受容する側に求められるであろう一つの反省について。
近年、エロゲーに限らず、アニメにしてもノベルにしても、「痛い展開」を「リアル」とすり替えて賛美する危険性がそろそろ意識されて然るべきかも、という思いを日々深めつつあるこのごろです。
たとえば、恋愛なり友情なり諸々の人間関係の物語的体現において、ある事象についてある側面だけを強調するという点では、ベタベタした「甘さ」もドロドロした「痛さ」もベクトルが違うだけで実はやってることは同じ「その為の」ストーリー構築であり、同じご都合的なフィクション快楽の供給/需要だったりするわけです。
むしろ、はなからお伽噺の性質を笑って済ますことの出来る「甘さ」よりも、よりリアルとの混同を誘発しやすいという意味で、「痛み」の方がよほど目くらましの度合いが高い場合があります。
「ホワイトアルバム」の痛みはリアルであるか?
「君が望む永遠」の痛みはリアルであるか?
「家族計画」は?
「天使のいない12月」は?
「同窓会」は?
痛ければリアルなのか?
苦ければリアルなのか?
「現実には厳しさがある」という事実確認を、いつの間にか「現実を厳しさによって規定すべし」というお題目に差し替えていないか?
一度、そこのところを問い直してもいい頃ではないでしょうか。
もちろん上に挙げたタイトルが名作、傑作、人気作、良作、感動作であるという巷の評価に異論を差し挟むつもりはありません。
ただ、「甘ったるいだけのお話にはない痛みがある=だからリアルだ=素晴らしい」と手放しで等式を形成してしまうのは、けっこう思考停止的な受容スタンスかもしれない、と思うのです。
問題は「それで何かマズいことがあるのか?」ということなんですが、我々はもともと生きていく上での消費物として様々な物語を自由に渡り歩いていけるところを、逆に(自分がリアルだと信じる)物語に支配されて、生き方や考え方の幅を制限される危険があります。もうちょっと具体的な比喩で言えば、特定宗教への信仰心が行き過ぎた場合を思い浮かべてみると分かり良いかもしれません。
それは最終的には「自分の信じる物語(の痛み)以外のリアリティを軽んじる」という排他性へつながるリスクを生みます。「●●●に描かれているような痛みがないから、その物語は非現実的でくだらない」と他を断じる態度は根本的に倒錯しているのに、それを自覚できなくなるかもしれない。そんなリスクがあるのです。
少なくとも社会生活を最低必要なぶんだけ円滑に行っていくためには、それはちとマイナスが大きいのではないかと思われます。
と、いうわけで。
物語の「痛み」に耽溺して魂を束縛されることなく、フィクションはフィクションとして楽しんでいく余裕を維持していたいものだなぁという自省および目標を掲げて、本日のたわごとはおしまい。
どうもお目汚しでした。
ホワルバ>リアル性10パーセント
だって、現実性無さ過ぎ。理奈・由綺ともに甘ちゃんだもん。
君望み>リアル性30パーセント
水月エンドが感動的トゥルーな時点で製作者の意地悪さがミエミエだし。すかいてんぷるの主人公のみっともない仕事振りだけが妙にリアルなだけかな。つまりああいう手合いは非情に多い訳だから。
家族>リアル性20パーセント
ここ数年の流行ドメステックバイオレンスをテーマにしてるんだけど、まだ甘いっしょ。基本は70年代ドラマ「○○一家」のオマージュだから。
現実のほうがはるかにドロドロしてて、痛いっすよ。でもこういったゲームが予定調和でまとまったエンディングがあるから、救いがあって楽しいんだよねーわたしは。現実はエンディングが無いんだから。
ただ女の子が可愛い!!これならよし!!です。それで充分っすよ。
同窓会は未プレイですが、涼宮茜ちゃんみたいな可愛い女の子がいますか?いるなら名作でーす。買ってやりまーす♪
(長文ごめんね、みやもさん(^^;;)
Posted by: 柴: 2004年03月02日 01:04リアル性●パーセント<ここで言いたかったのは、例に挙げた作品のリアル度がどのくらいかというより、「ちょっとでも痛ければリアルだと持ち上げちゃうユーザーがいる」事についてなんです(^^; それが極端になると、たとえば「君望の痛さを論拠にして東鳩の甘さをこきおろす」みたいな評価の仕方に行き着くヒトまでいて、それはちょっとおかしいんちゃうかと。
柴さんのご意見は至極健全なもので、僕も同意です。上記の文章はそれを前提にしたうえでの話だとお考えください。
うー、毎度ながら拙いことばでごめんなさい(^^;
>同窓会
もう8年前の作品なんですな、これ。
当時の水準では良作でしたが、入り組んだ人間関係を紡ぎ出す代償として、個々のキャラが現在の感覚では地味に思えるかも。
三角関係やら過去の付き合いやら、泥沼路線のご先祖さまみたいなところがあるんで資料価値は高いですけどね(笑)
ゲームシステムにちょっと難があったように記憶しております。
それまでの快楽をストレートに、単純に刺激する作品群に対して、「痛い系」の作品がカウンターとして有効だったのは、プレイヤーのプラスのベクトルへの感情だけでなく、マイナスのベクトルへの感情を積極的に、演出手段として肯定的に捉えた点であり、
重要だったのは演出手段としてプラス方向にもマイナス方向にも感情のベクトルを振れる振り幅の広さ、自由度であって、マイナス方向のみに感情のベクトルが規定されてしまうのなら、その利点を自ら損ねる結果であり、リアリティからも全力で遠ざかってしまう結果である訳ですな。
そも時と人と場合によって「何がリアルなのか」といった定義も変わる以上、「○○な展開ならリアル」と一義的に定義してしまうのはナンセンスなのかもしれません。
Posted by: 田仲: 2004年03月02日 03:40感情ベクトルのプラスマイナス<そのへん、えろげのシナリオが小説やTVドラマ・映画の方法論を援用するようになった事が関係ありそう(^^; マイナス方向での偏りを、作り手だけでなく受け手の側でも許すことが多くなったのはシナリオの「ブンガク化」の弊害っぽい気がします。
(ここでいまだにエヴァを引き合いに出したくなるあたり、僕もまだ呪縛されてるわ…)
一義的に定義してしまうのはナンセンス<だから本来、条件次第ではお馬鹿やお笑いの中にも強烈なリアルを包含できるはずなんですけどね。
もうちょっと時が経てば、うまく止揚・統合をおこなう作品が生産されて売れるようになるかも、と期待してはいるんですが(^^;
あるいはこのまま棲み分けが進んでしまうのかなぁ。