証を悪くした文章からは、たとえそれが正しく有益であったとしても情報を汲み取ろうとはしない。余計なコトバを注ぎ足したせいで、かえって人に伝わる情報量が減衰するという逆説的な結果になることがある。
■15■ 内輪話の有効活用
基本的に、衆目へ公開されるコトバは平易なことが好ましいが、デリケートな問題を扱う場合は、反発する人の人数を抑制するために、わざとコトバを分かりにくく、量も少なく絞って、特定の伝えたい人にだけ通じる程度の表現を選ぶという手段もある。
以上、思いついたところを書いてみました。
まだまだあると思いますが、そこはそれ全部書こうとしたらきりがないので後はみなさんに委ねます(笑)
ようするに、語ることで発生するリスクに対して、コトバを控えることでそれをいかにコントロールできるかというところを自覚しておく点がキモですね。
と書いておいてなんですが、もちろんハイリスクを承知で、誰にもはばからず刺激的なテキストをどんどん生産するスタンスも(そこから生じる結果をちゃんと受け止めるなら)立派な姿勢で、痛い目を恐れないタフな人にはそちらが向いているという場合もあるでしょう。
僕はミドルリスク・ミドルリターンくらいがちょうどいいので、上に列挙したような「そこそこ抑え込んだ」フォーム(文体ふくめたモノの書き方)を目標にしていると、そういう話です。(その目標をちゃんと実践できてるかというと……ごにょごにょ)