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    2005年10月25日

    ジョン・カーペンター語録 − 『恐怖の詩学 ジョン・カーペンター』より

    [ book , movie ]
    恐怖の詩学 ジョン・カーペンター―人間は悪魔にも聖人にもなるんだ (映画作家が自身を語る)恐怖の詩学 ジョン・カーペンター―人間は悪魔にも聖人にもなるんだ (映画作家が自身を語る)
    ジル ブーランジェ Gilles Boulenger 井上 正昭

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     以下はすべて、ジョンカペ様のインタビュー本『恐怖の詩学 ジョン・カーペンター』(ジル・ブーランジェ原著編集、井上正昭 ・翻訳) からの抜粋です。


    ■P.32−33
    ──あなたにとって映画作りとはなんですか。

    (略)映画を作るとは、映画を監督することだ。そして映画を監督するというのは、俳優、脚本、撮影、すべてを監督することを意味する。実際、映画作りとは、つまるところ、でたらめからヴィジョンをでっちあげることだよ(笑)。

    ■P.33
    ──監督として見たとき、なにがゴールになるのでしょうか。

     わたしは自分の姿を見せないようにつとめている。自分を見せびらかさないようにしている。そんなことをすれば観客はしらけてしまう。だが、こういうふうに映画作りをしているのは、もう時代遅れだ。いまでは、観客は非常にシニカルになっていて、これからなにが起きるのかがわかった上で映画を見に行く。彼らに関心があるのは、監督がそれをどう料理したかということだけだ。「おれをもっともっと気持ちよくさせてくれ」ってなぐあいだよ。

    ■同上
    ──自分が決定したことの一つひとつには、実はなにかの理由があるはずだと思われますか。

     全然(笑)。なんの理由もなしに決めたことがきっとあるはずだよ。ただ、理由があればいいのにとは思う。過去にやったことの理由を知ることができたらと。わたしは物事に対して理知的になりすぎたり感情的になりすぎたりしがちだ。(中略)どちらも極端になりすぎれば、自分にとって危険だ。だからこの二つのあいだでバランスを取るようにつとめている。感情的になりすぎていると感じたときは、少しばかり理性的になるようにつとめ、その逆も同様だ。

    ■〜P.34
    あまり考えすぎたら、なにもできなくなる。バスケットボールの選手のようなものさ。(略)絶えずシュートしつづけることだ。シュートを決めるんだと信じつづけることだ。そうしたらいつかは決まる。へまをすることもあるだろうが、そんな落ち目の時期をなんとか乗りこえなければだめなんだ。決定を下すたびに、ああすれば良かったこうすれば良かったと考える人間が、映画監督になろうと思うなんて、想像もつかないね。

    ──そんなふうにあれこれと考える監督もいます。イメージが伝えるものが、決して誤解されないようにしたいと思うからです。

     そんなこと心配しなくていい。きみがなにをしようと、きみはそこにいる。スクリーンでなにを見せようと、それがきみになるんだ。間違いない。頭で考えないことだ。そんなことをすればおしまいになる。本能で動くんだ。フィーリングで動くんだ。一か八かに賭けるんだよ。怖いなら、考えすぎないようにするんだ。自分を分析してはいけない。

    ──でも、映画を作る人間は、自分が観客に提供するイメージすべてに責任を持つべきではありませんか。

     もちろん責任はあるさ。考えないということは、責任がないという意味じゃないんだ。責任をもつというのは、なにも、やることの一覧表を作って、これとこれとこれを必ずやるというふうに決めることじゃない。映画のストーリーをちゃんと語っているかぎり、それでいいんだよ。ただしそれがうまくできなかったら、大問題だがね。

    ■P.36
    ヒーローというのは、目的がひとつしかない人物のことだ。そのただひとつの目的がなんであるか、その目的が邪悪であるか軽薄であるかポジティヴであるかにかかわりなく、それがヒーローなんだ。手帳を十五冊も持っているヒーローになんか興味ないね。そんなのドラマとしておもしろくない。ヴィジョンがひとつしかないこと、目的がひとつしかないこと、それがヒーローを決める。彼は殺人者かもしれないし、良い手本となる人間ではないかもしれないが、それでもヒーローだ。『タクシードライバー』を見てみればいい。

    ■P.49
    ──自分はすぐれた脚本家だと思われますか。

     いつもひどい脚本家だったし、これからもずっとそうだろう。そもそも、脚本を書く過程が苦痛で、楽しくない。部屋にこもって書くなんて、いやだしうんざりする。それに、自分が作ろうとしている世界に没頭しすぎて、そこから抜けだせないんだ。(略)それが自分の弱みでもあり強みでもある。

    ■P.55
    直感うんぬんは、その映画をどれだけ自分の作品にしたいと思っているかに関わる問題だ。あらかじめなにかを計画してしまえば、人がそれに手を加えるのを受け入れることになる。だが、直感に頼るなら、自分しだいだ。(略)しばらくすれば自分の感情に頼ることで、その映画がいる場所がわかるようになるだろう。ただし、感情というのは、ストーリーを語るときに働くフィーリングのことで、個人的な感情のことじゃない。個人的なことはすべて脇に置いておくべきだ。映画を作るとき、監督をするときは、個人ではいられないんだ。

    ■P.81(学生時代の作品『ダーク・スター』について)
    ──宇宙船とその周囲は、五つのショットによる間延びしたシークエンスで入念に描写されて登場します。このような焦点の合わせ方にはどのような意図があったのでしょうか。映画のテンポを決めるためですか? 日々の退屈さを描くためですか?

     そのとおりだが、あのころは甘えてたんじゃないかな。映画を作っている若い学生というのは、自分が撮るショットはどれも傑作だと思っていて、カットしたがらず、最後まで残しておいてしまうものなんだ。若い監督というのはたいていそうだと思う。編集室ではあまり自分に厳しくなれないんだよ。

    ■P.91(『アイズ』)
    ──『アイズ』のオリジナル脚本では、連続通り魔(スキッド・ロウ・スラッシャー)はヒロインの恋人ではなく、あなたがおっしゃるように、いわば「顔のない暴力」として描かれていました。

     ハリウッドではむかしから、「悪者がよければよいほど、映画はよくなる」という言い回しがある。ただ、この言葉は人を怖がらせることに関しては必ずしも当てはまらない。人を怖がらせるものは、ランダムで、未知のなにかだ。

    ■P.94(『要塞警察』)
    ──ナポレオン・ウィルソン(ダーウィン・ジョストン)はあるとき、「おれはたった一度だけ人を信じたことがある」と言います。このセリフについて説明していただけますか。

     別の言い方をすればこうなるだろう。「むかしは社会の正義を信じていて、困ったときには誰かが気にかけてくれるものと思っていた。けど、違った。だからもう信じないし、自分だけしか頼れない」。これは自分で自分の面倒を見るという態度だ。

    ■P.94−95(同上)
    ──イーサン・ビショップ(オースティン・ストーカー)とナポレオン・ウィルソンはふたりとも勇敢な男ですが、リー(ローリー・ジマー)は、ナポレオン・ウィルソンだけに惹かれます。なにか理由があるのでしょうか。

     しょっちゅう見かけることだよ。クラスやパーティーでいちばんの美女が、いちばん危険な男にたちまち惹かれることがあるものだ。わたしはいつも、「なんでだよ? なんでこうなるんだよ? おれはいいやつで、ナイスガイなのに、なんでおれじゃないんだ?」ってなぐあいだった(笑)。

    ■P.95(同上)
    ──『要塞警察』の登場人物だちが、自分たちが包囲されていることに気づくのは、映画の後半になってからです。彼らはまるで生まれて一度も西部劇を見たことがないかのようです。

     わかってるよ(笑)。この映画は、あの「素晴らしい(ワンダフル)」ポストモダニズムによって、映画のなかの登場人物が別の映画の登場人物を参照するといったことが起きる前に作られた。『要塞警察』は、この意味において、伝統的な映画の見方に属する古風な作品だ。

    ■P.99(同上)
    ──当時、タイトルがころころ変わったことをどう思われましたか。

     この映画につけたタイトルにはどれも満足しなかった。最初のタイトルが「アンダーソン・アラモ」だ。くだらない。次が「包囲攻撃」。最後に、配給のアーウィン・ヤブランスが「第十三警察管区の襲撃」[『要塞警察』の原題]というタイトルを思いついた。恐れ多かったよ。だって、[ドン・シーゲルの]『第十一号監房の暴動』を思わせるタイトルじゃないか。

    ■P.105-106(『ハロウィン』)
    ──『ハロウィン』であなたは、マイヤーズがどうやって犠牲者を殺すかではなく、むしろ殺しに先立つゾクゾクする感じを楽しむことを、観客に教えようとなさっています。あなたの考えも同じですか。

     それがまさにわたしの意図したことだ。ボウリンググリーンに住んでいたとき、農産物・家畜の品評会が催された。この行事の間、ちょっとしたカーニヴァルや、豚のコンテスト、パン焼き競争、それとびっくりハウスがあったんだ。金を払って、びっくりハウスに入ると、なかは真っ暗だった。歩いていくうちにいろんなものが飛び出してくる。二度三度と通ううちに、おもしろいのはびっくりする瞬間じゃなくて、その瞬間をずっと待ちながら廊下を進んでいくときだと気づいた。 

    ■p.115(『ザ・シンガー』)
    ──カート・ラッセルと組んで仕事をなさるのはこの映画が最初です。なにがふたりをこれ以後ずっと結びつけることになったのですか。

     最初にふたりで話したのは、「できるだろうか」じゃなく、「できると思うか。もちろんさ」だった。カートには前に進む覚悟と勇気があった。わたしにも覚悟と勇気があった。

    ■P.121(『ザ・フォッグ』)
    ──『ザ・フォッグ』であなたは、あなたの言うところの「チープ・トリック」を多用しておられます。「チープ・トリック」とはいったいなんですか。それはポエティックなものだとお考えですか。

     そう思うね。「チープ・トリック」という言葉を使うのは、ふざけてのことだよ。「チープ・トリック」というのは、きみも見たことがあるような、むかしながらの映画のトリックのことだ。「チープ・トリック」というのは、暗闇から飛び出して観客を怖がらせるもののことだ。(中略)『遊星からの物体X』の冒頭で犬を撃ったのは「チープ・トリック」だし、『要塞警察』であの少女を撃ったのも「チープ・トリック」だ。(中略)わたしはこういうのが大好きだ。映画で使われる「チープ・トリック」の芝居がかったところがたまらない。低予算映画で好きなことのひとつは、こういうトリックをうまく使って強い効果を引き出すところだ。すごいし、素晴らしいと思う。

    ■P.126(『ニューヨーク1997』)
    ──あなたの映画では、主人公は地球を救うか自分を救うかするために、たった二十四時間しか持ち合わせていないことがほとんどです。なぜですか。

     アリストテレスが戯曲について考えた三一致の法則、演劇は二十四時間以内の、ひとつの場所で起こる、筋がひとつの物語を扱うという古めかしい考えにずっと影響を受けてきたんじゃないかな。そもそも、これもやっぱりハワード・ホークスの影響だったと思う。ホークスは制限された時間と制限された空間のなかで映画を作ったものだ。わたしはいつもこうした映画に強い感銘を受けていたし、カウントダウンというのはとてもサスペンスを高めてくれる道具だからね。

    ■P.129(同上)
    ──カート・ラッセルは「わたし向きの俳優」だとおっしゃったことがありますね。あれはどういう意味ですか。

     カートはむかしのスタジオ・システムで訓練を受けている。ウォルト・ディズニー映画の子役だったんだ。仕事至上主義でね。仕事となると、彼はだれにも負けなかった。(中略)「わたし向きの俳優」は、状況を飲み込み、セリフを知っていて、的を外さず、くだらないことをあまりやらかさない。

    ■P.145(『遊星からの物体X』)
    『遊星からの物体X』が公開される直前に『E.T.』が封切られた。全然金をかけていない映画だった。この映画でスティーヴン[・スピルバーグ]は大当たりをとりたいと思っていた。撮影所はあまり肩入れしていなかった。重役たちはこの映画がちょっと弱いと考えていたんだ。で、『E.T.』がわれわれの映画より先に出て、大ヒットし、話題をかっさらってしまった。しかもこの映画のメッセージは『遊星からの物体X』のまさに正反対だった。あのときスティーヴンは言っていた、「観客は、元気を出させてくれる映画を求めていると、ぼくは考えました」と。いやー、彼の言うとおりだったよ。彼が目先の利く商売人だということがこれでわかる。当時の観客が何を必要としていたかがわかっていたんだ。

    ■P.148(上の続き。結末を曖昧にした『遊星〜』が10代の若い女性に不評だったことを述べて)
    わたしは忘れていたんだ、だれにでもわかる掟のひとつを。観客はどっちつかずの状態が嫌いだということを。(中略)業界の連中は──まったくありがたい連中だ──スティーヴン・スピルバーグの成功にかこつけてわたしを責めはじめた。観客がなにをのぞんでいるのかわかっていなかったとか、人を元気づけ、人類を肯定する映画を作らなかったとかいう理由でだ。わたしにできたのは、じっと我慢することだけだった。それは言うなれば、ボクシングのリングにいて、だれかにパンチを浴びせられながら、殴り返すすべがないといった状態だった。ユニヴァーサルに仕事があったが、『遊星からの物体X』のせいではずされた。監督をはずされたのはあれが初めてだった。はずされたことがなければ、まだ監督とは言えない(笑)。それは勇気の印なのさ。

    ■P.149(同上)
    ──そのつらい経験はもう克服しましたか。

    (前略)いまではこの映画をもともとあった場所に戻して考えている。わたしはこの映画が大好きだ。『遊星からの物体X』を嫌いになったことなどない。

    ■同上
    ご覧のように、アートとしての映画作りとビジネスとしての映画作りは一致しないんだ。わたしはビジネスマンでもあるわけだから、いちばんやりたくないことは、ビジネスにおける自殺行為だ。

    ■同上
    ──いまも『遊星からの物体X』の続編を作りたいお気持ちがありますか。

     やりたいね。すごいストーリーがあるんだ、あの最後に残されたふたりで始まる。だが、金がかかりすぎるからだれも作ろうとはしない。やるとすれば苦痛と恐怖のなかで撮影しなければならないだろう。

    ■P.153(『クリスティーン』)
    ──『クリスティーン』をズタズタにする場面は永遠につづくかと思われます。あれは観客に、この映画は無意味だと伝えるひとつのやり方だったのですか。

     当たっている面もあるが、クリスティーンはあのでかいブルドーザーに死ぬほどファックされたんだと思うよ(笑)。

    ■P.158(『スターマン/愛・宇宙はるかに』)
    ──あなたはいつも人類についてとても懐疑的でしたが、『スターマン』は違います。(中略)これはあなたのものとしては異例のユートピア的ヴィジョンです。

     ポジティヴな観点を表現している映画がどうしても撮りたかった。もっと軽い映画が撮りたかったんだ。(中略)こういうのをやってみたかったんだ。監督としてそれができるかどうかを見てみたかった。わたしにはロマンチックでセンチメンタルな一面もあるんだよ。そうは見えないかもしれないが、たしかにあるんだ。

    ■P.164(『ゴーストハンターズ』)
    ──どうしてそんなにカンフー映画がお好きだったのですか。

     アメリカ映画というのは、映画は洗練されたものでなければだめだと思い込んでいるが、香港映画はそういうことから自由だった。ヒーローは生真面目なものという考えに縛られていなかった。

    P.169(同上)
    ──観客や批評家にはこの映画はどのように理解されたのでしょうか。

     誰にも理解されなかった。

    ■P.172(『パラダイム』)
     作っていていちばん楽しいのはホラー映画だ。血とか怪物が出てくるだけで楽しくなる。腹を抱えて笑うほど楽しくなる。

    ■P.177(同上)
    ──当時、この映画はどのように理解されたのでしょうか。

     批評家たちは『パラダイム』を、少なくとも『遊星からの物体X』と同じくらい憎んだ。この映画はいまでも物笑いの種になっている。後悔はしていないよ。

    ■P.181(『ゼイリブ』)
    ──ジョンとフランクのとっくみ合いの場面は十分近くつづき、そのせいで物語の観点から言って、まったく必要のないものになっています。どうしてあんなに引き延ばされたのですか。

     第一に、長い大喧嘩の場面をやりたいと思っていた。第二に、そういう喧嘩をやれるだけの肉体をもった役者がいた。ロディはキース・デイヴィッドと一ヶ月半、この喧嘩の場面に取り組んだ。本当に体が触れ合うまでやった。むかしの西部劇ふうの殴り合いじゃない。本気の殴り合いだ。だからこの喧嘩の場面はあんなに迫真のものになった。このシーンが成功したもうひとつの理由は、パナグライド・キャメラを使って彼らの動きを追ったことだ。そのため、このシーンはバレエに近いものになっている。

    ■P.191(『透明人間』)
    ──この映画が失敗したのは、あなたに最終編集権(ファイナル・カット)がなかったからでしょうか。

     それはどうでもいいことだ。たとえ最終編集権を持っていたとしても、映画は成功することもあれば失敗することもある。自分に最終編集権があるからといって、自分のやることがつねに正しいということにはならない。たんに、それは自分が作った映画というだけのことだ。残念に思うのはそこなんだ。わたしは自分のヴィジョンを買われて雇われたのに、それが薄められてしまい、自分の作品ではなくなってしまう。

    ■P.194(『マウス・オブ・マッドネス』)
    ──『マウス・オブ・マッドネス』は『パラダイム』の続編として見ることもできます。反=神(アンチ・ゴッド)はついに自分を解き放つ方法を見つけたのです。

     その意見にはまったく賛成だ。この二作はいろんな意味でとても似ている。それに、両作品とも世界の終わりを描いた映画だ。『遊星からの物体X』『パラダイム』『マウス・オブ・マッドネス』を見れば、これらがいわば三部作をなしていて、それぞれ別の問題を扱ってはいるが、三作とも、なにもかもが終わることを描いた物語だということがわかる。

    ■P.202-203(『光る眼』)
    ──子どもが怖いですか。

     自分が父親になったいま、子どもを怖いとは全然思わないが、もしも自分の子どもに良心や罪の意識がまったく欠けていたり、あるいは殺人鬼だったりしたら、悲劇だね。恐ろしくて、耐え難いだろうね。

    ■P.208−209(『エスケープ・フロム・L.A.』)
    ──クリフ・ロバートソンが演じる役はL・ロン・ハバードをそのままフィクションにしたような人物ですが、アメリカが神政国家になるのではないかと本気で恐れておられるのですか。

     彼はむしろパット・ロバートソンに似ていると思わないかい? このアイディアはカート・ラッセルが考えたものだ。カナダの首相が何年か前になにかを予言し、ほんとにそのとおりになったので、だれもが彼のことを偉大な英雄と信じたことがあった。それでカートがこう言ったんだ。「この映画でも同じことが起きるってのはどうだい? どっかのとんまがなにかを予言してそれがほんとに起き、みんなそいつが神様かなんかだと信じてしまうってことにしようじゃないか」

    ■P.212(同上)
    ──第四の壁 *1 を破られたのはこれが初めてですね。

     あれは意図的にやった。「そんなことをしてはならない」とだれかがきっと言うと思ったのでやったまでのことだ。

    ■同上
    ──ハングライダーのシーンを考えたときなにか思い浮かべていた映画がありますか。

     『オズの魔法使い』みたいに見えるんじゃないかと思っていた。

    ■P215.(『ヴァンパイア/最期の聖戦』)
    ──『ヴァンパイア』全編を通じて、宗教を容赦なく攻撃なさってますね。

     だが、アダム神父[ティム・ギニー]は最後にはヒーローになる。彼は男になるんだ。この神父は、安全な場所にいながら、自分は理解していると思い込んでいるインテリだ。やがて彼は、吸血鬼を殺すというのが実際はどんなことなのかを、自分の目で確かめることになる。それがどんなに残忍なものであるかを知ることになる。そしていったんそれを知ってしまえば、もう嘘をつくのはやめて、自分も体を張らないわけにはいかない。嘘をつくのをやめ、体を張るとき、人は男になる。頭だけの人間ではなくなる。いわばゲームに参加するわけだ。こうして、神父は吸血鬼退治チームの一員になるのだが、それでも彼の信仰は揺るがない。「神はいつでもわれわれのそばにいます」。堅い信仰はまだそのままだということだ。これは人間として大した進歩だと思うね。

    ■P.226(『ゴースト・オブ・マーズ』)
    ──アメリカの批評家の大半は、『ゴースト・オブ・マーズ』を時代錯誤だとみなしました。この映画がそのように見られたことについてはどうお感じですか。

     批評家が映画をどう見るかを、わたしにコントロールすることはできない。

    ■P230(エピローグ)
    ──ドイツ表現主義が好きだとおっしゃいましたが、それは初耳だったのでよけいに驚きました。

     ドイツ表現主義は大好きだ。最高だよ。わたしの理解の仕方は単純すぎるかもしれないが、要約してみよう。ロシア式モンタージュは、映像の内容とは関係なしに見る人のなかに興奮を生み出すことができる。(略)素早いカッティングが見るものに興奮を与える。ちゃんと撮影さえすれば、ロシア式モンタージュは簡単だ。ドイツ表現主義は、孤独感、メランコリー、不吉な雰囲気などを感じさせることができるが、それだけでなくサスペンスを作り出すために用いることもできる。どうしてだれもそれに気づかないのか謎だね。(略)実は『ハロウィン』でドイツ表現主義を使ったんだよ。そうやってサスペンスを作り上げたんだ。

    ■P.232-233(同上)
    ──自分は「アクション」監督だとほんとに思ってらっしゃいますか。

     わたしがアクション監督なのは、ただ次の意味においてだ。つまり、映画というのは、動いているときに、アクションを描いているときに、なにかが起きるときに、争いや相反する力があるときに、最高のものになるということだ。みんなそれが見たくて映画を見るんじゃないだろうか。


    *1 : 観客に向かって直接話しかけることを禁じた、映画とドラマの古典的なルールのひとつで、ここから「壁」の概念が生まれた(本書注釈ママ)
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