書き漏らしがあったんで補足。
よーするにキリヤ版「キャシャーン」って、「喧嘩は良くない」と「戦争は良くない」を同じ土俵で語ってるんですよ。
言い換えると、「個人の自我にもとづくブライベートな断罪の是非」と「国家政治における処罰権利の行使の是非」をごっちゃに混同しているのです。
個人レベルの人間関係(たとえば最小単位の「夫婦」「親子」とか)ではひとりひとりの顔が見えますが、数千万人・数億人が構成する社会のスケールだとその運営にはどうしてもシステムというお化けが発生するわけで、調整に要する複雑性の差についてまったく掘り下げず、さらに責任という概念をオミットして「裁くな、赦して共存せよ」と同じ刀でバッサリ斬りおさめてしまう単純化はものすげぇ危険だと思います。
でも、最近はこういう一人称で世の中ぜんぶを処理する物語の方が「リアル」なんでしょうか??(^^; うーむ。
参照:「セカイ系」